【昭和講談】砂川捨丸「『芸尽くし』で漫才を切り拓く」 第二回(全三回)

 神戸新開地「日の出座」を本拠地とした漫才師・砂川捨丸ですが、その名を全国にのし上げたのは「日の出座」の舞台ではなく、全国へのドサ廻りとメディアの活用でありました。

 メディアと言っても大正時代のことですから、それはテレビでもなければラジオでもない、レコードでございます。

 大正十二年、神戸の捨丸宅へ一人の男が訪ねて参ります。
 舶来の帽子に高級な背広、手には傘という立派な紳士。長屋ひしめき合う庶民の住処に現れたこの男、差し出す名刺には「日本蓄音機商会」制作部長・中濃淳史と書いてある。

 「日本蓄音機商会」、後の日本コロムビアでございます。その前身である日蓄の制作部長が訪ねてきた。
「捨丸さん、あなたの漫才をレコードにしてみませんか」

 漫才のレコード吹込みを持ち掛けられ、捨丸は「そりゃよろしいな」と二つ返事。
 あまりの快諾にホッとした日蓄の中濃。しかし捨丸、ここから本題へと切り込んだ。

「で、日蓄さん、吹込み料はナンボですかいな?」。

 捨丸にしてみればこちらが交渉の本丸です。
「そうですねレコード一枚分十円でどうでしょうか」
「一枚十円か……。今、レコード一枚五十銭くらいで売ってますやろ。百枚売れれば五十円、千枚売れれば五百円や。五百円の山分けで、二百五十円はどうやろか?」

 これには中濃も驚いた。当時、日本軍の将校クラスでも月給二百円くらいという時代に、レコード一枚二百五十円は吹っ掛けすぎです。
 まごつく相手に捨丸はニヤリとして、
「いくら何でも二百五十円は高いやさかい、百枚分の五十円で手を打ちましょか」
「百枚分の五十円ですか……、いいでしょう」

 こうして、一枚五十円、十枚吹込みで五百円という吹込み料をポンと決着させた訳です。

 さあ、あれやこれやで捨丸の漫才レコードは、華々しく東京で売り出した。
 しかし、漫才に馴染みのない東京では全く売れません。当てが外れた日蓄ですが、ここでめげる訳にはいかない。

「元々大阪で人気の漫才だから大阪で売ったらどうだ」

 早速大阪で売り出すと、これが大当たり。売れに売れたレコードは結果三十万枚に上ります。
 当時は四、五万枚売れればヒットということでしたから、三十万枚は予想を遥かに超える大ヒットだった訳でございます。
 この大ヒットに生産の方が追い付かない。京都の工場だけではとても足りないと川崎の工場までフル稼働させてプレスしたと言われております。

 大阪で火が付いた漫才レコードは、今度は東京で燃え上がり、さらに全国へ燃え広がり、いよいよ漫才はレコードの力を借りて全国区の認知度を得た訳です。

 これに味をしめたレコード会社は捨丸の漫才を次々にレコードに吹き込みまくります。
 結果、捨丸の漫才レコード、その枚数は現在確認できるだけでも総数二百七十枚。これはつまり、それだけ多くの漫才ネタが捨丸にあった、ということの証明でもあります。


 この砂川捨丸を全国区の人気者にしたもう一つの理由がドサ廻り、つまり巡業です。
 明治、大正、昭和中頃と、漫才を中心に、雑多な大衆芸能では、その収入の柱は巡業でした。特に関西ではドサ廻りが活発に行われており、二十名から三十名くらいの座組を組んで、日本全国津々浦々へと廻ります。
 砂川捨丸も神戸を本拠地にしながら、一年のほとんどは巡業で過ごしていたというほどです。

 その巡業の範囲が広い。北は北海道、南は九州沖縄と言いますが、戦前の日本です、北は樺太・択捉から、南は台湾まで。さらにそれでは止まらず大陸渡って朝鮮・満州という広大さです。
 日本の隅々まで巡り廻って行く訳ですが、行った先では暖かく迎えらます。それもそのはず、レコードで皆、砂川捨丸のことを知っていたからです。

 捨丸三十五歳の夏、大分は別府で巡業をした時のことです。

 総勢二十五名の芸人たちが別府温泉の安宿へと泊まりました。風呂から上がった捨丸は舞台の疲れを癒そうと按摩を呼びます。
 昔は按摩といえば目の不自由な方が多く、頼んだ按摩もそうでした。浴衣姿で布団に突っ伏した捨丸が気軽に按摩に声をかけた。

「ちょっとすまんけど、お願いするで。肩と腰がくたびれてたまらん」。

 この一声を聴いた按摩が驚いた。
「お客さん、砂川捨丸と違いますか?」
「なんやワシのこと知っとるんかいな」
「その声、その声ですぐ分かりましたよ」。

 聞くとこの按摩、捨丸の大ファンで、レコードを百七十枚は持っているということでした。その一声で本人と分かる、そんな熱烈なファンが全国あちこちに点在するほど捨丸人気は高まっておりました。

 レコードで広まり、そこに巡業で廻る。こうした地道な積み重ねで砂川捨丸の名が日本全国に広まった訳でございます。


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