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夢のゆくえ -銀河鉄道の夜-
第一章 プロローグ
「――それはなつかしい星めぐりの歌を、くりかえしくりかえし歌っているにちがいありませんでした。ジョバンニは、それにうっとり聞き入っておりました……」
「……カムパネルラは、そのあとどうなったの?」
物語を読み終えたとき、妹のエマがそうたずねました。
「そうだなあ、たぶん、銀河のはるかむこうがわにある、とてもとても遠いところへ行ったんじゃないかな」
兄のタルカは、やさしくほほえみながらそう答えます。
「さあ、もうおやすみ。すこしねむって、目がさめるころには、これからぼくたちが住む町に着いているはずだよ」
タルカはパタンと本を閉じて、それをかばんのなかにしまおうとしました。すると、ちいさな紙切れがはらりと床の上に落ちました。なんだろう、とおもって紙切れをひろいあげてみると、それは一枚の切符でした。
(おかしいな、鉄道の切符はもってるはずだけど……いったい、いつの切符だろう)
ひろった切符をよくよくしらべてみると、たしかに文字と数字らしいものが印字されていましたが、それは見たこともないような言語で、日付やどこからどこまで行くものなのか、まったく読み取ることができませんでした。
しかし、形状や紙質からみても切符にまちがいありませんし、いつか買ったものをそのままわすれて本にはさんでおいたのかもしれないとおもったタルカは、その切符をじぶんの財布のなかに入れておきました。
「まだねむくないんだもん。もっとなにか本を読んでよ」
毛布にくるまりながらエマは言いました。
「本はこれ一冊しかないんだ。町についたら、新しい本を買ってあげるから、いまはもうおやすみ」
「ほんとう?」
「うん、やくそくするよ」
エマは座席の上に両足をあげて横になると、目をとじてやすらかな寝息をたてはじめました。
妹がねむったことを確認したタルカは、ガタンゴトンとゆれている汽車の車窓から、ながれる外の景色をながめました。
すっかり夜もふけた刻限の空には、ぼんやりとかすむようにうかんでいる満月のほかは、とくに見るべきものはありませんでした。それでも暗闇に目がなれてくると、冴えわたった夜気のなかに、ちらちらと星の光がまたたいているのがわかります。そしてそれをじっとながめていると、まるで星の海のなかをおよいでいるような、なんともいえないふしぎな気分になるのでした。
――兄妹は戦災孤児でした。
父は鉄道会社ではたらいていましたが、戦争がはげしくなり、多国間の情勢がおもわしくなかったころ、勤務中に輸送拠点をねらった爆撃機にねらわれ、鉄道は甚大な被害を蒙ったうえに多数の犠牲者が出ました。タルカとエマの父も、その犠牲者の内のひとりでした。
当時、タルカはまだ幼く、妹のエマはうまれて間もないころのできごとです。
夫の死が告げられると、かねて胸に病をかかえていた母は、そのまま床に臥せってしまい、病状は日増しに悪くなっていきました。そして、夫のあとを追うように、兄妹の母もまた、若くして亡くなってしまったのです。
そのため、タルカとエマは両親の面影をほとんどおぼろげにしか思い出せませんでした。母は病床に臥せっていた期間が長く、また、父は仕事や用事で頻繁に家を空けていたため、両親は幼い子どもたちとゆっくり顔を合わせる機会がないままいなくなってしまったのです。
その後、たった二人取り残された兄妹は、父の兄である叔父夫婦に引き取られることになりました。
さいわいなことに、叔父夫婦はとても善良な人たちで、夫婦のあいだに子どもがいなかったため、幼い兄妹はあたたかくむかえられました。
そして月日はながれ、すくすくと成長した兄妹は、地元の学校に通うようになっていました。ちょうどそのころ、タルカの胸の内に、ある希望が芽生えはじめていたのです。
それは、学校を卒業したら、亡くなった父とおなじように鉄道会社ではたらきたいという希望でした。タルカは、父が鉄道会社ではたらいていたことを、叔父から話をきいて知っていました。ですから、じぶんも大人になったら汽車の機関士、または車掌などの仕事につきたいとおもっていたのです。
学校が終わると、タルカは帰りの道すがら、かならず近くの駅に立ち寄り、走る汽車のすがたを見送るのが日課になっていました。煙突からもくもくとけむりを吹き出しながら、けたたましい汽笛の音を合図に、次なる目的地をめざして汽車は線路の上を走り去っていきます。タルカはいつもその様子をあこがれのまなざしでみつめているのでした。
そして、いよいよ学校の卒業が間近にせまったとき、タルカはその希望を叔父夫婦に打ち明けました。ですが、叔父夫婦はその申し出に難色を示しました。その言い分はつぎのようなものでした。
「希望を尊重してやりたい気持ちはあるが、鉄道の仕事は重労働なうえ、つねに危険ととなり合わせだ。おまえには、亡くなったわたしの弟とおなじような悲惨な道をたどってもらいたくはない。できれば学業に専念して、教師や医者にでもなってくれれば、よほど安心できるのだが……」と、そう訴えたのです。
これに対し、タルカも自分の意見をのべました。
「鉄道の仕事がきつくてあぶない仕事だというのは、重々承知のうえです。それに、じぶんの学校の成績では、教師や医者などにはとうていなれないでしょう。学費だってずいぶんかかるし、これ以上叔父さんたちにめいわくをかけるよりは、はやく独り立ちして、妹やみんなの生活の助けになったほうが、ずっと気が休まります――」
タルカの強い意志と決意をくみとった叔父夫婦は、なんども話し合いをかさねたすえ、その申し出を受け入れることにしました。
ちょうど叔父の古い親友が鉄道会社につとめていたので、事情を話して、その会社ではたらかせてもらうことで話がまとまったのです。
しかし、その会社はタルカたちがすんでいるところからずいぶんと離れた町にあったため、タルカは学校を卒業すると同時に叔父夫婦の家を出ることになりました。そこで問題になったのが妹のエマのことです。
エマはなにがあってもぜったいに兄と離れたくないと泣いてうったえました。でも、エマは今年学校に通いはじめたばかりです。タルカと叔父夫婦はなんとかなだめて説得しようとしましたが、エマはまったくいうことをきこうとはしません。一同はすっかりこまりはててしまいましたが、そんなとき助け舟をだしたのが、叔父のおくさんでした。
おくさんの姉が、その町で下宿屋を経営していたので、兄妹をその下宿屋に住まわせてもらうのはどうか、と提案したのです。ちかくには学校もあるし、姉にはエマとおなじ年頃の子どももいるから、いろいろとめんどうも見てくれるだろうと言いました。それなら、と叔父もタルカも納得して、兄妹は叔父たちの家を離れることになったのです。
そしていよいよ出発の日がやってきました。駅まで見送りにきた叔父夫婦に感謝のことばをのべながら、兄妹は汽車に乗りこみました。
「病気やケガにはくれぐれも気をつけてな」
「むこうに着いたら手紙で知らせておくれよ」
叔父とおくさんは最後にそう言いました。おくさんはハンカチでなんどもなみだをぬぐいました。
けたたましい汽笛の音が鳴り響き、煙突から盛んに蒸気をふきだしながら、汽車はのろのろと動きはじめました。みるみる遠ざかってゆく叔父夫婦にむかって、兄妹はいつまでも手をふって別れをおしみました。
――夜が明けるころ、タルカは目をさましました。
車窓にもたれかかりながらいつのまにかねむっていたタルカは、重たいまぶたをこすりながら外の景色をながめました。
東の空がうっすらと白んでいるのがわかります。暗闇にしずんでなにも見えなかった景色が露わになってきました。なだらかな平原にぽつりぽつりと人家や牧場の柵などが混じりはじめ、町に近づくにつれて建物の数は増えていきました。そして朝日がのぼるころ、すっかりにぎやかになった町の中心で汽車はゆるやかに速度を落とすと、まもなく停車しました。タルカは荷物をまとめると、ねむっていた妹を起こして下車しました。
駅の構内はたくさんの人でごったがえしていました。出稼ぎから帰ってきた父親を出むかえるお母さんと、そのまわりをはしゃぎまわるちいさな子どもたち、これから遠くの町へ仕事にむかう夫とそれを見送る若い女性、大きな荷物をかかえながらあわてて汽車に乗りこもうとする中年の男性……駅にはさまざまな人生がせわしく行き交っています。
タルカはかばんの中から地図を取り出し、現在の位置とこれからむかう下宿の位置を確認しました。叔父のおくさんの姉が営む下宿は駅からそう遠くはありません。じゅうぶん歩いていける距離だったので、むかえはいらないとあらかじめ連絡しておいたのです。
にぎやかな街の雑踏にまざりながら、兄と妹は下宿をめざして歩きだしました。
途中、商店の飾窓にならぶ、めずらしげな商品が目に入るたび、エマは立ち止まってそれをじっとながめていました。
「いつかお兄ちゃんが買ってあげるよ。さあ、いそがなくちゃ」
タルカはそう言うと、エマの手を引いて歩を進めました。
二人がめざす下宿は、閑静な住宅地の片隅にありました。戸口の前で、おくさんの姉のレイチェルおばさんが兄妹の到着を今か今かと待っているのが見えました。
「よかったよかった。そろそろ着くころなんじゃないかとおもっていたんだよ」ずんぐりとしたからだのレイチェルおばさんは相好をくずして言いました。「手紙にむかえはいらないなんて書いてあったけど、それじゃあんまり愛想がないとおもってねえ。やっぱりむかえに行ってあげたほうがいいんじゃないかって、うちのダンナともめていたんだけど、まあ、無事に着いてよかったよ」
「これからお世話になります」
タルカは丁重に頭をさげながらそう言いました。エマは兄のうしろにかくれたまま、モジモジして顔をふせています。
「ほら、ちゃんとあいさつしなきゃだめじゃないか」
「いいんだよ」おばさんは快活に笑いながら言いました。「二人とも、ずいぶんと大きくなったねえ。最後に会ったとき、エマちゃんはまだ生まれたばかりの赤ちゃんだったからね。あたしのことをおぼえていなくて当然だよ。さあさあ、はやく中に入りな、あんたたちの部屋に案内するよ」
おばさんが先立って家の中に入ると、兄妹もそのあとにつづきました。
家の中はかなり古びた造りになっていましたが、全体はおもいのほか広く、きちんと掃除や整理整頓が行き届いており、家具や調度品も必要最低限のものしか見当たらなかったため、ずいぶんとさっぱりした印象をうけました。
現在、この下宿には上級学校に通う貧しい若者がひとりと、夫を亡くして自由に暮らしている老婦人がひとり住んでいるだけだとレイチェルおばさんは言いました。
広間を通りぬけて廊下を進み、突き当りのとびらを開けると、そこが兄妹の寝泊まりする部屋でした。きゅうくつというほどではありませんが、ベッドがふたつと、机と椅子以外はなにもない質素な部屋です。それでも、これから新しく生活をはじめる二人にとっては、じゅうぶんといえる部屋でした。
「なにか必要なものがあったらいつでも言ってちょうだいね。それから、夕食は広間で下宿人と家族が全員集まってすることになっているから、遅れないようにね」
そう言うとおばさんはいそいそと部屋を出ていきました。タルカは荷物を床におろすと、さっそく荷ほどきをしました。
明日にはもう鉄道会社ではたらくことになっています。エマはレイチェルおばさんといっしょに学校の転入手続きに行く予定でした。
タルカの瞳は希望にかがやいていました。がんばって少しでもお金をかせぎ、妹になんでも好きなものを買ってあげたり、望むものをかなえてあげられる未来を思い描くと、活力がみなぎってくるのがわかりました。
荷物の整理が終わるとちょうど夕食の時間になったため、兄妹は広間に移動するとほかの下宿人やおばさんの家族にあいさつをして、共に食事をとりながら話に花を咲かせました。そして、その日は早めに部屋に戻ると、いそがしくなる明日にそなえてねむりにつきました。
(つづく)