普通ってなんですか?
僕の息子は軽度の発達障害を抱えていて、自閉スペクトラム症の診断をされています。
友達との会話がいまいち噛み合わなかったり、『空気を読む』的な事が苦手です。初めてのことをする時は手順を1から10まで言わないと理解できなかったりが主な症状です。
それでも小学校までは特に問題なく過ごせていましたが、中学に入り環境が変わった事で『言葉』が出てこなくなってしまいました。『場面緘黙』と言われていますが話しかけられても頷くことしかできず苦しんでいます。
家ではとてもおしゃべりな子なので友達と話せないのはとても辛そうです。
親としても何とかしてあげたい気持ちでいっぱいですが、思春期ということもあり親の言うことにはあまり耳を貸さず、具体的なアクションが起こせないのが現状です。
『せめて普通の子に育ってくれれば・・』
ある日妻が言ったこの一言にハッと思いました。
『普通って何だろう?』
僕もこれまで無意識のうちに、息子にはいわゆる『普通』の状態を求めてしまっていました。
普通に友人と遊びに行ったり、おしゃべりをしたり。
普通に勉強を頑張って受験をして。
普通に大学に入って就職する。
多くの人が通る道を『普通』と位置づけてそうならないと『異常≒負け』だと思ってしまっている自分に気づいたのです。
人と同じことができるのは『普通=一般的』かも知れないけれど、それができないからと言って『異常』なんかではなく『個性』あるいは『才能』なのだと親である僕が思えていなかったことをとても恥ずかしく思いました。
SDGsの基本理念である『誰一人取り残さない』は、まさに息子の立場からするととても重要な考え方だと思います。
国や人種、信仰やセクシャリティなど多様性への理解は広がりつつあると思いますが障害についても同様にとらえるべきだと感じています。
今後、息子がどのような人生を歩むかはまだ分かりません。
・学校に行きたくない
・受験をしたくない
・就職をしたくない
これらは十分に起こりうる展開だと思いますが、そうなった時に
『なぜできないのか?』
『皆んなやっているのに』などとは絶対に言わず、その時の状態を見極めてできることを一緒に考える。
一番辛いのは間違いなく本人なので今から肝に命じておきます。
このような考えが社会全体にも広がれば、ハンデキャップを持った人でも住みやすい世の中になりますし、僕が今未来のためにできる大切な一歩なのだと思います。
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