夢のゆくえ -銀河鉄道の夜- ④
第四章 蜃気楼の町
やがて、汽車はつぎの停車場に到着しました。
とびらを開け、プラットフォームに降り立った三人は、まわりの風景をぐるりと見渡しました。
そこはまるで、全体が重い灰色と暗青色にくすんだ砂漠の世界でした。あたりに人の気配はありません。ただ、はるか遠くには、ぼんやりとかすむ蜃気楼のような町の姿がみえます。
「ここ、どこなのかな?」
エマが兄の上着の袖を引っぱりながら言いました。
「さあ、どこだろう」
タルカは駅名が書かれた看板などがないかさがしてみましたが、近くにそれらしいものはありませんでした。それどころか、このがらんとした乗降場を除くほか、周辺には建物ひとつ見当たらないのです。
なんともさびしい場所だなぁ、とタルカはおもいました。
「あそこに見える町に行ってみましょう」
ジョバンナが兄妹の前に進み出て、遠くにぼんやりと見える町のほうをゆびさしながら言いました。
「でも、あそこまで歩いて行くにはかなり遠いよ」とタルカが言います。
「だいじょうぶ、じっさいに歩いてみればわかるから」
ジョバンナはギラギラと白い光を照り返している銀色の砂地の上に降り立つと、ポン、ポン、とかるくステップをふむように歩き出しました。
タルカとエマも、ジョバンナのあとにつづいて、ポン、ポン、とはずみをつけて足を踏み出します。
すると、三人のからだは一足踏み出すごとにビュンッと高く跳ね上がり、ものすごい速度ですっ飛んでゆくと、汽車が停まっている乗降場はあっというまに後方へ遠ざかってしまいました。そうして気がついてみれば、あれほど遠くにみえた町まで、もう目前というところまで来ていたのです。
「わあ、すごい、まるで鳥になったみたい」と、エマが声をはずませて言いました。
「あそこから町のなかに入れるみたいだよ、行ってみよう」
町の周辺はおそろしいほどしんと静まりかえり、人っ子ひとり見えず、話し声ひとつきこえてきません。建物の壁や囲いの塀などはところどころくずれ落ち、破片や瓦礫がいたるところに散らばっていました。何にせよ、ここがふつうの町でないことは、明らかに見て取れます。
「なんだかちょっと、ブキミなところだね。だれも住んでいないのかな?」
きょろきょろと周囲を見回しながら、不安そうな面持ちでエマはそういいました。
「わからない。もうすこし散策してみよう」とタルカが先頭に立ち、町のなかを歩いてみることにしました。
しかし、見通しのきく広い道に出ても、やはりこれといった人通りはなく、荒涼とした様相も変わる気配がありません。
と、そのとき、なにか異様な気配を察知したタルカは、ふと立ち止まりました。
手前にある建物の中から、人のかたちをした黒い影の塊がぬっと現れ、三人の横をゆらりゆらりとただよいながら、ゆっくりとこちらにむかってやってきます。
三人は立ちすくみ、その場から一歩も動くことができませんでした。――黒い影の塊はつぎからつぎへと建物の中から姿を現し、往来をすっかり埋めつくしてしまったのです。
しかしその黒い影のようなものは、ただゆらゆら通り過ぎて行くだけで、だれに害を与えるというわけでもなく、また、こちらから話しかけても、返事ひとつしてくれません。
エマは恐怖のあまりブルブルふるえながら、ジョバンナのからだにしがみついていました。
「この影みたいなものが、この町の住人なのかしら?」とジョバンナがつぶやくようにいいました。
「わからないけど、はやくここを離れたほうがよさそうだ」
タルカたちは逃げるようにその場から立ち去りました。
暗くさびしい路地に入り、しばらくとぼとぼ歩いていると、目の前にある一軒の家屋のとびらが開き、のそのそとだれかが出てくる気配がします。しかし、それはさきほどのような黒い影のようなものではなく、れっきとした人の姿で、ひとりの老人でした。ハンチング帽を目深にかぶり、口のまわりには長くのびた白髭、背中と腰がまがって姿勢はやや前かがみ、そして肩には一挺の猟銃をさげています。
老人は三人のほうにちらりと目をやり、すたすたとこちらにむかって歩いてきましたが、近くまできたところで軽く会釈をすると、そのまま何も言わず通り過ぎて行きました。
いったいどこへ行くのだろう、と気になったタルカたちは、その老人のあとを追うことにしました。もしかしたら、この町のことについて、いろいろと話がきけるのではないかとおもったのです。
老人は町はずれをめざしてまっすぐ歩いて行きます。やがて道は小高い丘にさしかかり、その頂上までたどり着くと、そこには古い監視塔が設置されていました。老人は梯子を伝って見張り台へとのぼっていきます。タルカたちもそのあとにつづきました。
見張り台からのながめは壮観で、町の全景を一望することができました。しかし老人はそんなものにはとんと無頓着で、かばんの中から双眼鏡を取り出すと、それを使って遠く空の向こうをながめているのでした。タルカも目をこらしながら空のかなたを見てみると、そこには鳥とおぼしき物体の影が、大きな群れをなしてびゅんびゅんと飛びめぐっているのがわかります。老人は肩にさげていた猟銃をその鳥が群れている上空めがけてかまえると、引き金を引いてズドンと発砲しました。一瞬、鳥は群れをくずして散開したように見えましたが、すぐにまた集まり大きな群れの形をつくります。老人はふたたびズドンと発砲して、それを何度かくりかえしました。すると、鳥の群れはまたもや散り散りになり、今度は寄せ集まることもなく、みるみる遠ざかってゆくと、やがて空には何も見えなくなりました。老人はかまえていた猟銃をおろすと、双眼鏡を手に取り、遠くの空を念入りにながめています。
三人はその一部始終をじっと見守っていましたが、なぜそんなことをしているのか、その目的が皆目わからなかったため、タルカはおもいきって老人に質問をしてみることにしました。
「あの鳥は、いったい何の鳥なのですか? なぜ発砲して、鳥をおどろかせたりしたのですか?」
老人は双眼鏡から目を離し、タルカたちのほうをちらりと見ると、かばんの中から使い古された煙管を取り出し、刻み煙草をつめて火をつけ、それをぷかぷかとくゆらせながら吸いはじめました。
「あの鳥は、この土地の先住者たちでな。わしらにこの土地を奪われてから、ああして折をみては空を巡回し、町の建物や住人に襲いかかってくる。だからわしは時宜を得て、こうして見張りをしながら彼奴等を追っ払っとるというわけだ」
「じゃあ、あの鳥たちはわるい鳥なの?」と、ジョバンナにしがみつきながら話をきいていたエマがそうたずねました。
「ははは……どうだかな。彼奴等は奪われたものを取り戻したいだけ、わしらはわしらでこの町の平穏を守ろうとしとるだけ……どちらが正しいということもあるまいて」
老人は煙管をコツンと叩き、吸い終わった煙草の灰を灰皿に捨てると、ふたたび双眼鏡を手に取り空をながめはじめました。
「ここは、おまえさんたちのようなモンが来るところじゃあない。帰るところがあるのなら、迷子になる前に、はやく帰ったほうがいい」
その言葉を最後に、老人はむっつりとだまりこんでしまい、もうタルカたちのほうにかまうことはありませんでした。
「わたしたちも、そろそろ汽車にもどりましょう」
ジョバンナがそう言ったので、タルカとエマも同意して、三人は停車場までもどることにしました。
停車場に着くと、汽車はもうもうと蒸気を吹き出し、三人の帰りを今か今かと待ち望んでいたかのようです。
客車のとびらを開けて中に乗り込むと、まもなく発車のベルが鳴り、汽車はけたたましい汽笛の音とともにゆっくりと動きだしました。
停車場はあっというまに遠ざかり、蜃気楼のようにかすんで見えていた町も、まもなく銀河にうかぶ星の集まりのなかに混ざってしまい、もう見分けることがむずかしくなっていました。
(つづく)