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宝石の悪魔 #3


     三 .

 一ヵ月後、とあるニュースが世間をさわがせていた。
 それは、グラント侯爵のひとり娘であるオリヴィアと、オルフワン州の領主スタンリー二世との婚約が破談になったという噂であった。
 なんでも、これまでにスタンリーが行ってきた数々の放蕩生活が明らかになり、過去の女性遍歴や豪遊による散財、さらには隠し子までが複数人いるということまでが暴露された新聞記事が、各地に出回っていたのである。
 もちろんこのニュースはグラント侯爵の耳にも入ることになった。侯爵は露骨に不快感をあらわにし、金輪際スタンリーに近づくことはまかりならんと娘に言い渡した。
 オリヴィアはこのニュースを聞くと、ショックのあまり胸が張り裂けんばかりに悲しんだ。何度かスタンリーが陳謝をのべるため、グラント侯爵のもとを訪れたこともあったのだが、侯爵はスタンリーの申し出をきっぱりとはねのけた。
 悲恋のショックに打ちひしがれたオリヴィアは、しばらく部屋に閉じこもったまま、だれとも会おうとしなかった。そんなとき、アジルデ王から大量の花束とともに、一通の手紙が送られてくるようになった。手紙の内容はなぐさめの言葉からはじまり、自分がオリヴィアを想う気持ちは現在も変わっておらず、もう一度婚約の件を考え直してくれまいか、などという文句が長々と書き連ねてあったのだが、当のオリヴィアは手紙など読む気にはなれなかったため、その手紙は開封されることなく机の上に置きっぱなしになっていた。しかし、手紙は毎日のようにオリヴィアのもとにとどけられ、しだいに机の上には手紙の山ができ、部屋の中はあふれんかぎりの花束で埋め尽くされるようになった。そしてとうとうその熱意が通じたのか、オリヴィアは王からの手紙を開封し、中の文面に目を通した。
 手紙はいたって普通の恋文だったのだが、純粋なオリヴィアの心を動かすのには十分だったようである。しだいにオリヴィアもアジルデ王に心を開くようになり、何度か手紙の返事を書くようになった。これぞ好機とみたアジルデ王は、ふたたびグラント侯爵にオリヴィアとの婚約を認めてくれるよう交渉に入った。はじめのうちこそ難色を示していたグラント伯爵であったが、かねてより親交の深かったアジルデ王をこれ以上無下にするわけにもいかないという温情もはたらき、ついにオリヴィアとの婚約を許可した。
 アジルデ王とオリヴィアの成婚は、またたく間に大ニュースとなって世界中に広まった。各国から祝辞が述べられ、盛大なパーティが開かれた。
 こうしてアジルデ王はオリヴィアを自分の妻とし、望みは見事叶ったわけである。王は幸せの絶頂であった。悪魔と交わしたあの忌々しい契約も、いまとなってはすっかり思案の外だった。それもそのはずである。いまや世界はアジルデ王を中心に回っていると思えるほど、すべてはうまく運んでいたのだ。
 さて、それから一年が経過したころ、王の身辺である事件が起こった。
 なんと、王宮の金庫から、王が命よりも大事にしている宝石が盗まれていたのである。王は血相を変えて犯人さがしに奔走した。ただちに家臣や兵士を集め、疑わしき者をすべてひっ捕らえてこいと命令した。もちろん逆らえば自分たちの首がとぶのは自明の理である。家臣や兵士たちは血眼になって犯人とおぼしき人物をさがした。しかし、あやしいと思える人物はおろか、手がかりを見つけることすらできない。なにも成果がないことを王に報告すれば、どんな罰則を受けるかわからないと恐れた兵士たちは、過去に盗みをはたらいたことのある人物や街のごろつきなどをかたっぱしからひっ捕らえ、王の前に突き出した。弁解など聞く耳をもたぬ王は、疑わしき者を容赦なく、一人残らず処刑した。ところが、そこまでしても盗みが止むことがなかった。王の怒りは頂点に達した。そして、とうとう怒りの矛先は家臣や兵士たちにまでおよぶことになった。犯人は身近にいるにちがいないと見当をつけた王は、家臣や兵士たちの身辺をくまなく調べ上げ、少しでもあやしいところがあれば難詰し、弁解しようものならただちに斬首した。惨状というほかない。王宮にいる者はだれもが王に怯えていた。もちろん結婚したばかりのオリヴィアも例外ではない。しかし、だれも王に忠言する者はいなかった。いまの王にはなにを言っても無駄である。余計な口をはさめば、たちまち犯人だとうたがわれてしまい、最悪の場合は処刑されてしまうこともありうるのだから。
 王宮内はかつてないほど異様な雰囲気につつまれていた。だれもが王の顔色をうかがい、あやしまれぬよう行動しなければならなかった。
 そんなある日、王が宮殿を出て町のなかを巡回していたときのことだった。往来の中を行き過ぎる群衆のなかに、ふとオリヴィアの姿を見かけたのである。地味な衣服にマントを羽織っており、よく見なければオリヴィアだと気がつかなかったかもしれない。しかし、いくら質素な身なりをしていても、あれほどの気品を漂わせた美しい女性はそう多くはない。あれはまちがいなくオリヴィアだという確信のあったアジルデ王は、彼女のあとをこっそりと追いかけた。オリヴィアは何度か曲がり角を曲がると、急に周囲を警戒するようにあたりを見まわし、薄暗い路地裏へと入っていった。王は嫌な予感がした。なにかのまちがいではないか、と自分を疑った。
 物影に隠れ、路地裏のほうをうかがうと、一人の男と話しているオリヴィアの姿が見えた。暗がりで男の顔までは見えなかったが、オリヴィアがその男に何かを手渡しているのがはっきりと見えた。王の疑念は確信に変わった。同時に、怒りと憎しみの炎がめらめらと燃えたぎっていた。
 宝石を盗んでいたのはオリヴィアだったのだ。そうだ、そうにちがいない。わたしの金庫から宝石を盗み、あの男にこっそり渡していたのだ。だが、なんの目的で? はじめから宝石をうばうためにわたしと結婚したというのか。いや、ちがう。オリヴィアはだれかに指示されて宝石を盗んでいたのだ。いったいだれが? ――決まっている。オリヴィアの元婚約者、スタンリー二世だ。それならばすべてつじつまが合う。あの二人は、はじめから手を組んでいたのだ。わざと関係が破局した演技をして、わたしから宝石をふんだくるつもりで近づいてきたのだ。そうだ、きっとそうだ、そうに決まっている――。
 王は怒りのあまり、周りが見えなくなっていた。いますぐ腰元の長剣を抜き、オリヴィアとあの男に飛びかかりこの場で斬り捨ててやりたかった。だが王は突如冷静になり、思いとどまった。
 オリヴィアは自分が知る限り、世界一美しく純粋な女性である。その彼女が、こんな狡猾な盗みをするだろうか。ひょっとしたら、なにか弱みでもにぎられて、致し方なく犯行におよんだのかもしれない。すくなくとも、オリヴィアから事情を聴くべきだと思い直したのである。
 王は握りしめた長剣の柄から手を放し、踵を返してその場をあとにした。



(つづく)