うみぼうず

 その少年が語ったところによると、海にはとてもおそろしい生物がいて、夜、ねむらずにいる悪い子を見つけると、その布団をはぎとって食べてしまうらしいというのだ。そいつがどうも『うみぼうず』という名前らしく、少年もまだその姿を見たことはなかったのだが、背の丈は五歳か六歳くらいの子どもと同じくらいの小柄な体躯で、まるで海藻のようなぼさぼさの長い髪の毛が顔じゅうを覆っており、そのすき間からまんまるい目がぎょろっと光っている。口はちいさな子どもくらいなら丸呑みできてしまうくらいでかく、動きもとても俊敏らしい。
 少年は、それを祖母から聞き、容姿や特徴はその『うみぼうず』という名前から連想してでっちあげたものだが、夜ねむれぬ時など、弟にこの話をして恐がらせてやるのが楽しみだったのだ。田舎の実家の目の前が海に面しているということもあり、これが思いのほか効果てきめんで、弟はそれを聞くと恐怖のあまりおびえて布団の中にもぐりこんでしまうのだった。しかし少年はおもしろがってなおもその話を続ける。
 やがて夜も更け、みんなが寝静まったころ、少年はふと小便がしたくなって目が覚めた。あたりはしんと静まりかえって、近くから弟と祖父と祖母の寝息だけが聞こえるだけだ。だが、なにか様子がおかしい。
 寝室を出た渡り廊下では、オレンジ色の電燈がぼんやりと灯っている。その明かりの向こうから、ヒタッ、ヒタッ、となにかが歩いてくるような音が聞こえる。少年はじっと食い入るように明かりのほうを見ていると、黒い影がぬっと伸びて大きくなった。
 少年はハッとして布団にもぐりこんだ。そしてなるべく気配をたてないように息をひそめた。ヒタヒタという音はどんどんこちらへ近づいてくる。そしてとうとう少年の布団の前でその音が止んだ。
 少年は恐怖のあまりガタガタふるえながらじっと息をころしていた。
「どうか食べるなら弟のほうを食べてください……」なんどそうつぶやいたかわからなかった。
 しかし、どれだけ待てどなにも起こる気配はない。少年はおそるおそる布団から顔を出してみると、目の前にはだれもいなかった。
 ただ、渡り廊下の扉は開いたままになっており、窓も開け放されて潮風がゆるやかにカーテンのひだを揺らしていた。遠くから潮騒が聞こえてくる。少年は動くことができず、ふたたび布団にくるまっているうちに、ふたたびねむりに落ちてしまった。
 翌朝、なにか変わったことがあったとすれば、黄色い染みのできた布団が物干し竿に掛かっていたことぐらいである。少年は昨夜見た奇妙なもののことを話そうとしたが、けっきょく胸のうちにしまいこんでおくことにした。だってそうだろう。「うみぼうずを見た!」といったところで、だれが信じてくれるというのか。


(おしまい)