星屑の街
その日は不思議なほど星たちがさわがしく瞬いていて、夜空は今にも落ちてきそうなぐらい近くに感じる。それでいて、目の前を眺望する幻燈で映し出されたような街並みは、本当にこの世のものかと怪しまれたほどだった。
星屑の街とはよく言ったものだ。と、この街の案内板を見た友人はそうつぶやいた。
なるほど、たしかに洒落た名前ではある。今日みたいな日はたくさんの星屑たちが空から降りそそいだとしても不思議ではない、とわたしは言った。それに、この街の夜景ときたらどうだ。街灯は星の光をまねて街のそこかしこでチカチカと輝き、そこに高層ビルや人家の窓から漏れる明かりが加わることによって、よりいっそうきらびやかに見せている。たしかに、この街に灯される明かりのひとつひとつを星の光となぞらえて見るなら、この街の眺めはまさしく星屑の街と呼ぶにふさわしい。
わたしは親しい友人と連れ立って、この不思議な街の中を練り歩いていた。商店街につながると思われるメイン・ストリートには、影絵のような雑踏が街路を満たして、わたしたちの歩みを滞らせる。建物の軒先にはあふれんばかりの電飾が飾られて、辺り一帯は光の洪水と化している。何はともあれ、賑やかなことこのうえない。すこし落ち着いた場所に行きたいと、わたしと友人はメイン・ストリートから外れ、裏路地へと抜けた。
そこは一転、薄暗い通路に、ところ狭しと露店が並んでいる。わたしはいちいち足を止めて、その露店に置かれている商品を眺めてまわった。どれも珍奇なものばかりで、見ているだけでもおもしろい。何もない空間に蛍光文字が書けるというペンキ。表情も豊かに、ひとりでに動き出すマネキン人形。なかでも、親指ほどのブリキ人形が、ミニチュアの演劇場の裾からいっせいにとびだしてきて、ワルツやらタンゴやらを踊り出す仕掛けなど、おどろきのあまり思わず拍手をしてしまったほどだ。
露店の店主は得意げになって、そのブリキ人形にさらに複雑な動きをさせてみせようとした。ところが、人形のひとつがぎこちなく動きを緩めたかと思うと、ピタリと止まってしまった。店主はそのブリキ人形を手に取ると、背中にあるぜんまい仕掛けのバネをキリキリと回した。すると、人形はふたたび元気よく飛び跳ねて踊り出した。わたしと友人はふたたび拍手をした。
「どうだい? ひとつ、買ってかないか。安くしておくぜ」
店主はわたしにそう持ちかけてきた。気安く値段を聞いてみると、とても手が出る金額ではない。あいにく今は手持ちがないと言って断ると、その店の前から立ち去った。
そのあとも数々の店の前をわたしたちは通り過ぎていった。嗅いだだけでお腹がすくような料理の匂い、年代物の蓄音機から流れる幽婉な音楽……それらを越えて抜け出たさきは、中央に大きな噴水がある広場だった。
友人がわたしの肩を叩いた。噴水の方を指さしている。噴水は四方から七色のライトに照らされて、虹色に輝く水を盛大に噴き上げている。ただ、その噴水の前に、妙な格好をした男性がひとり立っているのが目に留まった。
タキシード姿に蝶ネクタイ、頭にはシルクハットをかぶり、立派な口ひげは上向きにピンとはね上がっている。そんな紳士風の格好をした男性は、トランクケースを地面に置いて中を開け、なにやら準備をしているように見えた。どうやら、これから何か出し物でもするらしい。
「ちょっと見ていかないか」興味をひかれたらしい友人はそう言った。わたしもうなずいて同意した。
やがて、すっかり準備が整ったと見える紳士は、ゆっくりと立ち上がると、わたしたちに向けてうやうやしく一礼をした。
紳士は片手に緑のストライプ模様のステッキを持ち、もう片方の手でかぶっていたシルクハットを取ると、それを逆さまにひっくり返し、小さな光る石ころをその帽子の中に投げ入れた。次にステッキでシルクハットの中をくるくるかき回すと、奇妙な色の煙がもくもくと立ちのぼった。そしてまたシルクハットをくるりとひっくり返すと、光る石ころが地面に落ちた。何も起こらない、と思っていたら、落ちた石ころが微かにブルルッと震えたような気がした。オヤッ、と注視していると、石ころは震えながらその形を少しずつ変化させてゆく……と、その石ころが急にピョンと飛び跳ねた! さらに次の瞬間には、石ころにむくむくと翼が生えだして、一羽の鳥の形を成したかと思うと、優雅なつばさを羽ばたかせ、どこかへと飛び去ってしまった。
わたしも友人もこれには拍手喝采だった。紳士はふたたび一礼をすると、さらにトランクケースの中から別の道具を取り出し、さまざまな魔術めいた芸当をやってのけた。
いつのまにかわたしたちの周りにはそれなりの観衆が集まっている。ひとつの演目が終わるたび、ささやかな拍手と感嘆の声があちこちから起こった。そのうちの何人かは財布から何枚かの硬貨を取り出し、紳士の足もとに置かれてあるトランクケースの中に投げ入れている。
ところが、最初は物珍しそうに見ていた観衆たちも、徐々に興が醒めてきたらしく、立ち去ってゆく者も多くなってきた。そして、ふと気がついてみると、その場に残っていたのはわたしと友人のみになっていた。
紳士のほうもここらが潮時だと思ったらしい。最後にもう一度うやうやしく一礼をすると、道具類をトランクケースにしまい込み、ケースに入った硬貨を几帳面に集めだした。そしてそれを巾着袋に入れると、そそくさとその場から立ち去ってしまった。
「なかなかおもしろい出し物だったな」友人が言った。
「次はどこへ行こうか?」
「向こうの通りの角に酒場が見える。ちょっと入っていこう」
わたしと友人はその酒場へと入っていった。店内にはわたしたち以外にお客さんはおらず、ガランとしている。
「いらっしゃい」店のマスターが親しげに言った。痩せた五十がらみの中年男である。「どこでも空いたところに座ってください」
わたしたちは入ってすぐのカウンター席に腰を下ろした。
「何にいたしましょう?」
わたしはメニューを探したが、それらしいものは見つからない。そこで適当に、「コニャックでももらおうか」と言った。
「コニャック? そんな飲み物はここにはありませんよ」
わたしと友人は顔を見合わせた。
「じゃあ、ウィスキーでもバーボンでも、なんでもいいよ」
「お客さん、ここにはウィスキーもバーボンなんて飲み物も、出していませんよ」
わたしと友人はまた顔を見合わせた。コニャックもウィスキーもバーボンも置いてない酒場なんて、聞いたこともない。
「じゃあ、何なら飲めるの?」
「この店じゃ、飲み物は一種類しか出していません。それでよければ用意いたしますが」
わたしと友人はうなずき合って、「それをお願いしよう」と言った。
マスターは店の奥の棚にずらりと並べられている瓶の中から、慎重に吟味を重ねて一本取り出した。そしてグラスをふたつわたしたちの前に置くと、瓶のふたを開け琥珀色の液体をなみなみとグラスについだ。
「不思議な匂いのするお酒だね。いったい何ていうお酒だろう」
「まあ、一口飲んでみるとしよう」
わたしはそのお酒をグイッとあおってみた。なるほどたしかに、何とも言えぬ鮮烈な味だ。ほどよい苦味と酸味に加えて、薄荷水のような清涼感がある。さらに、まるで背中につばさでも生えたかのように、体がふわりと軽くなった感じがする。わたしと友人は、すぐに上機嫌になった。
「へぇ! こんなうまい酒は生まれてこのかた飲んだこともない!」友人が感嘆の声をもらした。
「それはそうでしょう。このお酒は、おおいぬ座の皇帝シリウス様や、オリオン座の英雄ベテルギウス様もご愛飲なさっているという最高級のお酒ですから」
「たいそうなお酒だなぁ。こりゃ味わって飲まなきゃ罰が当たるってもんだ」
わたしたちがそのお酒をちびりちびりとやっているうち、店内には他のお客が集まり出したようで、いつのまにやらほとんどの席が埋まっている。
「やけに賑やかだね。今日はなにかあるのかい?」友人がマスターにたずねてみた。
「今日は百年に一度の、星祭りの日ですよ」とマスターが答えた。
「星祭り?」こんどはわたしがたずねた。
「はい。百年に一度、今日のこの日だけは夜空にかがやく星たちが神々の戒めを解かれてこの街に下りてくるのです。ところで、あなたたちはこの街の住人ではなさそうですね。どちらからいらっしゃったんですか?」
「そういえば……」友人がなにか思い至ったように言った。「おれたち、どこから来たんだっけ」
友人はわたしにたずねているみたいだったが、あいにく、わたしもどこからこの街にやって来たんだったか、記憶が判然としない。
「それはまずい。夜明けがくるまでにこの街を出た方がいいですよ。夜明けになるとこの街に下りてきている星たちは、みんないっせいに夜空に帰ってしまいますからね。帰る場所がわからないあなたたちは、永久にこの街から出られなくなってしまうかもしれませんよ」
たとえ冗談でもそんなことを言われれば、わたしたちは居ても立ってもいられなくなってしまった。あわてて席を立ち上がり、店を出て行こうとしたが、酒を飲みすぎたせいだろうか、足もとがどうにもおぼつかない。
「おっとっと、こりゃいけない。世界がぐるぐる回るようだ。おい、マスター、勘定はここに置いとくよ」
わたしと友人はお互いを支えあいながら、店を出て街の出口を求めてさまよい出した。しかし、なにせふたりとも酩酊状態のため右も左もわからず、ただ闇雲に歩き続けているだけである。そのため、自分たちが今どこに立っているのかさえわからなくなってしまった。
「おい、あれを見ろよ!」体を支えていた友人が突然、空を指さしながら叫んだ。建物の隙間から見える夜空を見上げてみると、かすかに夜明けの色が滲んできているように見える。
「まずいぞ! 夜が明けたら、おれたちは一生この街から出られなくなっちまう」
かといって、街の出口がどこかもわからないし、もはや打つ手なしと途方に暮れていたそのとき、どこからか電車の通る音が聞こえたような気がして、友人とわたしはハッと顔をあげて表情を希望の色で輝かせた。
「おい、電車だ! この近くに駅があるんだ。おれたち、この街を出られるぞ!」
わたしたちはその電車の音が聞こえた方角をめざして走り出した。友人の予想どおり、駅はたしかにあった。ただし駅内に人影は見当たらず、無人駅のようである。わたしは切符を買うために自動券売機にお金を入れた。頭上にある路線図を見て、駅名を確認してみたが、どうにも見慣れない文字で書かれていたため、今自分たちがどの駅に居るのかさえさっぱりわからない。とりあえずわたしは適当にボタンを押して、出てきた切符を手に乗降場へと急いだ。折しも電車は到着したばかりらしく、扉が開いたまま停止している。わたしと友人は駆け足で乗り込んだ。しばらくして扉が閉まると、わたしたちはようやくほっと胸をなでおろすことができた。
電車はゆっくりと走り出した。わたしはつり革にもたれ、友人は座席に腰をかけて一息ついた。電車内を見回してみたが、乗客はわたしたち以外誰もいなかった。わたしはどこか不安になったが、友人はのんきなもので、「この電車、おれたちの貸切だな」と言って笑っている。
電車は静かな音を立てて走り続けた。車窓から外を眺めてみると、さきほど夜が明けかかっていたのが嘘のように真っ暗闇である。遠くにちらりちらりと瞬いて見えるのは星の光だろうか、それとも街の明かりだろうか。
なかなか次の駅に着かないので、わたしの不安はいよいよ募ってきた。落ち着きなくその辺りをうろうろしていると、友人が「そう気を揉むなよ。おれたちはもうあの街を出たんだ。もう閉じこめられる心配はないはずだ」と言って座席に寝そべり、おおきな欠伸をひとつした。
「だって、この電車の行き先がわからないんだぞ」
「どこだっていいだろう。だっておれたち、元々どこから来たんだかわからないんだし……」
そうこうするうち、電車は次の駅に到着したらしい。速度を緩めてまもなく停車すると、扉は厳粛な音を響かせて左右に開いた。わたしたちは電車を降りると、改札口を抜けて駅から外へと出た。
そこは見渡すかぎり何もない、荒涼とした灰色の大地だけが広がる無味乾燥な世界だった。吹きつける風は突き刺さるように冷たい。いつもなら夜空にひしめきあっているはずの星々も、今となってはまばらにしか散らばっておらず、わびしげにぽつりぽつりと瞬いているだけである。しかしなによりおどろいたのは、わたしたちの目の前に広がる地平線の遥か向こう側に、見たこともないほど大きな青白い惑星がぽっかりと浮かんでいたことだ。
「とんでもないところに来ちまった! こんなことならあの街に留まっていたほうがよかった!」
「いますぐ引き返そう!」
そう言ってわたしと友人は後ろを振り返ったが、さきほどまであったはずの駅が今はもう跡形もなく消え去っている。
「もうだめだ! おれたちはここでのたれ死ぬんだ!」
そのとき、わたしは頭上を指さして友人に向かって言った。
「おい! 空を見てみろ!」
おびただしい数の星の光が、夜空を滑るように流れている。戒めを解かれ自由に過ごしていた星たちがつかの間の休暇を終え、それぞれの役目を思い出してみんないっせいに夜空の定位置へと戻っているのだ。しばらく呆気に取られたままその光景に目をうばわれていたそのとき、突如封じられていた記憶の蓋が開け放たれたわたしは、天を仰ぎながら声を張り上げた。
「思い出した!」
「思い出したって、何を?」
「わたしたちが何者で、どこからやってきたのか思い出したんだ」
「なんだって! じゃあ、はやく教えてくれ!」
「まあ、待て。もうすぐわかるから」
そう言ってわたしと友人はしばらく待った。ほどなくして、薄闇の東の空からまばゆい光をはなつ太陽がのぼってきて、この寒々しい灰色の世界を暖かみのある山吹色に染め上げていった。するとどうだろう、その朝日を浴びたとたん、わたしたちの体は一瞬にしてパッと光り輝く星屑に変わり、遙か天上の虚空めがけてはじけ飛んでしまったのである。
「おどろいた! そうか、おれたちも星だったのか。でも、どうしてそんな重要なことを忘れていたんだろう」
「わたしたちは宇宙を旅する彗星だったんだ。あの夜空の同じ場所で輝きつづけている星たちとは違って、縛られるような戒めもなけりゃ、制約だってないのさ。だから、もともと帰る場所なんてものもないわけだ。ただ、今日は星祭りの日だったから、自分たちが何者だったのかすっかりわすれてしまっていたらしい」
「ともかく、おれたちはふたたび自由の身になったんだ。さあ、つぎはどこへ向かおう?」
「どこへだって行こう。だってわたしたちは、自由な流れ星なんだから」
(おわり)