宝石の悪魔 #2
二 .
その後も、王は変わらず貪欲に宝石を求めた。世界各国から宝石商を集め、あらゆる種類の宝石を手に入れた。ただ、それでも王は満足することがなかった。ふしぎなことに、あの漆黒の宝石を身に着けてからというもの、不吉なことはなにひとつ起こらず、物事はすべて順調に運んでいた。体調も回復し、顔色もよく、食欲も旺盛だった。そのうえ、家臣や兵士たちの忠誠も確固たるものになっていた。王の命令に逆らえばどのような悲惨な結果を招くか、みんな知り尽くしていたからである。王を不快にさせたり、命に背いたことで首が飛んでいった者たちが、これまでに幾人いたことか。
月日は流れ、季節はさわやかな緑の若葉が芽吹く初夏になった。
ある日、王宮では盛大なパーティが開かれていた。アジルデ王の生誕日を祝って催されたパーティである。近隣諸国から、たくさんの来客が招かれていた。その多くが、名のある貴族か王族の末裔である。ただ、そのなかにあっても、アジルデ王の存在は際立っていた。全身にまんべんなく宝石を身に着け、歩くたびにそれがジャラジャラと音を立てていたからである。集まっていた客人たちはみなアジルデ王の宝石好きを知っていたので、そのような様子を見てもさほどおどろくようなことはなかった。もっとも、粛々とした態度の貴婦人たちのなかには、「ちょっと趣味が悪いわよねぇ」とかげ口をもらす声も聞こえたりしたのだが――。
王は参会者たちひとりひとりにあいさつをして回った。そんな中、ぜひこちらから祝いの言葉を伝えたいという者が進み出てきて握手を求めてきた。それは古くから交際のあるグラント侯爵だった。アジルデ王は愛想よく握手をかわした。グラント侯爵はあいさつもそこそこに、ぜひ紹介したい者がいるのです、と切り出した。それはグラント侯爵の一人娘で、今年で二十歳になるということだった。
「名をオリヴィアともうします。最近、社交界デビューしたばかりなのです。なにぶん箱入りなもので、世間知らずで困っておるのですよ。ほら、オリヴィア、こちらにおいで」
侯爵にうながされて、白いドレスを身にまとった女性がひとり進み出てきた。王は一瞬にしてその娘に目をうばわれてしまった。
軽くウェーブのかかったつやのある長いブロンドの髪、瞳はぱっちりと大きく、碧色の虹彩がみごとに美しい。鼻筋もすっきりと通っており、ふっくらとした唇と調和している。アジルデ王は生まれてこのかた、これ以上美しい女性に出会ったことがなかったのである。
「オリヴィアです。以後お見知りおきを……」
そう言うとオリヴィアはうやうやしく膝を曲げてお辞儀をした。
「こちらこそ、オリヴィア嬢。あなたにあえて光栄です」
そう言うと王はオリヴィアの前でひざまずき、手の甲にやさしく口づけした。
「まあ、アジルデ様、そんな……」
オリヴィアは頬を紅潮させると、あわてて手をひっこめた。
「すみません、どうも礼儀がなっていないようで……」
グラント侯爵が娘の無礼をわびながら言った。
「いえいえ、お気になさらず。どうでしょう、このあとの舞踏会に、お嬢さまをお誘いしてもよろしいでしょうか?」
グラント侯爵は相好をくずしながら、「もちろんでございます、娘もよろこぶことでしょう」と答えた。
オリヴィアはなにも言わず、やさしくほほえむと、もういちど軽くお辞儀をした。
やがて豪華な晩餐会もお開きとなり、まもなく大広間で舞踏会がはじまった。若い紳士たちは、お気に入りの御婦人を見つけると、うやうやしく頭を下げてダンスのパートナーを申し込んだ。アジルデ王は前述の通り、オリヴィアをパートナーにさそった。オリヴィアはやや緊張した面持ちで、アジルデ王が差し出した手をとった。
「わたくし、こういったダンスパーティってはじめてなんですの」
「心配ご無用。わたしがエスコートいたしましょう」
オリヴィアはアジルデ王に導かれるまま、たどたどしくステップを踏んだ。王のダンスのエスコートは見事というほかない。とくに若く美しいオリヴィアとの踊りは、だれの目にも好ましく映った。ただひとつ気になったことといえば、王が動くたびに身に着けている宝石がジャラジャラと音をたてることぐらいだろうか。その音が聞こえるたびに、オリヴィアはくすくすと笑みをこぼした。
「どうしてそんなにたくさん宝石を身に着けていらっしゃるの?」おもわずオリヴィアは王にたずねた。
「宝石はわたしにとって人生そのものなのです。わたしは今まで、宝石より美しいものはこの世に存在しないと思っておりました。しかし今日、それは大きなまちがいだと気づかされました。オリヴィア嬢、あなたはわたしが今まで手に入れたどんな宝石よりも美しい。どうか、わたしと結婚してくれませんか?」
王が言い終わるのと同時に音楽が止み、それに合わせて踊っていた人たちの足もぴたりと止まった。王とオリヴィアもダンスをやめ、おたがいにみつめ合ったままである。とつぜんのプロポーズに、オリヴィアはとまどった表情をうかべていた。
「あの、でも、わたし……」
王は何も言わず、そのあとに続く言葉を待った。オリヴィアは王のまっすぐなまなざしに、おもわずたじろぎながらこう言った。
「わたし、とてもうれしいですわ。でも、わたしにはお父様が決めた許婚がおりますの……。ですから――」
オリヴィアの言葉はそこでさえぎられた。王が急に手のひらを前に出し、それ以上は言わなくてもよい、という合図を示したからである。
「わかりました。この件について、あなたのお父様をまじえて、じっくりと話し合うことといたしましょう」
アジルデ王は舞踏会のあと、グラント侯爵とオリヴィアを自室に招いて最高級のワインをふるまった。
グラント侯爵はよろこんでワインを一杯口にふくみ、すっかり機嫌がよくなったところで、アジルデ王はオリヴィアとの縁談を切り出した。グラント侯爵は最初こそおどろいていたものの、すぐに平常を取り戻し、複雑な表情をうかべながらこう言った。
「アジルデ王、申し出はありがたいのですが、オリヴィアにはすでに決めた人がおるのです」
そこで王は、オリヴィアの許婚とはどんな人物なのか、婚礼はいつ挙げるつもりなのかをたずねた。
グラント侯爵が語ったところによると、オリヴィアの許婚はオルフワン州の元領主エンバッハの息子、スタンリー二世だということだった。オリヴィアとは幼少のころから懇意な仲で、婚約はずっと昔から取り結ばれていたということらしい。スタンリー二世のことはアジルデ王もすこし知っていた。たしか若干二十二歳で父の跡を継ぎ、現領主となった偉才な人物。趣味は乗馬と狩猟、自由闊達で頭脳明晰、そのうえとびきりの美男であると聞く。アジルデ王はおもしろくなかった。王がこれまで欲しいと思ったもので、今まで手に入らなかったものはないのである。しかし、今回欲しているものは宝石ではなく人の心だった。どれだけの大金を積もうが、簡単に手に入るものではないのだ。王は歯がゆさのあまり拳を強くにぎりしめた。
絶望的なことに、オリヴィアがスタンリーを想う気持ちは本物であり、二人の交わした誓約が揺るがぬものだとわかると、父親も「娘の気持ちを尊重してやりたいので」と仲を取り結ぶ姿勢をくずさなかった。そのため、アジルデ王との縁談は白紙ということになった。
やがてパーティもお開きとなり、参会者も去っていった。王は寝室のベッドの上で物思いにしずんでいた。もちろん考えていることは、愛しのオリヴィアのことのみである。
そのとき、どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえてきた。あの悪魔の声であることは瞭然だった。
「どこまでも強欲な人間よ、お前でも手に入らぬものがあるのだな」
王は声の発したほうを見やった。以前と同じように黒い靄のような影が壁のすみにたゆたっていた。アジルデ王はその影をいまいましげに睨みつけた。
「ふん、まだ手に入らぬと決まったわけではない。わたしは今までどんなものでも手中に収めてきたのだ。女ひとり手に入れることなど、造作もないことだ」
「ほう? なにか手段があると?」
「当然だ。わたしは手に入れたいと思ったものはどんなものでも手に入れる。そう、どんな手段を使ってもな……」
アジルデ王はそう言いながら薄ら笑いをうかべた。
呼応するかのように、黒い影もせせら笑いながら言った。
「ああ、それはたのしみだ……」
その言葉を最後に、黒い影は煙のように消えていった。
(つづく)