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島根県の魅力を紹介しますね!【古事記を巡る地の実体験レポート】須我神社編

8&8の冒頭〜第1章の印瀬の壺神(矢口神社)に続き、第2章の舞台、須我神社の実体験レポートをします。
地図2の位置に当たる場所へと移動しながら、16人の主要人物が続々と登場することになります。

須我神社へ行くには気合がいります。
なぜなら”バスの本数が少ないから”です。
1時間に1本あるかないかという間隔なので、車で来ていない方がバスで着いたら大いに足止めをくらうのでご注意ください。

では古事記を巡る取材旅行、パート2須我神社をスタートします
ロケ地をご案内すると共に、島根県の魅力を伝えられたら幸いです。


1:【ルート2・第2章】須我神社のご紹介

6月6日は奇しくも雨でした。
日本初之宮、須我神社は大東町須賀にあります。
周囲を一言でいうと、ものすごく田舎。

そして須我と須賀の文字がダブるので、案外分かりにくい。
実際、八口神社も同じ名前の場所が何箇所かあり、違う駅で足止めをくらってしまったのが揖屋神社に行けなかった原因でもあります。
参拝をしたい方は、名称と場所にご注意ください。

百聞は一見にしかず。
まず周囲の景色の写真を貼りますね。

国道横、この看板が目印です。

第2章の段階では若干水没をしているという状況です。
今日、8月6日は奇しくも日本中が水害のニュースに悩まされているので、水没という言葉を使うのは胸が痛みます。

しかし、日本沈没から救う物語を描くのがテーマですから、それはそれ、これはこれで記事を進めます。

ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトがクシナダヒメと造った「日本初之宮」。
それが須我神社。

鳥居〜正面はこちら。

こじんまりとした普通の神社という印象を抱きました。

しかし、神社通にはわかるかと思いますが、若干威厳が違います。
そこに確かなオーラがあるような感じ。
重厚かつ密度の高い心地。
現地でしか味わえない感覚は良い経験を掴みました。

鳥居を潜る前に須我神社の由緒を拝読。
須佐之男命と奇稲田比売命が御祭神であることを確認します。

ちなみに、スサノオとクシナダヒメは漢字の明記や名称が場所や資料、本ごとに異なります。
作品内では現代人にも覚えやすいようにアレンジと解釈を行っています。

手を消毒して、礼をしてから入りましょう。

しめ縄の厚みが痺れますね。
第4章でたどり着く出雲大社のしめ縄は超極太でした。
それに比べると細いですが十分太かったです。


2:日本最古の短歌のご紹介

神社は非常にコンパクトです。
八岐ノ八葉〜一、櫛稲田姫、鏡屋姫たちはまだ水没まではしていないこの地を散策&推理を展開するのが第2章で重要な箇所です。

では須我神社で一番重要な日本最古の短歌を見てみましょう。

読み方は
「やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを」

作者は須佐之男命です。
作者も小さな頃から短歌や俳句を学び、詩や小説を書く身としてこの地に来られたことを心から嬉しく思いました。


「スサノオさんは僕の大先輩なんだ!」
そんな風にして目をキラキラさせながら、この句の前でじっとしていたから次のバスの時間に乗り遅れたというわけです。

意味は
「八雲立つ出雲の国を幾重にも取り回している雲ではないが、可愛い妻をこの地に籠らせるため、家の周りに幾重にも囲いを作るよ」

ということです。
早い話、スサノオはクシナダヒメが可愛いから超豪邸を建てて大事にした。
う〜ん、スサノオの野郎。
ではなく、スサノオさん粋だねぇ!
いつの時代も愛する人への想いから歌は生まれる。
そして可愛い人は得をするのでしょうか?
世知辛いですね。

しかし、8&8では
「八頭立つ、出雲八岐ノの妻隠ごみに、八岐ノつくる、その八岐ノを」
に改竄されています。

つまり、ヤマタノオロチがスサノオを殺したという世界線の歴史を歩んでいるという設定で、令和の現代社会が描かれています。
なぜか水害が増し、男が消え、女ばかりのゾンビランドが誕生をした世界で16人の登場人物が犯人探しを行う。

たぶん、こんなバカげた考えを抱く参拝者はそういないと思います。
しかし、真面目に取材をしました。
お土産を買って帰るまでの写真を貼っておきますね。

しめ縄が中にもありました。
それだけ厳重に神を祀っていますよという受け取り方をしています。

八口神社は歴史から忘れ去られようとしている気配に満ちていたのですが、須我神社「なるほど」という心地を感じました。
第3章の八重垣神社、第4章の出雲大社になるほど人々の活気に満ち溢れ、パワースポット感が増していきます。

しかし、最古の歌を祀るこの地のミニマムな心地が僕は好きです。
島根県に来て抱いた印象が
「地元の岐阜に似ているな」
という感覚でした。

その根拠は時間の流れがゆったりとしているからです。
線路から見える景色は木々、家々、山々。
岐阜そのものです。

「取材すると割と疲れるのに、なんで今回は疲れないのだろう?」
の理由はそういう親近感にあったのでしょう。
観光客の区別もすぐに見分けがつきます。
黒髪率もかなり高いです。
島根県の方々からは和の心地がひしひしと伝わります。

取材の成果は作品に反映されています。
詳細は作品にて明かされることとなります。
今日は必要な情報をまとめてお届けしました。

古今和歌集の序文にもあったように、八雲立つの歌は神々の時代から存在をした。
スサノオの代から短歌として確立をされたようです。

神々しいというよりかは、どこか人間らしいスサノオさんが人間に寄り添った歌から日本人の歌の歴史が始まりを告げたのかもしれません。
そう思うと、とてもスケールが大きく、2000年経った人類史の発展がいかに素晴らしいかが見えてきました。

島根県を通して歌の魅力も再発見できたら嬉しいです。
作中内ではそのことに関しても深く追求していきます。

以上が第2章の舞台のご紹介です。

次回は第3章の舞台”八重垣神社”をご案内します。

「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」
実は八重垣神社にもまったく同じ句碑があるのです。

最古の歌にまつわる物語は16人揃った末、八重垣神社へと続いていきます。

島根県の魅力を通し、歌の可能性や新しい表現も切り開いていきたいです。

Thank you for reading!