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夢のゆくえ -銀河鉄道の夜- ⑧


 第八章 汽車の墓場

 ――タルカは夢をみていました。
 ずっと以前、まだ幼かったころの忘れかけていた思い出の一片です。
 母はよく、タルカをつれて近くの自然あふれる林のなかへあそびに行きました。そこでカエデやポプラの落ち葉をひろったり、虫をとったり、木の実をあつめたりした記憶があります。母はそのころからもうあまり体調がすぐれなかったため、しばらくそのあたりを散歩しては休み、散歩しては休みをくりかえしていました。
 そして太陽が傾きはじめる刻限には家に帰り、あそびまわって疲れ果てたタルカはいつも少し昼寝をする日課になっていました。
 眠るとき、母はよく子守唄をうたってくれました。その唄の意味や内容まではおぼえていませんが、うららかな澄んだ声でよく口ずさんでいたそのメロディーだけは、いまでもはっきりと思い出すことができます。
 目をつむりながら、その心地よいメロディーに耳をすましていると、どこか遠くから自分の名前をよぶ声がきこえてきました。
 ――うるさいなあ、ぼくはもっとこの唄をきいていたいのに……と、タルカはおもいましたが、その声はますます明瞭に、大きくひびき渡ってくるようになり、ついにその夢の世界からつれもどされてしまいました――


 タルカが目をさますと、かたわらにはしゃがみこんで心配そうにこちらをみているジョバンナの姿がありました。
「よかった。なかなか目を覚まさないから、心配したのよ」
「ここはどこ?」
 むっくりと上体を起こして周囲を見回しましたが、まっ暗闇でなにも見えませんでした。ただ、背後の少し離れたところには横転した汽車があわれな姿をさらしています。どうやら汽車の運転室から投げ出されたらしいことはわかりました。
「わからない。わたしもついさっき気がついたばかりだから……」
 タルカは立ち上がって横転した汽車の状態を確認してみました。車内の照明が灯っていたため、汽車のまわりだけ、ぼうっとした明かりにつつまれています。つづいて運転室のなかに入ってみました。相当な高さから落下したとおもわれるのに、おもいのほか車体や機関部は無傷にちかく、どこかが壊れているようにはみえませんでした。
「どう? 汽車は動かせそう?」
 いっしょに運転室に入って様子を見守っていたジョバンナがききました。
「故障しているようにはみえないけど、こんなふうに横倒しになってしまったら、どちらにしても動かせないよ」
 タルカはそう答え、どこかになにか使えそうなものがないかとさがしてみたところ、足もとに短い棒のようなものをみつけたので手に取って調べてみると、それは懐中電灯でした。スイッチを入れると明かりが灯るので、まだ使えるみたいです。
「このあたりを探索してみよう。ここを脱出する手段がみつかるかもしれない」
 タルカとジョバンナは運転室から外に出て、懐中電灯の明かりをたよりに汽車から離れて行きました。とはいえ、心もとない懐中電灯の明かりでは、足もとを照らすのが精いっぱいで、そこから先は千尋ちひろの暗闇がひろがり、わずかばかりの光は目先のところで吸い込まれてしまいます。そのうち、ここが地獄の底なのではないかとおびえはじたのは、いかにも道理というほかないでしょう。それでもいまは先に進むしか方法はありません。
 やがて行く手に、なにやら大きなものが立ちふさがっていました。懐中電灯で照らしてみると、それは黒いゴツゴツしたもので、なにか大きな建造物のかたまりのようにも見えます。もっとくわしく探ってみると、それがボロボロに朽ち果てた蒸気機関車の残骸ざんがいだということがわかりました。
 それも、残骸はいたるところに点在しており、ここには幾両もの汽車が勤めを終え、永遠の眠りについているようにみえます。
「まるで汽車の墓場みたい……」
 ジョバンナがぽつりと言いました。タルカもまったく同じ印象を受けました。
 しばらくその辺りを歩きまわり、なにか使えそうなものがないかさがしてみましたが、みつかるのはこわれた機械の破片と、ばらばらに散らばった車両の残骸ばかりで、実用的なものはなにひとつ見当たりません。
 そのとき、ジョバンナが何かに気がついて立ち止まり、少し遅れてタルカも、どこかでだれかがコソコソと話し合うような声がきこえた気がして立ち止まりました。
 どうやらその声は、たくさん積み重なった汽車の残骸にうずもれた場所からきこえてくるようです。タルカとジョバンナはおそるおそる残骸の隙間すきまをたどって行くと、ぼんやりと灯るアセチレンランプの明かりがみえてきました。話し声はそこからきこえてくるようです。二人は物陰に身をかくしながら、その明かりが灯っている場所をのぞきみると、そこには薄汚い服を着た人相のわるい二ひきの大きなネズミが、なにか言い争っているようでした。
「ちくしょう、なんでおれたちがこんな目にあわなくちゃいけねえんだ」
「やっぱり、わるいことはするもんじゃないんですよ。地道にはたらいてりゃ、こんなことにはならなかったんだ」
「ふん、おまえも鉱山の仕事はキツくてたまらんとあんなに嘆いていたじゃねえか。しかし、たまたまみつけた小さな人間の女の子が、あんな高値で取引できるとは思わなんだ。あの金額ならだれだってよだれを垂らして取引に応じるだろうさ。おまえだってずいぶん乗り気だったじゃねえかよ」
 タルカとジョバンナは、ネズミたちの会話に出てきた『小さな人間の女の子』という言葉に反応して、顔を見合わせました。
「でもあれが原因で保安官に追い回されたあげく、ちかくにあった作業車両を盗んで逃亡したまではよかったのに、アニキが無茶な運転をしたせいで崖の下へまっ逆さま。奇跡的に車両もオイラたちも無事だったものの、このまま上にあがれないんじゃ、もう一巻のおわりですぜ」
「ばかやろう、無駄口たたいてるヒマがあったら、なんとかして上にもどる方法を考えやがれってんだ」
 ここでネズミたちの会話は途切れ、しばし沈黙の間がおとずれました。タルカとジョバンナは互いに小さくうなずきながら合図し、このタイミングしかないというところで、ネズミたちの前におどり出ました。二ひきのネズミはおどろいてひっくり返りそうになりました。
「な、なんだおまえたちは!」
 えらそうなネズミが大きな声でそう言いました。
「おい、おまえ、さっき『小さな人間な女の子』といったな、それはどんな女の子だ。おまえたちは人さらいか?」と、タルカが詰問きつもんします。
「なんでそんなことをおまえらみたいな小童こわっぱどもに話さなきゃならんのだ」
「正直に言え、言わないと……」
 タルカはちかくに落ちていた鉄の棒を手に取り、振りかぶる動作をみせました。
「ま、まて! 言う、言うからまて。ボウリョクはよくない」
 えらそうなネズミはダラダラ汗をながしながら降参しましたので、タルカも構えていた鉄の棒を下ろしました。
 そしてネズミたちは、自分たちがしでかした悪事をすべて話しました。
 二ひきのネズミはもともと鉱山ではたらく作業員だったのですが、仕事が重労働なのになかなか賃金が上がらないことにかねがね不満を抱いており、偶然知り合った悪い仲間の誘いにのって人さらいの依頼を請け負いました。そこで彼らは動物たちのあつまる町で開かれるお祭りに目をつけ、めぼしい小さな子どもをさがしていたところ、広場のほうで人間の女の子がひとりでうろうろしているところを見つけ出し、これはうまいぞ、と大よろこび。口車くちぐるまにのせてつれさることに成功しました。
 ――そこまで話をきいて、その女の子が妹にまちがいないことを確信したタルカは、追及するようにたずねました。
「その女の子はどこにつれていったんだ、だれに引き渡した?」
「へえ、おれたちがはたらく鉱山の町で、とある人間の夫婦が女の子を引き取りたいと言ってきたんで、まあ、どうしようか迷っていたところ、提示された金額をみたら……へへへ、まあ、そういうことです」
「ここから出られたら、すぐそこへ案内しろ」
「そりゃあもちろん、案内したいのはやまやまですがね……見てのとおり、おれたちもここから一歩も動けんのです。なんとか脱出しようと、暗闇のなかをさんざん歩きまわったんですが、出口ひとつ見つからないという始末でして……」
 と、ここでジョバンナが話に割り込んでくるかたちで口を開きました。
「あなたたち、さっきここに落ちてくる前に、車両に乗っていたって話していたけれど、それってどんな車なの? まだ動かせる?」
 えらそうなネズミは怪訝けげん面持おももちで目をぱちくりさせながら答えます。
「へえ? そりゃあ、鉱山で使っている作業用の特殊な車両だから、立派なもんですよ。大きなものを吊り上げたり、地面や岩盤に穴を掘ったり、そんじゃそこらの車両とはパワーがくらべものになりゃしません。それに車体も傷ひとつないくらい無事で、落ち方もよかったため今も動かすことはできますが、もう燃料が尽きかけてるんで動かしたところで役には立たんでしょう。でも、それがどうしたってんで?」
 にわかにジョバンナの表情が明るくなって、タルカのほうをみました。タルカも、ジョバンナの考えていることがわかって小さくうなずきました。
「ねえ、あなたたち、その車両をつかって、横転した汽車をもとにもどしてほしいんだけど、できるかしら?」
 二ひきのねずみはおどろいた顔をして目をぱちくりぱちくりさせます。
「そりゃあ、できるとはおもいますが、こわれた汽車を起こしてどうするんで?」
「わたしたちが乗っていた汽車はまだこわれていないの。もとにもどしてくれたら、きっとまだ走れるとおもう」
 ネズミたちはまだ半信半疑といったようすでたがいに顔を寄せ合い、コソコソ相談をはじめました。
「もとにもどしたとして、線路もない暗闇のなかを、汽車がいったいどうやって走るってんだ?」
「でもアニキ、銀河鉄道の汽車は、ふつうでは考えられない、ふしぎな力があるっていいますぜ。ひょっとしたらひょっとするかも……」
「ばかやろう、そんなこと信じられるか、もしあいつらがウソを言っていたらどうする……」
 しばらく二ひきのねずみはああだこうだと言い合っていましたが、やがて意見がまとまったらしく、タルカとジョバンナのほうをむいて言いました。
「わかった、とりあえずやってみましょう。どうせこのままじゃおれたちはここでお陀仏だぶつなんですからね」


 タルカとジョバンナはネズミたちに案内されて、彼らが乗っていた車両のところまでやってきました。
 たしかにそれはみたところ、物を吊るすためのクレーンのほかに、地面や岩を掘るための掘削機なども搭載されている、かなり大がかりな車両のようでした。
 車の運転と倒れた汽車を起こす作業はネズミたちが担うことになりました。さすがに鉱山で鍛えられた経験があるためか、ネズミたちはてきぱきと手際よく作業をこなしてゆきます。ワイヤーとフックを器用に使って作業車両のクレーンと汽車をつなぎ、動力を最大にして引っぱり起こそうとしましたが、さすがに一筋縄ひとすじなわではいかないとみえ、作業にはかなりの手間と時間を要しました。何度か試行錯誤をくりかえした末、どうにか汽車をもとの状態にもどすことができましたが、車両の燃料はすっかり尽き果て、もう二度と動かすことができなくなりました。
 さて、こんどはタルカたちが汽車を動かす番です。
 おもっていたとおり汽車はどこも故障しておらず、タルカが運転室で操作をすると、まるで息を吹き返したように周囲は白い蒸気につつまれました。
 さらにおどろいたことはそれだけではありませんでした。それまでなにもなかった暗闇の空間に、まるで魔法のようにパッとかがやく線路が出現したかとおもうと、その線路はゆるやかな傾斜をのぼってゆくように、はるか上の方まで続いています。
 タルカとジョバンナ、それから二ひきのネズミたちはたがいに手を取り合ってよろこびました。
 ネズミたちは後部の客車に乗りこみました。汽車は盛んに蒸気を噴き出しながら、ゆるゆると出発しました。
 そして速度を増した汽車は暗闇のなかをぐんぐん上へとのぼって行き、ついに、深い谷の底から脱出することができたのです。







(つづく)