思い出配達人
これからいたしますのは、わたしが犯してしまったとある罪科のおはなしです。
もっとも、いまさらこんなことを語ったところで、この物語の結末が変わるわけでもなし、まして、その罪が許されるというわけでもありますまいが、このおはなしを誰かに聞いていただくことで、いくぶんかでもわたしの心が軽くなるならばと、いまこうしてみなさまの前で語らせていただいている次第なのであります。
これはわたしが勤めていた仕事に関連するおはなしで、わたしの職業は『思い出配達人』でございました。
はい、そうです。わたしが配達していたのは、まぎれもなく皆様が胸のうちに後生大事にしまいこんでおられるであろう、あの『思い出』なのでございます。
『思い出』を配達するといっても、いまいちピンとこないという方も多いかもしれません。そもそも人の目には見えるはずもない、形をなさぬ『思い出』などというものをどのようにして配達するのかと思われるかもしれません。
しかし、真実に純粋で深く人の心にとどまっている『思い出』というものは、けっして色褪せることも霞んでしまうこともなく、かがやく結晶のように凝固して、いつまでも残っているものです。わたしたちはその『思い出』の結晶を依頼人の胸のうちから取り出し、宛先にとどける、その思い出を受け取った人は、送り主の思い出を直接イメージとして垣間見ることができる。そういう仕事を生業としていたのであります。
あなたの疑問はわかります。各人が胸のうちへたいせつにしまっておいた『思い出』を、わざわざ他の人に譲渡し、共有する理由がわからないとおっしゃりたいのでしょう?
もちろん事情は人それぞれ異なりますし、守秘義務もあるためそれを詳しく述べるわけにはいきませんが、ただひとつ説明するならば、わたしたちの顧客が依頼する受取人の大半は、もうすでにこの世から去っているということでありましょうか。
はい、そのとおりでございます。思い出の届け先の大半は、すでに死別した相手ということになります。それはそうでございましょう。生きているもの同士の思い出の共有は、それほどむずかしいことではありませんが、すでにこの世から去っているものと思い出を共有することは、たやすいことではありません。
なぜわたしたちにそんなことが可能なのか? それは簡単なことでございます。わたしもすでにこの世のものではないからであります。
この仕事に従事するものは、特例としてあの世とこの世を行き来する許可が得られます。ですから、わたしはあの世にいる人ともこの世にいる人とも、自由に交流がもてるというわけであります。
さて、その日もわたしはいつものとおり依頼を受け、顧客から思い出を預かりました。
その依頼人は、まだ年端もいかぬ女の子でございました。そしてその思い出の届け先というのが、天国にいるお母さまにということでした。幼くして死別してしまった母親に、これまでの楽しかった思い出を見せてあげたいというのです。それはもう、純粋な思いをこめた女の子の思い出ですから、その思い出の結晶も、目をみはるほどうつくしいものでありました。
わたしはゆずり受けた思い出をこわさないようたいせつに鞄の中へしまいこみ、次の依頼人のもとに向かいました。一日に引き受ける依頼の数はだいたい十件から十五件といったところでしょうか。意外に少ないと思われるかもしれませんが、もちろんわたし以外にも配達人はおりますし、あまり多く預かっても予期せぬトラブルや安全性などの問題もありますから、だいたいいつもそのくらいの件数なのでございます。
それからわたしはあの世へと向かい、受け取った思い出を宛先に配達するのでありますが、これもいつもこなしている業務のひとつですから、その日もこれといったトラブルが起こることはなく、配達は万事順調に進んでおりました。
そしてその日の配達もいよいよ終わりにさしかかり、最後はあの女の子の思い出をお母さまに届けるのみとなりました。ところが鞄に手を伸ばしたとき、信じられないようなことに気がつきました。
そう、ほかでもない、あの女の子から預かった思い出が、あの特別うつくしかった思い出の結晶が、どこにも見当たらないのです。
わたしはあわてて身のまわりを探してみましたが、ついにみつかることはありませんでした。どこかで気がつかないうちに落としてしまったのか、それとも、道中で何者かに盗まれてしまったのか……。
わたしはすっかり狼狽してしまいました。長い間この仕事に従事しておりましたが、このような事態ははじめてのことでございました。
そこでわたしは鞄の中から一冊の帳簿をとりだし、その日配達してまわった宛先の氏名を確認してから引き返し、間違った思い出を配達していなかったか、もしくはどこかでそのような思い出の結晶が落ちているのを見かけはしなかったかとたずねてまわりました。たずね終わった氏名には赤いペンで丸印をつけていきましたが、とうとう帳簿の最後の名前に赤丸がついてしまいました。
さて、いよいよ困ったことになりました。依頼人の大事な思い出をなくしてしまったとなれば、これはもう重大な配達事故です。上司に報告すれば、叱責で済めばまだ良いほう、最悪、この仕事を解雇されてしまうということだってありえるでしょう。
‥‥‥はい、あなたのおっしゃりたいことはわかります。それならば恥を忍んで、依頼人の女の子にもういちど同じ思い出の結晶を作り出してもらえばよいというのでしょう? ですが、心の中からたいせつな思い出を抽出するのは、必要以上に負担がかかる作業でもあります。仮にもういちどあの女の子に同じ結晶を作ってくれとお願いしても、同じ思いの結晶は、もう二度と作成することはできないでしょう。
このままでは、依頼人の女の子にも、受取人である女の子の母親にも合わせる顔がないと途方にくれていると、向こうからこちらにやってくるひとりの人影がありました。それは、いつも懇意にしている同じ配達人仲間の友人でした。彼とはよく互いに切磋琢磨しては、ときに悩みや愚痴を言い合うような親密な間柄でした。ですから、頭を抱えているわたしをそのまま放っておけるはずもなく、このときもわたしの姿を見かけるなり、声をかけずにはいられなかったのだと思います。
「やあ、どうかしたのか?」と彼は言いました。
わたしはしばらくうつむいたまま、なにも答えませんでした。いくら親密な仲だとはいえ、今回の失態を明かしてしまうのは、やはり抵抗がありました。しかしこの期におよんで、そんなくだらない矜持にこだわってどうすると思い至ったわたしは、この友人に依頼人のたいせつな思い出を紛失してしまったことを打ち明けました。
友人はわたしのはなしを聞きながら、顎に手をあて、しばらく考え込んでいました。やがて彼は、「よし、じゃあ、ぼくもその思い出をさがすのに協力しよう」と言いました。
「でも、君はまだ仕事中だろ、いいのか?」とわたしはききかえしました。
「あと少しで配達が終わるんだ、それからでいいのなら、いくらでも手伝うよ」
「あと何件くらい残ってるんだ?」
「うん、だいたい五件くらいかな」
このとき、わたしの頭にある考えが浮かんだのです。
ああ、まず、誓って言いますが、この愚かな考えはこのとき初めて思いついたことで、わたしは最初からこの善良な友人をだましてやろうとか、貶めてやろうなどと考えていたわけではありません。ただ、このときのわたしは焦燥のあまり、正常な判断ができなかったのだと思います。もっとも、いまさらこんなことを言ったところで、ただの言い訳にしかならないでしょう。ともかく、わたしは友人にこんなことをたずねてみたのです。
「ところで君、ちょっと聞いてみるんだが、今きみの鞄の中に、幼い女の子の思い出が入ってやしないか?」
友人は少しだけいぶかしげな表情を浮かべました。
「ああ、たしかに、ひとつだけ、あるにはあるよ」
「ちょっとだけ、それを見せてもらうことはできないかな?」
「べつにかまわないけれど、なぜだい?」
「いや、なに、なくした女の子の思い出の結晶がどんなものだったか、よく憶えてなくてね。これから探すためにどんな思い出だったか、似たような結晶で確認しておきたいんだ。すぐに返すよ」
友人は少し困ったような仕草をして考え込みましたが、しばらくすると、鞄の中から思い出をひとつ取り出して、わたしに渡してくれました。
それはわたしがなくしてしまった思い出の結晶にはおよびませんでしたが、とても純粋できれいな想いの詰まったうつくしい結晶でした。むろん、その思い出の中の女の子はわたしの依頼人である女の子とはまったくの別人ではありましたが、背格好やその内容などはなかなか似通っているようでした。わたしは、これなら問題なかろうと思いました。
わたしは友人がわずかに目を逸らした隙を見て、瞬時にこの思い出の結晶を複製しました。――はい、思い出の結晶は、秘密の方法で複製することが可能なのです。もっとも、これは一部の配達人のみが知っていることで、わたしはこの方法を別の配達人からこっそりと教えてもらっていたのです。しかし、この複製された思い出の結晶は、本物の結晶とくらべ非常に脆く壊れやすいもので、たとえ熟練の腕をもつ者が複製したとしても、それほど経たないうちに砕け散り、あとかたもなく消えてしまうという特徴がありました。
そして、わたしはオリジナルの結晶を自分の鞄の中にしまいこみ、複製したほうの結晶を友人に返しました。
彼は疑う素振りもみせず、その思い出の結晶を鞄の中へしまいこみました。そして、「じゃあ、配達が終わったらまたくるよ」と言って去っていきました。
さて、首尾よく代わりとなる女の子の思い出を手に入ることができたのですが、これで問題が解決したわけではありません。この思い出は依頼人の女の子とは関係のない別人の女の子の思い出ですから、これを依頼人のお母さまに届けたところで、すぐにばれてしまうのはわかりきっていることです。そこで、わたしはもうひとつの罪を犯すことにしました。
それは思い出の改竄です。その人の思い出の内容を、自分の都合の良いように書き換えてしまうのです。もちろん、これは重大な違法行為となります。もしこの事実が明るみに出てしまえば、わたしは解雇されるどころか、とても重い罰を科せられてしまうことになるでしょう。しかし、ここまできたらもう後戻りはできないと腹を括りました。
わたしはまず、この思い出の主役となる女の子の容姿を、依頼人の女の子の容姿にすり替えました。幸いなことにその女の子の名前や姿はすっかりおぼえていましたから、この作業はつつがなく行われました。残すところは思い出の内容ですが、これにはあまり手を加える必要はありませんでした。せいぜい、周りの風景や登場する人物などに気を配る程度です。
すべての作業がおわると、わたしはさっそく出来上がった思い出の結晶を受取人のお母さまのもとへと配達しました。お母さまは感涙しながらその思い出の結晶を受け取りました。思い出の中身が依頼人とは別の女の子の思い出であるということには気づかなかったようです。わたしはほっとしたような安堵する気持ちと、突き刺さるようなするどい胸の痛みとが同時に襲ってくるのを感じました。
しかし、わたしがいちばん気がかりだったのは、配達するはずだった思い出をすりかえられてしまったあの友人のことです。いまごろ彼は、思い出の結晶が消え失せてしまったことに気がつき、あわてていることでしょう。しばらくしてわたしは友人と再会しましたが、案の定、彼は青ざめた表情で、こんどは自分が配達するはずだった思い出の結晶を紛失してしまったことをわたしに伝えました。
わたしはそんな友人に対し、「なるほど、そういうことなら、今度はこちらが君に力を貸す番だ。さあ、いっしょにさがしてみよう」と言いました。
よくもまあ、こんなしらじらしいことを言えたものだと、われながらあきれてしまうばかりです。そのときわたしは友人に、自分がなくしてしまった思い出の結晶はあれからまもなく無事にみつかり、宛先の母親に配達することができたと報告しました。善良な友人は疑う素振りすらみせず、まるで自分の事のように喜んでくれ、今度はわたしが友人のなくした思い出の結晶をさがす手伝いをすることになりました。けれども、その思い出の結晶が見つかることがないのはわかりきっています。さきほども述べたように、わたしのつたない技術で複製した思い出の結晶は、すぐに砕け散り、消え去ってしまったことはあきらかですから、わたしたちがどれだけ必死になってさがそうとも見つかるはずはないのです。
ここまでくれば、わたしがしでかした愚行のあらましが大方わかっていただけたのではないでしょうか。
その後の結末をおはなしいたしますと、依頼人から預かった大切な思い出を紛失してしまい、どれだけさがしまわっても見つけ出すことができず、その結晶を配達することが叶わなかった友人は、上から厳しい叱責としばらくの職務停止命令がくだされました。とはいえ、解雇は避けられたと知ったとき、わたしは友人に対して罪悪感を抱きながらも、どこか安心した気持ちになっていました。
ところがです。事はそう穏便には運びませんでした。あるとき、わたしは別の配達人の口から、その友人がとつぜん辞職したと聞かされたのです。
わたしは上司に、なぜ彼が辞めることになったのかたずねてみましたが、くわしいことは教えてもらえず、ただ、友人は自分の意思で辞職したということだけしか説明してもらえませんでした。
たしかに、彼はとても真面目な性格でしたし、責任感の強い男だという事もわかっていましたが、まさか自らの意思で辞職するなどということは、その時は思いもかけないことでした。
理由をたずねようにも、その友人はもう職場にはいませんし、さらに、辞職した後の彼の行方を知っているものはだれもいませんでした。
それからというもの、わたしはめっきり仕事に身が入らなくなってしまいました。重い罪悪感から、この仕事を続けることが苦痛になってきていたのです。こまかいミスをすることも多くなり、そのたびに上司に呼び出され、叱責をくらう日々になっていました。
そこでわたしは決意しました。わたしもこの仕事を辞任し、行方不明になっている友人を探し出し、真実をはなしたうえで誠心誠意、謝罪をしようと思い立ったのです。
さて、いよいよこのおはなしもおわりに近づいてきました。
ついさきほど、わたしは上司に辞表を提出し、後任への引継ぎもすましてきました。そしてこれから配達する、わたし自身がつくりだしたこの思い出の結晶が、わたしの配達人としての最後の仕事になります。
宛先はもちろん、あのあわれな友人です。思い出の内容はあの日わたしが犯してしまった罪の一部始終と、その後悔の念です。
いまのところ、依然として友人の行方はわかっていません。ひょっとしたら長い旅になるかもしれませんが、わたしはかならず彼を探し出してこの思い出の結晶を届けなければなりません。
最近になって思うのですが、ひょっとしたら友人は、わたしが犯した罪状をすべて知っていたのではないか‥‥‥と、そのように考えることがあるのです。いや、ぜんぶ理解していたとまではいわなくとも、うすうす勘付いていたのではないか、と思うのです。けれども、心優しい彼はわたしを責めることができなかった‥‥‥あるいは、わたしたちの友情が壊れるのを恐れていたのかもしれません。善良な人間でありながら、同時に責任感のつよかった友人が、わたしが犯した罪を知りながら、それをとがめもせず、受け入れてしまった自分自身を罰するため、最終的には辞職をするという道を選んだ、と考えるのは愚察でしょうか。
もっとも、これはわたしのひとりよがりな都合のよい憶測で、なんの根拠もありません。やはりその真意を知るためにも、彼を探し出し、直接たずねてみるほかないのでしょう。そしてもし、わたしの考えていた通りだとするなら、なおさら彼に謝らなければなりません。――いや、なにより、わたしはもういちど彼に会いたいのです。彼はわたしにとってかけがえのない親友だったのですから‥‥‥。
ここまで、わたしの長いおはなしに耳をかたむけていただき、ありがとうございました。
さて、わたしもそろそろ行くことにいたします。
願わくは、わたしの最後の配達が成就することを、そして、わたしが無事その友人と再会できることを祈っていてくださるとたいへん励みになります。それでは、また‥‥‥
(おわり)