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アトムの子

8/17 15:00

「最近ブログあがんないすね?」
と、美容師の女の子に言われた。
おおぉ!
まさか、こんなとこからこんな子もアサイの駄文を見ててくれているのか、、、すまぬすまぬ。


先日も『釣り行脚のブログを楽しみに読んでました。また書いてください。』と言われる。
最近、ところどころで言われる。
すまぬ。すまぬ。すまぬ。


なかなか、サボり癖があるものでいろいろな事が続かない。筋トレもプールも有酸素運動(ただの散歩)も全然続かない。

なぜだ?

意志が弱いのか?

そんなことはない。
もう20数年も酒は毎日飲むことを忘れないし、タバコも普段は吸わないが、野営と酒の場では吸う。どっちもずっと続き、なかなかやめないのになぁ、、、、、


酒やタバコをやめないのは意志が強いのだ。
と談志が言ってた。

談志本はだいたい読む

まぁ、いいか。


なんとか空気頭をフル回転(空回り)させ日々の愚行を記していこうと思う。

ぅゔぅゔ、、、、
しかし、なんなんだこの暑さは。


そうだ!
たぶん暑すぎていろいろな事が続かないのだ!

そうだ!そうだ!みんな暑さのせいなのだ。
暑さが悪い!暑さのせいだ!暑いのは悪だ!
夏は暑いのはいいのだが、暑すぎるのだ!
暑いんだバーローめ!


逆上気味になるほど「暑すぎる」のが問題なのだ!



ほんとここ数年の「酷暑」と言う現象は信じ難いものがある。


特に街中でのエアコンの室外機、ビル熱やアスファルトの照り返しによる暑さはジリジリと焼けるようなフライパン状態で気が狂いそうなほど暑い。マジで焦げるぞ。

暑い、暑いと10秒に一回は言っていますよと女房に言われ、それでは周りも迷惑だろうと家を出て海辺へ避難。


最近、アサイはカニのようにふらふらと海沿いに移り、リホームとやらに勤しんでいるのだが、ココはココでもう湿気がやばい。海の潮がそのまま蒸発してきたような湿気だ。


目の前は紺碧の海だ!が、蒸し暑い!
都内や名古屋よりは4〜5℃は気温が低い。



「良い天気だぁ〜」と窓を開けようもんなら
「もわぁーん」と湿気をたっぷり含んだ熱波が体を包む。窓を開けただけ、何をしていても・していなくても汗が滴り落ちる。即、窓を閉めてクーラー23℃の風量は強だ。SDGsとか叫ばれているがお構いなし、死を感じる暑さだもんね。おいら死にたくないもね。



涼しくなったら設定温度は上げるのだが、最近どうもエアコンの効きが悪い。もうだいぶ歳を取ったエアコンだから、昨今の「酷暑」には対応していないのだろう。「ねぇ、いくらなんでも暑すぎまさぁね旦那、こっちも精一杯やってるんですが、どうもなかなか、どうして、どうしたもんか」とエアコンが言っているようだ。

そうしたらこないだちょいと目を離していたら大洪水になっていた、、、、悲しい。

エアコンからの漏水。びしょ濡れピエヌ。


もうこのエアコンさんには引退してもらおう。年式を調べたら20年選手だった。

「うんうん。君は悪くない、よくやってくれたよ。ゆっくり休んでください涙」
と、まぁ家電などハードな奴らも人間もこの「酷暑」に対応していないようだが、近年どうしてここまで暑くなったのかは有識者の方達に語っていただいて、僕は近況など話していこうかと思う。


え〜っと

前にここで記事をアップしたのが5月の、、、、、


もう3ヶ月も経っている、、、、
むむむむ、、、、
サボりすぎ。


その間アサイは何をしていたかと言いますと。
三重県にあるホワイトハウスでDIYリホームというのをしております。

玄関に無垢フローリングを張る。
框(かまち)も自作だ。もはや大工の仕事。


DIYとはもう有名な言葉になりましたが、
昔はPUNKの用語でしたなぁ、、、
Googleセンセーに聞いてみますと「「Do It Yourself」の略語で「自分自身でやる」との意味。転じて、専門家に任せず自分自身で身の回りのものを作ったり修繕したりアレンジしたりすること、またはそのような生活概念のこと。」

ふむふむ、まさしく自でそれをやっているなぁ。
自身で身の回りのものを作ったり修繕したりはわかるが、
「そのような生活概念のこと。」とは、、、
やはり考え方・行動が根っからのPUNKなのか?まぁいいや。


屋根に人が。光ケーブルを引きました。
リモートワークできますよ。



築34年になる海沿いの家をコツコツとDIYで修繕しているのです。やはり海沿いの家というのは潮の影響をモロに受け老朽化・劣化が早く、管理も大変なのだ。壁は湿気で壁紙が剥がれてくるし、床はところどころ凹み劣化して脆くなってきており、生活する中でも危険を感じるようになった。

なんとかしなきゃなぁ、、、と思いながら3年ほど。年に何回かしか訪れる事ができなかった生活ゆえに、ついつい後回しになってしまっていた。


幸か不幸か、このコロナ禍の影響でアサイも働き方・生活が変わり自身の時間もでき、今ではここの家にいる事が多い。


打ち合わせや、久々の友との会話などスマホがあればいつでもどこでもできてしまうもんなぁ。
たまに必要なミーティングなどは都内に「出張」というかたちで上京する。



最近、周りの仲間もUターンしたり、新天地へ家族ごと引っ越したりと、働き方・生活の模様も皆変わってきたように思う。

さすがにもう都心への憧れみたいなもんは無くなってきたので、その時々に自身の生活や環境に応じて好きなところに住めればなぁと思うようになってきた。海外でも良い。むしろ海外が良い。
僕はやはり海辺に住むのが好きみたいだ。釣りも好きだしね、サーフィンも始めようかなぁ、、、まぁ言うだけかな。

んでだね、GW明けてから、5月は、、、、
三重で床を剥がしたり貼ったり、ゴミをまとめたり出したり、あ、車も買ったなCX-5を乗り換えて新CX-5だ。今時、車を買うのなんてバカのやる事だが、移動と荷物を大量に運び行き来するのだ、しょうがないよなぁ。

あとは同級生の仕事を手伝ったりしている。手伝うと言ってもSNSちゃんとやれ!とか、写真もっと撮れ!とか好き勝手言ってるだけだ。

冷やかしに行くと工場のペンキ塗り。
人使いが荒い。しかしこれもDIYか。


そうだ、このnoteもそうなんだがこのWeb 2.0の現代では誰もがウェブを通して、自由に情報を発信でき、SNSでの情報の発信が企業でも重要視されるような時代になったが、やはり我々40代以上のおじさんにはSNSというものは抵抗があるorわからないものには触れないという一種の「抵抗」がまだ根強くあるようだ。企業に勤めていた「仕事人間」であるほどこのSNSへの「抵抗」が根強くある。そこには「仕事仲間にプライベートを見せたくない」という一種の日本の働き方・人付き合いを反映しているように思える。まぁいいや。

床張り後、まだまだ片付けてオイルを塗って、照明を変えて、家具も入れ替えしてと、

そんなわけでアサイは今は「リホーム」しながら、映像や写真や音楽などを作る「制作」をしておるのです。それをする「スタジオ」にするためリホームしているのだが、これがなかなか終わらない。昨年の12月から始めてもう何ヶ月やっているのだ?困ったもので、やり始めるととことんこだわりだす。

和室も畳と合板を引っぺがし、
根太の補強からやる。本気だ。


なんの業界でもやはり専門的な知識・用語・道具がありそれを日々勉強・実践しトライ&エラーな毎日だ。面白いが、間取りが広すぎてやばいのだ。何人か野営隊が手伝いに来てくれたが基本一人で作業している。おそらく完成まではあと4ヶ月。今年いっぱいかかるかもなぁ、、、、完成したら、仲間の集えるサロンにしようかなぁと、年の半分は民泊施設にしてみようかなぁと思っている。まだわからんがね。

さてさて、6月はなにしてたんだろう、、、
ペラペラと手帳を。
アサイはスケジュールをスマホのカレンダーで管理しているんだけど、後日紙ベースの手帳にあったことを記入している。かなり細かく毎日の行動が書かれている。日記的な。マメなのだ。正直を言うと、数日・数ヶ月・数年前のことをすぐ忘れてしまうので覚え書き的ボケ防止だ。

それを見てみると、、、、
6月は名古屋→大阪→浅草・都内→茅ヶ崎→名古屋→三重→京都→名古屋→東京→三重と、約3日ごとにいろいろと移動しながらいろんな人に会っていた。

十三で人と人を繋ぐ
う〜みんで打ち合わせ
清水の舞台
茅ヶ崎cafe LUCKにて。
コレは京都の伏見稲荷
オザケンのLiveもなぜか行った
名古屋の柳橋市場で仕事仲間たちと。

こんだけ移動してコロナに罹らないのが不思議だ。

7月は
名古屋に戻り、打ち合わせ、2&3日は京都の京丹後に懐かしい仲間とイカ釣りに行き久々の大海原での釣りは楽しかったなぁ。

京丹後の海へ
久しぶりの岡ちゃんとゆうすけ
白イカがたくさん釣れて喜ぶアサイ


そしてまた三重にこもって床のリホーム、東京から助っ人の野営隊メラ系かずしが約1週間来てくれ大いに頑張ってくれた。ありがとう。

真面目で良く働く優良野営隊員。甘党。


手帳を見返すと7月はほとんど三重にいるなぁ、、、、そして後半はフジロックだ。

旧知の仲間であるSilkが夫婦で営む店、池尻の「町中華酒場う〜みん」のフジロック出店が決まり、

連日う〜みんは大盛況だった。
野営隊の永久名誉ドレイのヨシヒロはラーメン屋もできるのだ。
野営隊山岳部たくみは寡黙だが酒の飲み方が豪快で好き!
ツバキでも働くまさやはホントよく働く。
全行程終わりご褒美にガストだ。ハンバーグだ。
我々は路上や駐車場など、どこでも酒場として寛ぐ

我々野営隊とツバキで事前の仕込みから、冷凍保管、設営、開催日の販売、撤収など準備1ヶ月、本番6日間に渡り力を貸した。あっという間に7月が去ったな。


そして今は8月。
早ぇ〜なぁ、、、
8月は比較的ゆっくり始まり、三重と名古屋を行き来し、リホームをしている。水漏れや何箇所かの修繕は必要だがだいぶ完成への道が見えてきた、今は5合目まできたかなぁって感じ。

框の角度仕上げをする筧氏。
野営隊の頭脳と力を司る幹部である。




そしてくじ運強者の女房がまた当ててくれた。
なんと「山下達郎」大先生のコンサートチケットが取れ奈良へ行った。

夢の山下達郎のコンサートin奈良


始まるまで空想上の人物、架空の存在、今世ではお目にかかれないであろうと思っていた「山下達郎」がそこにいた。パワフルでソウルフルで人情味があり優しく愛を歌い上げる姿に痛く感動した。ここまでの感動のコンサートはアサイ今までの観覧史上で1、2を争う素晴らしい公演だった。大好きな曲「アトムの子」のライブでの生演奏は凄かったです。

印象的だったのが
「ウィルスに戦争、世界中が重苦しい状態に包まれ、厳しい時代が続いています。昔のような平和な世界が、また戻る日を祈りつつ、この小さな想いが皆様に伝わりますように。そして皆で手と手を取り合い、助け合い、励まし合い、健康で、かっこよく歳をとりましょう。」と、勇気づけられるライブでしたね。素晴らしかった!


とまぁ、「山下達郎」が素晴らしい!ということでおさまりまして、今日はここまで。


サボんないように続けられるかねぇ、、、


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