【昭和講談】花登筐「番組の主導権を握れ!」 第二回(全三回)

 大阪地区初のテレビ局「大阪テレビ放送」が開局し、いよいよ民放テレビがヨチヨチ歩きを始めようかとしていた、そんな頃のことでございます。

「花登ちゃん、テレビで本書くなら東宝に来いへんか」

 東宝系列のOSミュージックホールでコントを書き、実験放送ではテレビ台本も書いていた花登筐。
 その繋がりから、東宝のテレビ課に誘われ、専属となったいきさつがございました。

 東宝といえば映画会社でございますが、社長の小林一三は、阪急東宝グループを一代で築き上げた大実業家ですから、当然、テレビ事業にも興味を示し、阪急はテレビ局へ出資、そして、東宝はテレビ制作に乗り出していた訳でございます。

 さて、当時の東宝のテレビ課には、喜劇人の佐々十郎、茶川一郎といった役者が専属で在籍しておりまして、作家の花登筐は、自分の劇団の大村崑や芦谷雁之助、芦谷小雁、そして、東宝の佐々十郎ら、それぞれの役者の配役に腐心しながらテレビや舞台の台本を書いておりました。


 そんなある日のことでございます。
 大阪テレビ放送の制作室で、信太ディレクターとの子供向け番組の台本打合せのことでございました。

「ここあかん、ここも駄目」

 信太ディレクターがいつになく本に赤入れをしております。

 赤入れというのは、台本の修正を赤字で書き込むことでございますが、その箇所が何時になく多い。その様子を花登はただ見つめるばかりでございます。
 そして、台本の赤入れを終えた信太ディレクターが花登筐の方へ向くと、

「こんな台本使えません」

 言われた花登は驚いた。慌てて赤入れの箇所を確認すると、簡単な「てにをは」の間違いばかりでございます。

「分かりました。すぐ修正します」
「いや、その必要はありません。もう来週から書かなくてええです」
「ですが、これくらいは直ぐ直せますから」
「いや、本当にもうええですから」

 そう言って部屋を出て行ってしまった信太ディレクター。
 花登は驚くというより困惑した。

「どういうことや、ドラマは1クール、十三回の約束のはずや、それなのに、まだ七回目なのに残り六回どうするんや」

 訳が分からぬまま花登が大阪テレビ放送の制作室を出ると、

「ハナちゃん」

 後ろから声がかかった。
 「ハナちゃん」とは花登筐のことで、当時、まだ駆出し作家の花登筐は、周りから親しくそう呼ばれておりました。

 声を掛けられ花登が振り返ると、それはあの、一緒に警察署に行った野添泰男ディレクターでございます。

「ハナちゃん、ちょっと外へ行こうか」

 そう誘われ、近くの喫茶店に入ると、花登が口火を切った。

「こんなこと信じられませんよ。残りの話はどうするんですか」
「実はな、あのハナちゃんの番組、打切りするんよ」
「え? 本当ですか」
「ほんまや。実は、あの番組、スポンサーから苦情が来ててな。それで打切りが決まったんよ」
「まさかそんな」
「で、打切りとなったらその原因は何やってなるやんか。そうなると、本が悪い、ってなる、いや、なったんや。それを信太君はハナちゃんに伝えるのが辛かったんちゃうか。それで別の理由をでっち上げたんやないか」

 それを聴いて黙る花登でございます。

「なあハナちゃん、信太君も大変やったんや。スポンサーから営業部、営業から編成部、編成から制作部に来て、部長や課長から信太君、随分責められてたんや。何しろ民放はNHKと違て、金を出すスポンサーで成り立ってるから」

 民放はスポンサーで成り立っている。この言葉を聴いて花登筐は衝撃を受ける。

(そうや。民放はスポンサーの広告料で成り立ってるんや。そんな当たり前のこと、忘れてたわ)

 花登は野添ディレクターに礼を言い、一人、公演のベンチに座り込んだ。

「あの番組で、ウチの大村崑や佐々十郎を起用出来ないかと考えてたのに全て流れてしもた。そやけど、番組一つ簡単に打切れるなんて、スポンサーっていうのは、なんて強いんや。全く、強過ぎるわ」

 公園で、一人ぶつぶつつぶやく花登筐。辺りは日も傾き、そして、暮れて参ります。
 この頃には花登の頭の中は、既に番組打切りのショックは消え、次のことに頭が切り替わっておりました。

「そうか。それならつまり、こちらから直接、番組をスポンサーに買ってもらえる様に考えればええんや」

 かつては船場で働いた花登でございますから、商売の基礎は心得ております。その経験を活かそうと考えた訳でございます。

「さて、自分がスポンサーに番組を売込むには伝手がない、と、するとどうするか……」。

 そこでハッと気づくと、花登は急いで公園を後にしたのでございます。

 それからは、東宝で舞台の台本を書きながら、花登は番組企画にも精を出し、そして、東宝に出入りしていた京都のある会社に番組企画を持込んだ。

 その会社が広告代理店の「協和広告」でございまして、花登が出した答えが、広告代理店との共同企画でスポンサーに番組を売込むことだった訳でございます。

 花登の企画を聴いた協和広告の倉鋪専務も「花登センセ、それはおもろいですな」と大乗り気。
 そこから花登筐と協和広告はひと月かけて完璧に企画を創り上げると、準備万端、スポンサー獲得へと乗り出したのでございます。

 場面は変わり、ところは、大阪で発動機を開発・製造する「ダイハツ工業株式会社」、その大会議室でございます。

 花登たちの企画書は、ダイハツの宣伝部から営業部へと廻り、そこから役員の決裁が降り、いよいよ最終盤。
 ダイハツの小石雄治社長始め、重役が居並ぶ最終企画提案に臨むことになったのでございます。

 番組採用の可否がここで決まるという中で、花登筐が番組の粗筋を説明する。

「ええ、番組名は『やりくりアパート』と申しまして、大阪のとある所にあるアパートが舞台でございます。アパートの管理人夫婦の下で、ぐうたらでお金のない学生たちが様々なトラブル巻起して解決していくコメディ、アチャラカ喜劇でございます」

 自信満々、滔々と説明する花登筐。
 その後ろに居並ぶのは、大村崑、佐々十郎、茶川一郎、芦谷雁之助、芦屋小雁ら、花登筐の手持ちの役者がずらりと揃っております。

 それを気にしたダイハツの小石社長。

「花登君、その……、君の後ろの若い人たちは出演者か、何かかね?」。「はい、若手ですが将来有望な役者たちです。そして、ダイハツへの思いも並々ならぬものがございます。な、君たち」

 それをきっかけに、大村崑、佐々十郎ら役者たちが一斉に口を開いた。

「私たちはダイハツ工業のために身を粉にして働きます! ダイハツ工業社訓。一つ、誠実を旨とすること。一つ、礼儀を正しくすること。一つ、勇気を振起すること、ひとおつ……」

 全員が口を揃えてダイハツの社訓を読み上げると、意表を突かれたのがダイハツの重役たち。皆、困った顔して笑っております。
 すると小石社長が笑い交じりで答えた。

「いやはや分かった分かった。君たちの意気込みは十分伝わったよ」

 この返答に花登筐は内心、

(よし、これならいける)

 そして結果は、見事、提供決定でございます。
 花登筐は、番組打切りの挫折を乗り越えて、放送作家自ら番組スポンサーを獲得するという、恐らく、放送史上でも初めての大事を成し遂げたのでございます。

 大阪コメディブームの火付け役となった「やりくりアパート」でございますが、その裏では、ドラマ顔負けの花登筐の奮闘があった訳でございます。
 しかしまた、花登のもとには、また難問がやってくるのでございます。 


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