僕を知るための抄録。名前の由来とか徒然
ぼくの名前は、たけろいどです
こんにちは、たけろいどです。
たけのこ+アンドロイドを組み合わせてたけろいどとなりました。
当時はきのこの山派の友人と激しい争いをしていました。
口癖のように「きのこの山はチョコとクッキーそれぞれが主張しあっている。対して、たけのこの里はチョコがしっとりとしたクッキーと調和している。それはお菓子としてたけのこの里のほうが美しいというに他ならない。」と言っていました。
一方で友人は別の主張を持ち出します。長期化する争いに次第に疲弊していきました。それでも負けるわけにはいかない。機械のように論理の綻びを見つけ論破する。まるでたけのこの里からやってくるアンドロイドのように。
ごめんなさい。嘘です。
こんな争いはしたことはありません。僕の友達にはきのこの山が好きな友人なんていません。みんなたけのこの里が大好きです。
アンドロイドという言葉の響きが好きだったのでそれをもじりました。
ちょうどコンビニでたけのこの里を買った帰り道でしたので目についたんだと思います。
優しさの理由
「氷菓」という小説をご存知ですか?米澤穂信の推理小説シリーズ「〈古典部〉シリーズ」の第1作目です。僕が一番好きな小説です。TVアニメ化もされているので是非見てもらえるとうれしいです。
氷菓という作品の魅力を伝えたいのですが、うまい言葉がなかなか見つかりません。なんというかすごく人間的な根源的な何かが揺さぶられるのです。なんとかその魅力を伝えたくていろいろ探しているとTVアニメシリーズのキャッチコピーを見つけました。それが非常に秀逸でしたので紹介させていただきます。
青春は、優しいだけじゃない。痛い、だけでもない。ほろ苦い青春群像劇。
生きているとつらいことがたくさんあります。その時に湧き出す感情を叫ぶことができればどれだけ楽になったでしょう。でも自分が楽になる言葉は誰かを傷つける言葉なのです。
言葉には鋭さ・重さが存在すると人間は皆、あるレベルで知っています。人に優しく生きるためには自分が傷つくことがあるのです。そして知らないうちにだれかを傷つけていることに気づいたときにつらい気持ちになるのです。生きているとつらいことはたくさんありますが、それが優しさの理由であれば僕はすこし前を向いて生きていけます。
氷菓という作品はこの繊細な感情を描いてくれています。
本当に素敵な作品です。ありがとうございます。
テレビに入れたり心の怪盗団だったりします
多重人格を疑われることが幾度かあります。大学の頃の教授、会社の上司など何人かに言われてきました。でも僕はこれを否定します。ただペルソナをかぶるのがうまいだけなのだと思います。
家族と話すときの仮面と上司と話すときの仮面が違うだけで多重人格とは違うと思います。
あれ?仮面越しでしか会話してないのでは?この人間。
本当の自分は何処に行ったのでしょうか。でもそんなことは些細なことなのかもしれません。だって生きているではないですか。やったー。
ああ自覚し始めると文章がうまくまとまりません。なんだか難しい話です。
とにかく言いたいことは僕は僕です。仮面越しに会話しているかもしれませんが、それが僕なのです。
もう深夜になってしまいました。すこしゲームでもしてから寝ようかな。
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