お笑いに爆笑は必要か?

昨日のことですが、下北沢にて「不条理コントユニットMELT」の公演を観に行って参りました。実際には公演後に行われた神野藍さんのトークイベントを目当てに行ったのですが、コントもなかなかに面白く、楽しい時間を過ごすことができました。

演題は正確に把握していないので割愛させていただきますが、配ったプレゼントにアスベストが入っていたということでサンタとトナカイが自主回収にやって来る話や、置き配なのにチャイムを鳴らしてしまい出てきた住人と受け取りを巡って揉める話や、探偵が推理を語る前に容疑者があっさり自白してしまい場を台無しにしてしまう話など、不条理に満ちた内容で新鮮でした。今回の公演の様子はYouTubeでも公開されるということなので、興味のある方はそちらをご覧いただければと思います。

ところで、この手のお笑いというのは、正直なところ爆笑できるほど面白いというものではありません。どちらかといえば演者による掛け合いの妙よりもストーリーそのものに面白さがあって、その支離滅裂ぶりを楽しむのが本質なのかなと思いました。かつて、ラーメンズが「爆笑だけが笑いではない」と言っていましたがその通りだと思います。例えば、落語なんかもオチ自体はあんまり面白くなかったりします。でも、その演目の背景にあるストーリーの滑稽さが面白いのであって、それを噺家がどう料理するかによって笑いの幅が広がるのです。その場では笑えなくとも後から思い出してくすりと笑ってしまう、そんなじわりとくる笑いも立派なお笑いなのだと思います。

翻って、いま主流のお笑いはどうかといえば少し爆笑を取ることにこだわり過ぎてはいないかと思うのです。テレビ文化の弊害なのかもしれませんが、わかりやすい笑いに奔る傾向があるように感じます。その結果、笑いの対象がちょっと変わった人や社会的弱者に向いてしまう。それが、いわゆる人を傷つける笑いに繋がっているのではないでしょうか?そうやって考えてみると、爆笑って笑いに本当に欠かせない要素なのか?MELTの公演を観た後、図らずもザセカンドを視聴してそんな疑問が湧いてきました。

尤も、視聴者等からの抗議から過激な笑いは鳴りを潜めていますし、爆笑を取りにいくこと自体も否定しません。ですが、演じる側も観る側もそればかりを追求するのではなく、普段とは違う角度で笑いに向き合うことも必要ではないかと思う次第です。

今日はここまでにしたいと思います。

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