【昭和講談】砂川捨丸「『芸尽くし』で漫才を切り拓く」 最終回(全三回)

 大正時代から昭和へと「芸尽くし漫才」で漫才界を牽引した砂川捨丸でございますが、そんな捨丸にも切なる思いがございました。
 それは「漫才の格を上げる」ことでございます。

 時は昭和二年八月、大阪・道頓堀の弁天座で「諸芸名人大会」という大規模な漫才興行が打たれました。
 興行主は押しも押されもせぬ演芸大手の松竹株式会社、そして、劇場が道頓堀五座の一つ弁天座。しかも、入場料五十銭という漫才では考えらない高額料金です。

 この漫才大会のトリを飾るのが、こちらも今や押しも押されもせぬ人気漫才師となった砂川捨丸・中村春代の二人でございます。
 この大出世、当の捨丸本人も感無量でございます。

 それもそのはず、駆け出しの頃は、高級萬歳の看板を掲げながらも、松島新地のよしず小屋の日々、神戸の劇場を根城としたがドサ廻りに明け暮れた。そこに文句がある訳ではないが、本拠地神戸のすぐ隣は、芸能の一大先進地・大阪がある。その大阪の劇場には縁遠かった捨丸が、ようやく上がった檜舞台。感情が高ぶるのも道理です。

 普段は競争激しい芸界も、この時ばかりは捨丸を祝い、楽屋には花輪が並び、仲間の芸人がひっきりなしに訪ねて参ります。
「捨丸さん、漫才一本であんたようここまで来たなぁ」
「いやほんまにおおきに。生まれて消える諸芸の中で二十年、ようやく漫才が落語、浪曲に伍して並ぶ芸能になったんや」
「ほんまに捨丸さんは偉いやっちゃ」
「まだまだ、これからや。漫才はもっと大きくなるで」

 この漫才興行の翌年、今度は道頓堀五座の中でも大劇場に入る中座で漫才大会が行われ、そこでも砂川捨丸はトリを務め、漫才興行を成功させます。いよいよ漫才の人気、勢いが高まってきたという証です。

 そんな漫才、いいや、捨丸勢いを、見逃さない男が一人おりました。

 昭和三年の秋、捨丸は大阪、千日前のとある事務所へと呼ばれます。
 通された応接室のソファで待っていると、そこに現れたのは吉本興業、演芸部総監督・林正之助でございます。

 言わずと知れた演芸王国の吉本興業。昭和の初め頃から「芝居の松竹、演芸の吉本」と呼ばれ、大阪で一大勢力を築いておりました。
 その演芸部門を統括していたのが、後の吉本会長となる林正之助。この時、まだ三十前、捨丸よりも一回り若い青年興行主でございます。

 捨丸の前にドカッと腰を下した林正之助、すると、すぐさま持ってきたバックから札束を取り出した。
 一言も喋らずにバッ、バッと札束を積み上げていく正之助。見る間に積みあがった札束が十円札で三十束。
「砂川はん、ここに三万円ある、これは支度金です。そして、月給は二千円。どうです? 吉本で漫才しまへんか」

 支度金三万円、現在なら億単位という金額です。その現ナマを用意して、さらに月給は二千円、これもサラリーマンの年収を優に超える額。
 まさに大金、しかも現ナマで捨丸を引き抜こうという訳です。

 自信満々の林正之助。ここまでしたんだから万が一にも落ちんことはない、そんな思いです。しかし、捨丸にも譲れない思いがあった。

「林はん、私をここまで評価してくれて、ほんまにおおきに。そやけど、吉本には行かれへんのや」

これには林も驚いた。
「なんでや、これでは不足か?」
「そやのうて、ここまで漫才を開拓してきたワシの意地や。吉本は法善寺の高級劇場から方々の小さい小屋まである。その小さい方は十銭漫才をしてるやろ。ワテはようやく大きな劇場で五十銭漫才に到達したんや、ここでむざむざ十銭に戻ったら、弁天座で涙流して喜んでくれた仲間に申し訳が立たへん」

 捨丸が吉本の引抜きを断ったという噂は一気に関西の芸界に広まり、砂川捨丸の株は一気に上がります。
 この一件が契機となり、捨丸を呼ぶ時には「捨丸先生、捨丸先生」と、先生付きで呼ばれる様になったと言います。


 それから時代が過ぎ、昭和二十年に終戦を迎え、昭和三十九年には東京でオリンピックも行われました。

 戦後の暮らしも変わり始めると漫才も大きく変わって参ります。「しゃべくり漫才」の台頭です。
 中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、昭和四十年に入ると横山やすし・西川きよしと、しゃべくり漫才は大きく枝葉を伸ばしていきました。

 しかし、その一方で捨丸の方は相変わらず、「芸尽くし漫才」で舞台を務めておりました。
 その頃の挨拶の文句が実にひねりの効いたもので、

「え~、こちら漫才の骨董品でございます」

 漫才が様変わりする中、昭和四十六年十月十二日、八十歳の天命を全うするまで、捨丸は「芸尽くし漫才」を貫いたということでございます。
 今や昔という砂川捨丸の一席でございました。

                                完

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?