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宝石の悪魔 #1

 
   一.

 これは、はるか遠い辺境の地、シッカルトという国でのできごと。
 この国を治める君主、アジルデ国王は無類の宝石好きということで名を馳せていた。
 日夜数え切れぬほどの宝石商が、我さきにと極上のオパールやダイヤモンド、オニキスやエメラルドを国王に高値で買い取ってもらうため、王宮を訪れるのである。
 うわさによれば、国王の宝物庫にはすでにありとあらゆる種類の宝石であふれかえっているということだ。しかしそれでも飽き足らず、王はつねによりよい宝石を求めているという。すでに古今東西から最上品と目される宝石を手に入れたとさえいわれているが、王はもはやありきたりな宝石では満足しなかったのだ。王が求めているのは、この世に唯一無二の宝石である。それをさがして、世界中に使節を送っているという噂さえあるほどだ。
 ある日、その王宮の入り口に見慣れぬ風貌の男がおとずれた。王宮内に立ち入ることがはばかられるほどみすぼらしい襤褸を身にまとったその男は、立ちふさがる守衛たちに、自らはしがない宝石商なのですと名乗った。守衛たちは顔を見合わせ、困惑した表情をうかべた。本来ならこのような薄汚い素性もわからぬような男を入れることはまかりならないのだが、宝石商と名乗った以上、無下に扱うことはできない。というのも、アジルデ国王は宝石とおぼしきものを持ってきた者はどんなに怪しげな者でも通せという厳命を下していたのだ。それに背けば罰せられるのは自分たちである。だから守衛たちはこのみすぼらしい男の処遇に迷ったのである。
 守衛たちは話し合った末、結局この男を通すことにした。首尾よく国王への謁見がかなった男は、さっそく自分が持ってきた宝石の数々を差し出した。
 なるほど、たしかにどれも上等な宝石だ。しかし、サファイアにエメラルド、ダイヤモンドにオパール、どれもアジルデ王には見飽きた宝石ばかりである。王が宝石を突き返そうとしたそのとき、その視線は男の胸もとにそそがれた。そこには吸い込まれそうなほど鈍い光を発する漆黒の宝石がはめこまれたペンダントが首からさげてあった。アジルデ国王が男の胸もとをゆびさし、「おい、それは?」とたずねると、男の顔はとたんにゆがみ、血の気がうせてしなびた野菜のようになった。あわてて胸もとを両手で覆いかくすと、「これは、いけません」と消え入るような声で言った。王はすかさず「なにがいけぬのだ?」と追及した。
 あわれな男はもうあとに引けなくなった。よもや、この宝石に目をつけるとは、思いもよらなかったというふうに、男は奇妙なうすら笑いをうかべながらこう言った。
「これは、いわくありげな宝石なのでございます。いくらアジルデ王とはいえ、これをやすやすと受け渡すわけには……」
「ごたくはよい。なぜゆずれぬのか、そのわけを話せ」
「陛下、この宝石には、悪魔が宿っているのでございます……」
「悪魔だと?」
 王はいかにも興味をそそられたというふうに、宝石と男を交互にみた。
「さようでございます。それはもう、おそろしい悪魔なのです。なんでも、この宝石を身に着けたものにはおそろしい災厄がふりかかるとか……。陛下、わたしはこの宝石を、とある古い友人からゆずってもらいました。その者が話すところによると、この宝石の前の所有者は、真夜中にしのびこんできた強盗に、斧で惨殺されてしまったらしいのです。もちろんそれだけではございません。そのまた前の所有者も、海を航海中に高波にさらわれ、帰らぬ人となったそうです。これはもう、ただの迷信と片付けてしまえるものではございません。宝石はつぎからつぎへと所有者を変え、手にしたものにはかならず不幸がおとずれるのです。ですから陛下、どうかこの宝石のことはわすれていただけるよう……」
 王は男をにらみつけながら、だまって話をきいていた。その表情には、いささかの恐怖の色もうかんではいない。
「ふん、もっとまともな嘘は思いつけんのか。仮に、おぬしの言うことが真実だとして、どうしてその宝石を身に着けているおぬし自身が無事でいるのだ?」
「それは……」男はあきらかに狼狽していた。「陛下、おそれながら、わたしはまだこの宝石を手に入れてさほど時を過ごしてはおりませぬ。ひょっとすれば、これからのち、予期せぬ災厄にみまわれる可能性はおおいにございます。そのような危険に、陛下をさらすわけにはいきませぬゆえ……どうかこのことはおわすれくださいますよう、おねがいもうしあげます……」
「ふむ、そこまで言うか」王は親指とひとさし指であごをさすりながらそう言った。しかし、王の態度、雰囲気からはあきらめの様子はみじんも感じられなかった。「ではこうしよう。せめて、その宝石をもっと近くでみせてはくれまいか。それくらいならばかまわぬであろう?」
「陛下、どうかごかんべんを……」男はそれでもかたくなにことわった。
 王の表情からやわらかさが消えた。その目には、欲望に燃え立つするどい眼光が宿っていた。
「わかった、では去れ」王は冷たくそう言い放った。
 男はしずしずと宝石類を片付けはじめた。そして王の前でうやうやしく頭をさげると、背を向けて立ち去っていった。
 男のうしろ姿が見えなくなると、王はそばにひかえていた家臣のひとりを呼びつけ、なにやら耳打ちで指示をだした。家臣は表情ひとつ変えないまま小さくうなずくと、屈強な兵士を五人ほど呼び寄せ、男のあとを追うよう命令した。兵士たちはその命令ひとつでなにもかも心得ているかのように、手際よく散っていった。

 みすぼらしい姿の男は王宮を去ったあと、暗い夜道をひとりで歩いていた。とても静かな闇夜であったが、男は背後から何者かに尾行されていることに気がついていた。そこで、十字路を曲がったところで急に走り出し、建物のすきまに入り込むと、じっと息をひそめてうずくまった。やがて追跡者と思われる男の影が何人か通り過ぎていった。追跡者は男の姿を見失ったことに気がついたらしく、すぐに来た道を引き返していった。
 しばしの静寂。人の気配がなくなり、安堵した男が建物のすきまから出てきた瞬間、男は背後から羽交い絞めにされ、地面に押し倒されてしまった。それを合図に複数の人影が現れると、男の身ぐるみをすべてはぎとった。そして、男の胸もとにある漆黒の宝石に手がのびたところで、男は激しく抵抗した。しかし力づくで宝石がもぎとられると、鋭い刃物で首を切り裂かれ、男はまもなく絶命した。人影はすばやくその場から立ち去り、あとには苦痛で顔が醜くゆがんだまま倒れ伏した男の姿と、あふれ出てくる真っ赤な鮮血だけが冷たい月明かりに照らされていた。

 そのころ、王宮ではアジルデ王が兵士たちの帰りを待っていた。やがて、首尾よく任務を終えた兵士たちが帰還すると、王は狂喜にふるえながら立ち上がった。
「宝石は? 宝石はどこだ? はやくあの宝石をみせてくれ!」
 兵士のひとりが宝石の入った袋を王にさしだした。王は一心不乱に袋のなかをあさった。しかし、王が求めていたあの漆黒の宝石は見当たらなかった。
「おい、あの男の胸もとにあった宝石はどうした?」
 宝石をさしだした兵士は戸惑い口ごもった。その男のふるえる手には、あの黒くかがやく宝石がしっかりとにぎられていた。
「はやくその宝石をわたせ。これは命令だ。逆らうとどうなるか、わかっておろうな?」
 兵士の顔色は真っ青だった。そして、ようやく声をしぼりだしてこう言った。
「な、なりません! 陛下、この宝石はあの男の言ったとおり、のろわれております! いくら陛下といえどもこの宝石をわたすわけには――」
 兵士の言葉はそこでとぎれた。王が腰元から剣を引き抜き、それを一閃になぎはらい、兵士の首を切り落としてしまったからである。からだから切りとばされた兵士の頭は壁ぎわ近くまで飛んでいき、ころころと無残にころがった。頭部を失ったからだはくずれるようにその場に倒れた。
 そして王は、倒れた兵士の手から黒い宝石をもぎとると、恍惚の表情をうかべながらその宝石をみつめた。つややかで傷ひとつない黒い宝石は、醜くゆがんだ王の顔を映し出していた。

 その日を境に、王宮のなかには不穏の空気がながれるようにった。それというのも、アジルデ王の様子が、日に日におかしくなっていったからである。ふっくらと丸かった頬はみるみるうちにやせほそっていき、目の下には大きなクマができていた。そしてその胸もとには、あの漆黒の宝石があやしい光を放っている。王は食事をとるときも、服をきがえるときも、ベッドに入るときでさえも、その宝石をからだから離すことはなかった。だれかが宝石にふれようとしただけでも、王は血相を変えてにらみつけ、乱暴に手を振って打ち払おうとした。
 このような王の異変には、もちろん理由があった。あの黒い宝石を身につけてからというもの、つねにだれかから見張られているような気配が絶えなかったのである。「だれかが、この宝石をうばおうとねらっている……」そう感じて何度も振り返るのだが、背後に人影はない。それでもその気配は、日に日に強く感じられるようになっていた。
 そしてある日の夜、王が床の間で休んでいると、ふと、枕もとで人の気配を感じ、王はガバッと身を起こした。
 四辺はひんやりとした暗闇にしずんでいる。だが、部屋のすみに、怪しき者の気配。それはたしかに人のかたちをしているが、人にあらざるものであることは一目瞭然であった。その証拠に身の丈は常人の倍近く、手足は異形にゆがみ、一対の目から閃く眼光はするどく、射すくめるようにこちらをにらみつけている。さらに、王が大きな声で「何者だ!」とさけんでみても、返事ひとつない。
 王はベッドの上から飛びだすと、そばに置いてあった剣を手に取り、鞘からぬいて勢いよく人外の者に向かって突っ込んでいくと、刃先を何度も振りおろした。しかし、手ごたえはまったくない。王の刃はむなしく空を切るばかりである。やがて、そんな王をあざわらうかのような、おどろおどろしい笑い声が、部屋の中にこだました。
「おろかな人間、己が運命をしらず、威勢だけはいいようだ」
 その声は地獄の底からひびいてくるような、おどろおどろしい声だった。しかし王はひるまなかった。その怪しき者と向き合い、剣をまっすぐ突き出すと、鷹揚な口調で言葉をかえした。
「貴様、何者だ。どうやってこの部屋に入った?」
 対する者はなにも答えなかった。
「ふん、答えずともわかる。だれかが操っているあやかしの類だろう。おまえもわたしの宝石をねらっているのか?」
 それを聞いた怪しき者は、即座にそれを否定した。
「あいにくだがそれはちがう。わたしはおまえの宝石などに興味はない。わたし自身が、おまえの身に着けてる宝石なのだ」
「なんだと?」王は怪訝な表情をうかべた。「それはどういう意味だ?」
「そのままの意味だ。わたしはおまえが身に着けている宝石に宿る悪魔だ。その宝石の所有者しかわたしの姿を見ることはできない」
 王は突き出していた剣をおろすと、大きな声で笑い出した。
「おもしろい、おまえが話に聞いていた悪魔だというのか! それで、わたしをどうするつもりだ? いまこの場でわたしを呪い殺すつもりかね?」
「ざんねんだがそれも見当違いだ。わたしはおまえに危害を加えるつもりはない。ただおまえのそばで、おまえがたどる運命を見届けるだけだ」
「運命だと? じつにくだらん! 運命なんぞ、わたしと何の関係があるというのだ?」
「おまえの命運はすでに破滅にむかって進みはじめているということだ。もはや変更することはまかりならん。わたしはそれを見届けるのみだ。傲慢な人間どもが苦悶の表情をうかべながら、絶望のふちに叩き落される様を見るのは、わたしにとって極上の快楽だ」
 王はまったくひるまなかった。それどころか、挑みかかるようにこう言い放った。
「人の不幸を最上の美酒にするとは、なかなかいい趣味をしている。おもしろい、おまえの予言通り、わたしが破滅の道へと進むのかどうか、賭けでもしようではないか。もし近い将来、わたしが破滅するようなことになれば、我が命でもなんでもくれてやる。しかし、その定められた運命とやらに打ち勝つことができたなら、おまえはわたしの下僕となり、この宝石と共に未来永劫わたしの所有物となるのだ」
 悪魔は不敵な笑みをうかべながら了承した。
「よかろう。おまえが己の運命に打ち勝つことができたなら、わたしはよろんでおまえの下僕となろう。そして、その宝石と共に、わたしは永遠におまえのものだ。しかしもし、おまえがその宝石を手放すようなことになった場合、おまえの魂はわたしが喰らいつくしてくれよう」
「交渉成立だ」王は剣を鞘におさめながら言った。
「わすれるな。わたしは常に監視している。おまえがどのように破滅してゆくのかたのしみだ……」
 そう言い残して、悪魔と思えるものはあとかたもなく消えてしまった。



(つづく)