宝石の悪魔 #4
四.
あくる日の夜、オリヴィアはアジルデ王の部屋に呼び出された。なにか嫌な予感がした。近頃の王の様子は常軌を逸している。今日までに、いったいどれだけの無実の人たちが処刑されたというのか。とうとうその嫌疑が自分にまでおよんだのかと思うと、オリヴィアのからだはおのずと固くなった。
王の顔からは、いっさいの感情が感じられない。氷のように冷たい目でこちらをにらみつけている。オリヴィアは自分の足がふるえているのがわかった。でも、気丈な姿勢はくずさなかった。
「なぜわたしがおまえを呼んだのか、わかっておろうな?」
「いいえ、わかりません」
言い返すオリヴィアの語気は強かった。しかし王はまったく動じずに言葉をつづける。
「ふむ、ならばわたしから言い渡そう。わたしの宝石を盗んでいたのはおまえだ。おまえはわたしの宝石を盗み、おそらくスタンリーと共に逃げ出すつもりだったのだろう。本来ならば今すぐここで斬り捨ててやりたいところだが、おまえはわたしの妻だ。なにか弁解したいことがあるのなら聞いてやろう」
「あなたが何をおっしゃってるのか、わたしにはさっぱりわかりません」
王の表情にようやく変化があった。不快と怒りが入り混じった鬼気迫る形相である。
「言葉に気をつけろ。わたしは今すぐこの手でおまえに罰をくだすことができるのだ。正直に言え、スタンリーのやつに命令されて宝石を盗んでいたのだろう」
王は長剣を鞘から抜いて、オリヴィアの首もとめがけて突き出しながらそう言った。だが、それでもオリヴィアはひるまなかった。
「今回の件にスタンリーは何も関係ありません。それに、わたしはあなたの宝石など盗んでいません。それだけははっきりしています」
王の不快な表情はますます顕著になった。そして、隠し持っていた切り札を突きつけるように、冷然とした口調で言い放った。
「わたしは見たのだ。おまえが王宮の外をコソコソと歩きまわり、路地裏に入ったところで男に宝石を手渡している現場を」
この詰問にさすがのオリヴィアも動揺をかくせなかった。しかし毅然とした態度はくずさず、つとめて冷静に言い返した。
「たしかにあなたの言う通り、わたしはこっそりと王宮を抜け出して、一人の男性と会いました。ですが、それは宝石を渡すためではありません。あの方は、わたしのお父様の友人です。あなたの様子が最近おかしいので、助けてほしいという内容の手紙をお父様に渡してほしいと頼んでいたのです」
だが王はオリヴィアの言葉を信じようとしなかった。
「そんなはずはない。おまえはスタンリーをかばうためにそんな嘘をついているのだ。だが、もうそんな心配はいらん。おまえに贈り物がある。受け取るがいい」
王はオリヴィアの目の前に白い布でくるまれた丸いものを放り投げた。それは床の上をころころところがった。オリヴィアの視線は凍り付いたままその白い布につつまれたものにそそがれている。よくみると、白い布には赤黒い血のようなものがベッタリとついているのが見えた。
オリヴィアはふるえる手でその白い布をとりのけると、気が狂わんばかりに絶叫した。
「ああ! そんな、スタン! スタン! なぜこんなことに!」
「わたしを出し抜こうとしてもそうはいかんぞ。おまえたちがわたしを恨んでいることは知っている。おまえとスタンリーの関係を破局にみちびいたのはわたしだ。家来に命じてスタンリーの素性を調べ上げ、あることないことに尾ひれにつけて情報屋に売り込んだのだ。わたしは欲しいものを手に入れるためならなんでもする。おまえも宝石も未来永劫わたしのもの。そうだ、だれにも渡すものか」
王は高笑いしながらそう言い放った。オリヴィアは増悪のこもった目つきで王をにらみつけると、胸がはりさけんばかりに叫んだ。
「あなたは悪魔だわ! 宝石に取り憑かれた悪魔! そんなに宝石が大事? 本当にだれかがあなたの宝石を盗んだと思ってるの? そんなに宝石を盗んだ犯人が知りたいのなら真実を見せてあげるわ!」
オリヴィアは部屋の端まで勢いよく駆けだすと、棚に置いてあった本や雑貨、壺などをすべて払い落とした。するとどうしたことか、散らばった物品のあいだから大量の宝石が飛び散り、あっという間に床の上を埋め尽くしてしまったのである。
王は理解が追いつかなかった。これはいったい、どういうことなのか。
「宝石を盗んでいたのはあなた自身。あなたは夜中になるとうつろな表情で王宮内を歩き回り、金庫の中に入って宝石をつかめるだけつかみ取ると、自分の部屋の中の様々な場所に隠していたのよ。わたしだけじゃない、王宮中のだれもがそれに気がついていたわ。でも、真実を告げられなかった。なぜかわかるでしょう。だってあなたは狂ってるもの。だれのことも信用していない。だれかが真実を話したところで、あなたは聞く耳をもたず斬り捨てていたでしょう」
王はしばし呆然としていたが、しばらくするとまた大きな声で笑い出した。もはや目に入る真実など関係はない。いま王がとるべき行動は、みずからの欲望を満たすために障害となるものをすべて排除するだけである。
「ぜんぶでたらめだ。わたしを陥れようとするおまえたちの策謀だ。不埒な女め、もはや我慢ならん。いますぐここで切り伏せてくれる!」
そう叫ぶやいなや、王は長剣を一気に振り下ろした。剣の切っ先は間一髪で服をかすめ、必死に逃げ出そうとしたオリヴィアは、あわてたあまりドレスの裾をふんずけてしまい、バランスをくずしてたおれてしまった。もはやこれまでとオリヴィアが死を覚悟した刹那だった。
突如、大音声と共に部屋のとびらが打ちやぶられ、大勢の兵士たちたちがなだれこんできたのである。
「なんだおまえたち、こんなことをしてどうなるのかわかっているのか!」
兵士たちは王の恫喝などに耳を貸さず、あっというまに王を取り囲むと、武器を取り上げて拘束した。あきらかに普段の兵士たちとは様子がちがっていた。
「おまえたち、王宮の兵士ではないな!」
「その通りです、アジルデ王」
兵士たちの後ろから声の主が現れた。それはほかでもない、オリヴィアの父、グラント侯爵だった。
「娘から手紙をもらい、すぐさまとんできたのです。アジルデ王、あなたがこのような狂人だと知っていれば、断固として娘と結婚などさせなかったでしょう。あなたの身柄はわたしが預かります。よくて島流し、ですが公開処刑は免れないでしょう」
すっかり無力化された王は、抵抗する気力も残っていなかった。
「あわれですなアジルデ王、あれほど宝石に拘泥していたあなたが、最後はその宝石で身を滅ぼすのですから……」
拘束された王は牢獄に幽閉された。身ぐるみはすべてはがされ、もちろん身に着けていた宝石はすべて没収された。ただ、首から下げていた黒い宝石のペンダントだけは断じて手放そうとはしなかった。それでも兵士たちはむりやりその宝石をもぎとろうとしたのだが、それでも王は必死に抵抗した。やむなく兵士たちはその宝石を奪い取ることをあきらめ、そのまま王を牢獄へと連行した。
じめじめとした湿気のこもった牢獄のなかで、王に話しかけてくる声があった。
「おろかな人間、どうやら賭けはわたしの勝ちのようだ。おまえの命運は尽きた」
王が顔を上げると、いつか見た悪魔が姿が目の前にある。だが王はすぐにまた顔を伏せてしまった。
「わたしは死ぬのか?」
王は力なくそうたずねた。もはやかつての面影はどこにもない。頬はやせこけ、目はおちくぼみ、肌は黒ずんで生気がすっかり抜け落ちている。
「そうだ」
「死んだらわたしはどうなる?」
「きくまでもない、おまえの魂はわたしが喰らいつくす」
「それからどうなる?」
「おまえの魂は二度と光の射さぬ地の底で、地獄の業火に焼かれつづける。並大抵の苦しみだと思うな。せいぜいたのしみにしておけ……」
「いやだ……いやだ……わたしはまだ死にたくない、だれか、助けてくれ……」
翌日、看守が牢獄の見回りに来ると、王の様子がおかしいことに気がついた。すぐさま牢の錠を開け、近くに寄ってみると、すでに事切れ冷たくなった王の亡骸が床に横たわっていた。死因の特定はできなかった。ただ、その表情は苦悶にゆがみ、世にもおそろしい形相のまま息絶えていたということである。
その後、アジルデ王が治めていた国は崩壊し、隣国に吸収合併されることになった。
五年後、グラント侯爵の一人娘、オリヴィアが再婚相手との婚約を発表した。その相手は、裕福な商家の御曹司ということだった。容姿はあまりよくなかったが、温和で柔軟な性格だったためグラント侯爵も結婚に異存はなかった。
そして結婚式当日、披露宴には大勢の参列者が集まった。白いドレスをまとったオリヴィアはとくに美しかった。
「やれやれ、これでようやくわたしも安心できるというのものだ。――おや、オリヴィア、おまえの胸もとにあるブローチ、そんなもの持っていたかな?」
「きれいでしょう? 彼にプレゼントしてもらったのよ」
オリヴィアの胸もとには、黒い宝石がはめこまれたブローチが、あやしい光を放ちながら燦然とかがやいていた。
(おわり)