CHATING
天から落ちた一滴の水が私の顔に張り付いた。
その水は、私の顔を伝う別の水と混じり合いながら頬を伝っていく。
そして、まばらに落ち始めた雫達が、少しずつ私の体を濡らしていく。
私は、一人ぼっちになった。
あっちゃん:こんばんわ。
ベクタ:おいーっす。>あっちゃん
神那:あっちゃぁぁぁん♪
大地:んで、どうなったって?
十六夜:んあー……だから……如何に3時間を切るかってとこが……。
私は、痛む心を押さえ込むように、いつもいる場所に戻ってきた。
電脳空間の向こう側。顔も知らない仲間達。
けれどどこか落ち着くことの出来る仮想の部屋・チャットルームの中。
パソコンと向かい合うことが私の日課であり、生活の一部なのだ。
みゅう:やっほ~あっちゃぁ~。
十六夜:お、あっちゃん、おひさしぶりー。
神那:ねぇねぇ、今日デートだったんでしょ?どだった?>あっちゃん
ベクタ:……デート?
あっちゃん:あ……うん……。
何の感情も感じない文字が、私の心に小さな痛みを覚えさせる。
けれど、ここの仲間達は信用のおける仲間達であり、また、お互いを干渉し合わない友達であったから、話を避けるわけにはいかないと思った。
彼との話は漏らしてしまった時点で、私の失敗だったのかもしれないと、その時思った。
大地:ん?どうした?>あっちゃん
神那:どきどき♪
みゅう:え?あっちゃん、デートだったの?
あっちゃん:……あのね。ふられちゃった。
神那:え???
十六夜:……そっか。
みゅう:うっそぉ。
神那:えぇぇぇぇぇぇ~~!!
神那:ちょっとちょっとどういうことよぉぉ!
ベクタ:落ち着け>神那
十六夜:何か、あったの?>あっちゃん
あっちゃん:……好きな人がいるんだって。
みゅう:え?でもだって、つき合ってたんでしょ?
神那:信じられぇぇん、二股かぁぁぁ!?
大地:うーん……。
あっちゃん:そういう事に、なるのかなぁ……。
神那:なんて奴だ!!
ベクタ:だから落ち付けって。>かんな
大地:んで?大丈夫なのか?
大丈夫なわけがない。
心に傷を負って、瞬間的に癒せるような人間なんているんだろうか。
もしいたとしても、それは私ではない。
あっちゃん:あはは、どうだろうね……。
みゅう:でも、あっちゃんの話だと人が良さそうだったのにね。
神那:猫かぶってたのね!
十六夜:うーん……人の心はうつろいやすいものと言うからな。
大地:ま、とにかく、元気出して。>あっちゃん
あっちゃん:あ、うん。
声も姿も知らないけれど、本当に心配してくれる人がいる。
大事に思ってくれる人達がいる。
冷え切っていた心を、ほんの少しだけ暖めてくれる存在がいることで、私はなんとか自分を保っていられるような気がした。
神那:ええい、こうなったらあっちゃん慰めオフだぁぁぁ!!
十六夜:……何がどうなったらそうなる……。
みゅう:あ、でもいいかもしれないなぁ。明華、オフ出てこないんだもん。
大地:ああ、そういえば……。
あっちゃん:……え?
少し考え事をしている間に、神那達が騒ぎ始めていた。
オフ会……チャット仲間同士の集まり。
けれど私はその集まりに一度も出たことがなかった。
理由は一つ。怖かったからだ。
パソコンの向こう側にいる仲間達の本当の姿は当然見えない。もし見えてしまったら、話せていたことが話せなくなってしまうかもしれない。そんな気がするからだ。
あっちゃん:でも……そこまでしてもらわなくてもいいよ……。
神那:えーーーー。
みゅう:やっぱり、まだオフは駄目?
あっちゃん:……うん。
神那:あーあー、がっかりー。
十六夜:いつものことだろ>神那
みゅう:まぁ、しょうがないよね。こればっかりは。
ベクタ(ささやき):あっちゃん?
不意に、ベクタが個別メッセージを送ってきた。
個別メッセージは他の人には見えないメッセージだ。私も時々、神那やみゅうとはささやき合うように秘密の会話をしていたことはある。
けれど、ベクタからは初めてのコンタクトだった。ちょっとびっくりしながらも返信する。
あっちゃん(ささやき):どうしたのいきなり?
ベクタ(ささやき):いや……ちょっと気になることがあって。
あっちゃん(ささやき):え……何?
そのあと、いろんな話をした。
何でもない話から……私がふられてしまう過程まで。
何故そんなことまで話せたのかはわからなかったけど、でも、不思議と、次々と出てくる言葉をキーボードを通して打ち込んでいた。
あっちゃん:あ……そろそろ落ちないと……。
神那:えー、もう?
大地:もう、って(笑)3時だよ、今。
みゅう:みゅうも寝ますねぇ、おやすみぃ~~。
ベクタ:おやすみ>落ちる人
神那:まぁぁぁぁたねぇぇぇぇぇ>あっちゃん、みゅう
気がつくと、寝なければいけない時間をとっくに過ぎていた。
あわててみんなに挨拶をして、チャットルームを去ろうとした最期の一瞬、その一行が目に飛び込んできた。
ベクタ(ささやき):明日、駅前歩道橋の上、7:50。
翌日。
私はいつものように会社に向かう道を走っていた。
さすがに寝坊すると、準備の時間がなくなってしまう……気をつけないといけないな、と思いながら、駅前の広い道路を渡るため、歩道橋の階段を上り始めたその時。
朝日に照らされたシルエット。
それは間違いなく、昨日別れた彼だった。
けれど、何故……?
疑問符を頭に浮かべながら、とりあえず階段を駆け上がる。
「よっ」
「……今更、何しに来たの……?」
「いや……駅前歩道橋の上、7:50」
「え……?」
数秒後。
私の頭の中を駆けめぐったたくさんの推論が、一つの可能性にたどり着いた。
「え……嘘……」
「いや……前から気づいてはいたんだけどな……それで、ちょっと、気持ちって奴を確かめようかなあ……と思って」
「……」
私は思わず絶句してしまった。
いつも私がいたあの場所に、彼もいたのだ。
その事に気づかずにいた私って……。
どんっ。
気がつくと、私は彼の胸板を握った拳でノックするように叩いていた。
その顔はうつむいたままで、ほんの少し、瞳に涙がにじんでいるような気がした。
「もう……私がどれだけつらかったか……わかってるんでしょうね……」
「ああ……だから、直接話を聞いたんだろ?」
「そう……なら……」
私はそこで顔を上げて彼の顔をのぞき込んだ。少し心配そうな顔をした彼を見てにっこりと微笑んでみる。
「お財布の中身がなくなるまで、お買い物につき合ってもらおうかなぁ」
「……え?」
「それぐらいは、してくれるんでしょ?罪滅ぼしに?」
「……おいおい、お前、会社は?」
「休むもんっ」
「……ったく……しょうがないなぁ……」
ぼりぼりと頭を掻く彼の向こうに、空が見えた。
昨日の雨が嘘のように、雲一つない快晴だった。
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はるか昔に書いた、過去のショートノベルが見つかったので、お試しに投稿してみました。
こんな感じの話ばっかりじゃないけど、まだいくつかはあるみたいなので、需要がありそうならまた投稿してみるかも。
※投げ銭コンテンツとして全文公開してあります。
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