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7年目に突入した思い
過去を振り返っていて、「何故過去を書くのか」を考えた。
そして、気付く…これはある意味で「遺言」なんだろうなと。
「生きること」を全力でやって来たからこそ、それをかたちに残したいと思った。
それと同時に、これから先に向かって行くためには何が必要なのかを整理する必要があった。
そう、全ては自分のためなんだろう。
でもこれらを読んで「何かを感じた」と思う人がいたら幸いだし、特に肢体不自由児、特別支援学校教諭、児童発達支援関係者、放課後等デイサービス関係者に読んでもらいたい。
きっと、私が感じた苦労を現代なら感じる必要がないものになるはずだ。
ちなみに、自分史は現在中学部卒業までを書いた。
まだ、書きたい全体の1/3程度しか書いていない。
でも、十分に自分の基礎を形成しつつある。
(まだまだ、甘々なクソガキだが笑)
さて、今回はそんな中で法人7年目、施設も7年目に突入した中で、いわゆる「支援観」とも言うべき自分の考え方について記しておきたい。
設立当時はがむしゃらだったなぁ
会社員時代からどうしようか考えていた。
今後の自分の人生についてを。
働きながら大学院にも進学した。
働いていた時の実務の中で、肢体不自由児(特に特別支援学校卒)が何故雇用の現場に来ないのかとても疑問だった。
私は都内に勤務しており、日本の中でも進んでいるはずの場所でここまで肢体不自由児が雇用の場に来ないのはとても疑問だった。
そして、研究していくうちに学校時代に「足りていない経験」に気づいた。
それを実践する場所が必要だと思った。
そして、私が子供の時に「こういう場所に行きたかった」と思える面白くも学べる場所が作りたいと思ったのだ。
法人設立から事業所設置まで、すべて一人で行った。
税理士事務所も自分で見つけ、雇用する初期メンバーも知り合いのつてで出会ったり、もうありとあらゆることを一人でやった。
がむしゃら!
そんな言葉がピッタリなくらい、常に忙しかった。
法人を知ってもらうべく、セミナーも開催したし、前職の上司も協力してもらい講師として来てもらった。
何が正しいのか、何をすべきなのか、誰も教えてくれない環境で自分で切り開いていく楽しさ、辛さは何物にも変え難い経験となった。
(この辺りは後々書きます)
何故子どもの支援なのか
恐らく、自分の過去を照らし合わせているんだろう。
自分には「何かが足りない」とずっと思っていることがある。
その「何か」は、今でも明確にはない。
でも、その「何か」が足りないからこそ、大人になってから苦労したことがある。
その一つは、いわゆる「生きる術」なんだと思う。
具体的に言えば、「生活動作」の獲得だ。
これね、当たり前に出来て当然の代物で、障害を盾に「仕方ない」領域を作り出すんだけど、その辺りって「本当に仕方ないのか?」を突き詰めると意外とそうじゃないかも?となる場合もあるのだ。
これって本当に見極めが大事なんだけど、どこの放デイも…もしかしたら特別支援学校も出来てないこともあったりするのだ。
ここを支援する必要があるのだ。
そして、これって「何とか療育」だの名称が付けにくく、かつ、目に見えて成長を感じるわけでもなく、どこか「当たり前」として捉えられるものだったりする。
だけど、これが本当に大事なのだ!
何故なら、私は就職活動の時に「トイレは自分で行けますか?」に対して、「手伝いが必要です。」と答え、不採用になった企業が少なくとも30社以上はあるからだ。
当然、自分が自分の方法を編み出しある程度出来るようになっていくのだが、これは私の過去では「誰も指導してくれなかった」現状がある。
日常生活動作(ADL)は、本当に大事なのだ!
ちなみに補足しておくが、企業就労だけを言っているのではない。
就労継続だろうが、就労移行だろうが、生活介護だろうが、どこへ行ったって日常生活動作は大事なのだ。
生きていく限り、ついて廻る代物なのだ。
ここがどれだけ出来るかで、その先の苦労の度合いは全く違ってくる。
それを子どもの頃から、少しずつ獲得していく必要があるのだ。
だから、放デイはうってつけの事業だった。
そんな思いで続けてきた6年間
ずっと不安だった。
誰もこの考えに行き着いて実践している放デイはほとんどこの地域には無かったし、指南してくれる人もいない。
だから、「正しさ」を探しながら進んでいくしか無かったのだ。
でも、どこかで「間違っていない」と思ってもいた。
利用者様の契約も少しずつ増えていき、経営も少しずつ安定したり…しなかったり笑
辛かったが、賛同してくれる職員達が居てくれたし、何よりも利用者様もわかってくれる人も増えていた。
有難いよね。
やっぱり、自分の人生は「人」あっての人生なんだろうなと思っている。
何かを恩返ししないとバチが当たるよ。
その恩返しは、自分の「生き様」かな?とも思っていて、何かしらの「結果」をお見せしないといけないと思っている。
7年目に突入して…
節目の年なのです。
放デイの事業認可は6年。
そう、うちの施設は事業更新だったのだ。
3月1日付で、事業更新の認可が下りた。
がむしゃらに突き進んできた6年間…寿命はかなり縮んだと思う。
正直、肢体不自由の私は長くは生きられないはず。
少なくとも平均寿命までは生きられないだろう。
だからこそ、「今(現在)」を全力で過ごさなければならない。
真剣に、だけど面白可笑しく!!
やりたいことをやりたいのだ!!
ワガママだが、本音はそうなのだ!
そして「支援観」は、先述した通り「日常生活動作の獲得」だ。
でも、それだけでは本当に「面白可笑しくない」のだ。
そこにスパイスが必要なのだ。
私の人生でかけがえのないもの…
そう、周りの人…「仲間や支えてくれる人」の存在だ。
だから、うちの施設は「集団活動」を取り入れている。
「仲間」づくりは本当に大事だよ。
大人がゴチャゴチャ行ったって動かなくても、友達に言われたらすぐ動けるもんね笑
そう…そんなことをやりたかったのよ。
当然、これからもね。
福祉サービスは、今年の4月から報酬改定が行われる。
うちは大打撃だ。
経営も出来るかどうか…
などと弱音を吐くだけではないよ。
何度も言おう。
私は「やりたいことをやりたいのだ!!」
これからも命続く限り、続けていくよ!
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