「大阪万博は問題たくさんあるけど楽しみは楽しみ」とX(旧Twitter)で書けない
2030年のサウジアラビアでの万博が決まった日、ぼくはこんなツイ・・ポストをした。
そしたら案の定、維新信者(この人、大阪・維新・万博にとって少しでもマイナスなこと言うとすぐにあちこちに噛みつくのよね・・)に絡まれた。
ヤダモー。
その後も「保険も全部民間にすりゃいい」とか「根性鍛えなおさないといけない」とか。
あぁ、こういう極論すぐ持ってくる人なんだったなぁ・・。そりゃこの人の意見に同感だと思われたくもないよ・・。
そもそもこの元となったポスト、確かにちょっと言葉が足りてない。これは反省しないといかんね。
僕自身は2025年の大阪万博の開催については反対ではない。どちらかというと楽しみにしてる方なのよ。
ただこういう「反対の意見述べたら極論持ち出す賛成派(逆もしかり)」が嫌いなので、「様々な問題がたくさんあるけども楽しみだな」っておおっぴらに言えないだけなのよ。臆病でごめんね!w
あと、これだけは言いたい。
「日本人の根性を鍛えなおさないと」という言葉は非常に危険じゃない?って。
そもそも根性論が個人的に大嫌いってのもある。理由は「根性を鍛えなおせば今より良くなるんだという洗脳」のような感じがしちゃうのよ。
飛躍しすぎといわれるかもだけど、運動部の根性論見てたらそう見えちゃうんだよ。
そりゃバブル崩壊後の低空飛行を続けてきた日本に自信を持てなくなる人はいるよ。僕だってそうなりがち。
その人達を根性鍛え直さないとこの国は良くならない!ぶっこわす!とか言われたら、そらおっかないって。NHK党かよw
自信を持てなくなった人が上を見えるようにするには、根性鍛えて云々ではなく、上を向く、向いているんだという実体験をすることだと思う。
その最後のチャンスが万博かもしれないっていう一縷の望みがあるんだけども、こんな状態になっちゃってるのでそれもダメか・・ってなってるのよ。
で、声の大きな人のなるがままになっちゃう。
もちろんこの国は表現の自由があるので、異を唱えることだって、賛成だって好きに言えるはずなのだ。
でもその途端にギャーギャーと噛みつかれたりするもんだから、好きなことを言うにも言えないんだよね・・。
まぁそういうことになるという覚悟を持ってポストしなきゃダメなんだろう。
特に万博絡みは、そのまま維新の政治にも向けられるので、より発言が慎重になったり、見ないふりになってしまう。
これって住民投票の時期とそれ以降で大阪都構想の話題ができなくなったのと同じだなぁ。
まぁ吹き飛んだってどうということもない個人アカウントだから、別に気にしなくてもいいんだろうけども。
結論!
僕は2025年大阪万博については大変な問題がたくさんあるけど、イベント自体は楽しみにしています。
ただ、2025年以降はこういった大きな世界的なイベントで盛り上がるぞ!ということは、無限にお金が出せるような国でないとできないので、日本ではできないだろうし、二度と言うなよとも思っています。
あと、個人の意見に対して極論をすぐ持ち出す人は、「あなた煙たがれてますよ?」と言いたいw
現に僕は例の人をそう思っておりますwそしてそう思うアカウントはここ最近増えてきてます。残念すぎるよ・・。
ためになるなぁと思うことを呟いてらっしゃるんだけど、どうもコロナ以降なぁ・・。
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