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夢のゆくえ -銀河鉄道の夜- ⑦


 第七章 脱走

 船着き場までたどり着いた二人は、さっそくどこかに妹がいないかさがしてみることにしました。
 停泊している船の前にはたくさんの人が列を乱すことなくならんでおり、乗船する順番がまわってくるのをじっと待っています。ならんでいる人たちの顔をみると、大半は老人ばかりにみえましたが、なかにはぽつりぽつりと若い男女や幼い子どもたちの姿も混じっていました。みんなぼうっとうつろな表情をうかべたまま前方だけを見つめ、だれも二人のほうを見向きもしません。ただ、その中に妹らしき女の子の姿は見当たりませんでした。
 行列の先頭のほうでは、まっ黒な汚らしい衣を身にまとった人が、なにやら指示を出している様子が確認できます。おそらくあれがこの船着き場の係員なのだろうと思ったタルカたちは、ひとまずそこまで行って話をきいてみることにしました。
 そして係員がいる場所まで近づき、その姿をはっきりと見たとき、二人はおもわずギョッとして立ち止まってしまいました。
 からだは大柄な人間なのに、顔は毛むくじゃらの山猫だったからです。つり上がった目は角度によってギラリと光りを放ち、口の隙間からはするどくとがった歯がちらちらとのぞいていました。
 山猫の係員は手に持った帳簿をなんども確認しながら、列の先頭にいる人から銅銭のようなものを受け取ると、乗船の許可を出しました。
 船は川の浅瀬に停泊していましたが、その船に乗るための橋や板は掛かっておらず、乗り込むためには川のなかに入らなければなりません。そこでさきほど乗船許可がおりた先頭の人が川のなかに入りますと、足もとからキラキラとかがやくものがにじみ出てきて、川の水と共に流れて行きました。
 ――さきほど老人から聞いた、川のなかに入ると記憶を失ってしまうというのはこの現象のことで、あの流れ出たキラキラと光るものが、おそらく生前の記憶なのだろう、とタルカはおもいました。
 川に入った人は腰もとまで水につかったまま、まっすぐ船まで進んでゆくと、船首にあるはしごから船の上にあがりました。すると、乗り込んだ人の姿はスッと透明になって隠れてしまい、その後どこにいったのか見えなくなってしまったのです。
「おい、そこの二人、横入りはいかん。ちゃんと列の最後尾にならべ」
 ぼんやりとしていたところへ、いきなり山猫の係員が話しかけてきました。
「すいません、ぼくの妹が行方不明になってしまい、さがしているのですが、この船に乗っていたりはしないでしょうか?」
「名はなんという?」
 タルカは妹の名前を伝えました。
 山猫の係員は帳簿をせわしくめくりながら、タルカとジョバンナのほうをなんどもチラリチラリとうかがいました。
「――そんな名前は名簿にのっていない。そんなことよりおまえたち、なんだか少しようすがおかしいな。もっと近くに寄れ」
 いやな予感がしましたが、ことわってよけいに怪しまれてもいけないとおもい、二人は係員のちかくまで行きました。
 山猫の係員は二人のからだに顔を近づけ、鼻をクンクンさせながらニオイをかぎました。そして、急にタルカをゆびさすなり、厳しい口調になって言いました。
「フン、やはりそうだ、おまえ、こちらがわの人間じゃないな。どうやってここまでやってきた。外部の人間は並の手段でここまでやってくることはできないはずだが――」
 と、山猫の係員はふと何か思い当たったことがあるように、三角の耳をピンと突き立てました。
「そういえばついさきほど、ながらく行方不明になっていた三十六号車がもどってきたとの報告があったな。――そうか、おまえたち、その汽車の乗客だな。どうだ、ちがうか?」
 威圧的にせまってくる係員におもわず二人もあとずさりをしました。そのとき、そばにいたジョバンナがタルカの腕をつかみ、耳もとに顔を近づけてささやくように言いました。
「はやくここから逃げましょう」
「でも、そんなことをしたら……」
「彼らにつかまってしまったら、おそらく簡単には解放してもらえない。妹さんがここにいないのなら、いそいで汽車にもどったほうがいいわ」
 たしかにそのとおりかもしれない、とおもったタルカは、ちいさくうなずいて逃げ出すすきをうかがいました。
 係員はじりじりと寄ってきましたが、とつぜん列の先頭のほうでどやどや音がして振り向きました。係員が離れているあいだに、乗船を待っていた人たちがつぎつぎと勝手に川の中に入り、船をめざして歩きだしていたのです。
 あわてた係員がそちらに気をとられている隙に、タルカとジョバンナは走ってその場から逃げだしました。
「あっ! まて、おまえたち! 逃げられるとおもうな」
 山猫の係員は衣の懐からヒヨドリ笛をとりだすと、それをおもいきり吹き鳴らしました。
 笛のカン高い音があたり一面にひびき渡りました。すると、黒いドロドロとしたものが、地面からニョキニョキとたくさんあふれるように出てきました。それはみたところ人のようなかたちをしていましたが、手足が異常なほど長く、四つ這いのままその長い手足を器用に動かし、おぞましい節足動物をおもわせるような素早い動作で二人のあとを追いかけてきたのです。
 タルカとジョバンナは必死になって逃げましたが、恐怖のあまりうしろを振り向くことができませんでした。
 花畑のなかを猪突猛進ちょとつもうしんに駆け抜けると、やがて停まっている汽車の姿がみえてきました。
 タルカは客車のとびらに手をかけ、力任せに開いて中に飛び乗ると、勢いそのままにとびらを閉めました。
 黒いドロドロしたものもあとから汽車に飛びついてきましたが、どうやらとびらを開けて中に入ることはできないようです。
 汽車のなかはガランとしずまりかえり、ほかに人がいるような気配はありません。二人はすぐに汽車を出発させてもらおうと車掌さんの姿をさがしてみましたが、どこにも見当たりませんでした。
 運転室のなかをみても人の気配はなく、このままではこの場から離れることができないと困っていたそのとき、汽車がぐらぐらとゆれているのに気がつきました。車窓から外の様子を確認してみると、さきほどの黒いドロドロとしたものが一箇所にあつまってモゴモゴとうごめき、汽車を線路から押し出そうとしているのがわかります。
 タルカはあわてて運転室にある圧力計やハンドル、バルブなどに目をやりました。
 鉄道会社ではたらきはじめて、まだそれほど期間が経っているとはいえないタルカですが、これまでに何度か職場の先輩につれられて汽車の運転席に入ったことはありました。そこで操作方法や計器類の見方などは一通り教えてもらっていたのです。ただ、じっさいに汽車を動かしたことなどありませんし、教えてもらったとおり操作したところで動くのかどうかもわかりませんでした。それに石炭を投入する焚口戸たきぐちども見当たりませんし、この汽車がなにを動力にして動いているのかもわからないのです。
 だからといってじっとしているわけにもいきません。放っておけば、黒いドロドロに押し出されて汽車が横転してしまうかもしれないのです。
 タルカは教えてもらった手順どおりにスイッチやハンドルを操作してみました。すると、思いのほか簡単に汽車の動力部は動き出しました。燃料である石炭を燃やしているわけでもないのに、煙突や排気管からは大量の煙が吹き出してきたのです。
「動かせるの?」
 ジョバンナがおどろいてタルカに問いかけました。
「まだ見習いだけど、鉄道会社ではたらいてるんだ。できるかどうかわからないけど、動かしてみるよ」
 心配そうに様子を見守っていたジョバンナですが、その言葉で決心がついたのか、「わたしにもなにかできることがあったら手伝うわ」と言って後押ししました。
 タルカが加減弁ハンドルを操作すると、汽車はゆっくりと動き出し、ゆるやかに速度を増してゆきました。
 なんとかその場を離れることができて、ほっと一息ついたのも束の間、開いた車窓から後方の様子をうかがっていたジョバンナが、「まだ追いかけてきてる!」と、さけぶように言いました。
 タルカも車窓から顔を出して後方を見ると、たしかにあの黒いドロドロした生き物がものすごい速度で迫っていました。そして、あっというまに追いつくと、つぎつぎと寄せ集まってひとつの塊になり、その黒いドロドロで最後尾の車両を包み込んでしまったのです。
 さらに、車両を包み込んだドロドロは少しずつ前方にむかってその侵略範囲を広げているように見えます。このままだと、汽車全体があの黒いドロドロに飲み込まれてしまうかもしれません。そうなる前にタルカたちができることはひとつしかありませんでした。
「後部車両の連結器を切り離さないと」
 タルカが迷わずそう言います。
「わたしがやるわ」と、ジョバンナが進んでその役目を買って出ました。
「ひとりじゃ無理だよ。ぼくも行こう」
「でも、あなたがここを離れたらだれが汽車を運転するの?」
 タルカはふたたび車窓から顔を出し、前方を確認するとすぐに車内に引っ込んで言いました。
「線路はずっと直線がつづいているからだいじょうぶ。さあ、いそごう」
 二人は貫通路を通り抜け、二番客車と三番客車をつなぐ連結器を解放する作業にかかりました。タルカがハンドルをまわしてリンクをゆるめ、ジョバンナと協力してフックからリンクを取りはずしました。この方法も過去に職場の先輩から教えてもらったのですが、走行中に車両を切り離した経験などありませんし、なにより非常な危険がともなうこともわかっていたため、作業はきわめて慎重に行われました。そうこうしているあいだにも、黒いドロドロはまるで粘りつく土くれのように少しずつこちらに迫ってきていました。そして、連結器の解放が成功したのと、後方の車両が黒いドロドロにすっかり飲み込まれたのはほぼ同時でした。
 切り離された車両はみるみる速度を落とし、加速する汽車との距離はぐんぐん離れて行きました。もうあのドロドロも追いかけてくる気配はありません。
 ようやく二人は安堵することができました。しばらくその場にたたずみ、心を落ち着かせてから運転室にもどろうとした、そのときでした。
 ずっと直進していた汽車が、急に進路を変えたのです。後方に遠ざかってゆく線路を確認してみると、分岐器によって進路が分かれており、おそらくだれかがポイントを切り替えたことにより、直進する進路からはずれてしまったことがわかりました。なによりまずいのが、その変更された進路の行き先でした。
 汽車はゆるいカーブを描きながら断崖のほうへと向かっていました。そこで線路が途切れていたのです。
 タルカとジョバンナは運転室までもどり、あわててブレーキ操作をしました。汽車はけたたましいブレーキ音と共に車輪から火花を散らしながら減速しましたが、そのときにはもう崖はすぐ目前にまでせまっていました。
 勢いを止められなかった汽車は途切れた線路から飛び出し、暗闇の底へとまっ逆さまに落下してしまいました。







(つづく)