サルノカミ #2
ある日、すっかり陽も沈み、夜の帳が下りて、森の中を静寂と暗闇がつつみこむ刻限になっても、食料を調達しに出て行った忠吉は帰ってきませんでした。いつもなら多少帰りがおそくなろうと気にならない平治でしたが、その日は妙な胸さわぎをおぼえ、落ち着きなくねぐら付近をうろうろと歩きまわっていたのでした。
そのとき、背後の茂みでなにかが動いた気配がしました。平治はびくりと身をすくませ、闇の奥にじっと目をこらして、必要とあらばいつでも逃げ出せるように体をこわばらせました。
やぶの中からぬっと現れたのは忠吉です。それも全身血まみれで、いたるところ傷だらけ、息もたえだえに足を引きずって、暗闇の中から出てきたのです。
平治はびっくりして、忠吉のもとへ駆け寄りました。
「兄さん! 兄さん! いったいなにがあったんだい!」
忠吉はその場にぐったりと倒れると、恨みがましくこう言いました。
「ちくしょう……、人間どもめ、執拗におれを追い回したうえ、罠にかけやがった。からくも逃げおおせたものの、この有様だ」
またもや人里までぬすみをはたらきに行った忠吉でしたが、業を煮やした人間たちがただ黙って見過ごすはずがありません。その日はいつにも増して罠を仕掛け、見張りの人数も多数配備していました。ほんらいこのような状況ならあきらめるところなのですが、そこは無鉄砲なことで名をはせた忠吉。愚鈍な人間どもめ、おれを捕まえられるものなら捕まえてみろと、大立ち回りをくりひろげたのですが、あと一歩のところで捕まってしまい、メッタ打ちにされてしまったのです。
平治は泣きじゃくりながらも忠吉を寝床へはこび、必死に手当てをほどこしました。忠吉の苦しげにうめく声は、その晩途絶えることはなく、平治はただただその傍ですがるように様子を見守っていたのです。やがて、気の落ち着かなくなった平治は、ありったけの食料をかかえてお地蔵さまのところへ跳んでゆくと、なんども頭をさげて祈りました。
「神様、兄はおろかな猿でございます。今まで罪深いおこないを幾度となくくりかえしてまいりました。神様がお怒りになるのも当然のことです。ですが、このたびは、どうかこのたびだけはお赦しください。兄はもう十分な報いは受けたと思います。どうかお赦しください……」
平治の赦しを請う祈りの声は、忠吉の苦しみあえぐ声とまざりあって、夜の静寂の中にいつまでもこだまし続けていました。
やがて夜が明け、平治はいつのまにかお地蔵さまのまえで眠りこけていました。はっと目をさますと、あわてて忠吉の様子をうかがいに行きました。
忠吉はやすらかな寝息をたてて、深い眠りに落ちているようでした。どうやら峠はこえたと見えて、平治もほっと胸をなでおろします。平治はお地蔵さまのところへ戻り、ありがたや、ありがたや、と何度も頭を下げてお礼を言いました。
太陽がすっかりのぼったころ、忠吉はようやく目を覚ましました。まだ傷は相当に痛みましたが、なんとかゆっくり起き上がってみると、近くに誰の姿もありません。ただ、忠吉の寝ていたかたわらには、ひと盛りの木の実が置かれていました。
しばらくすると、平治が戻ってきました。
「これはおまえがとってきたのか?」
忠吉は木の実をひろい上げて言いました。
「うん、だいぶ頑張ったんだけど、こんだけしか採れなかったんだ」
よく見れば、平治の手にはわずかばかりの木の実と、色とりどりの花束が抱えられています。忠吉はいぶかしげにその様子をうかがいました。
「ああ、これはね、サルノカミさまへのお礼のお供え物だよ」
「サルノカミ?」
「兄さんが早くよくなりますようにって、ずっとお祈りしてたんだ。あれはきっと、ぼくたちの守り神だよ。ぼくはあのお地蔵さまに、サルノカミって名前をつけたんだ」
忠吉はお地蔵さまの方へ目をやりました。手入れされてすっかりきれいになったお地蔵さまは、にこやかな表情をこちらに向けています。もともと信心深くもない忠吉でしたので、こんな石くれの像にそのようなご利益があろうなどと信じきったわけではありませんが、その日は平治に対して悪態をつくこともなく、ただ黙って痛むからだをいたわるようにして、また床にふせってしまいました。
(つづく)