見出し画像

【昭和講談】高座前の掛合① 講談師 登場!

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、年が明け、令和4年となりましたが、これはその前年、令和3年・師走のことでございます。

 まだ寒波の到来する前の時期、舞台は名古屋大須の商店街、平日の朝遅く、10時前のことでございます。
 万松寺通りを年配男性が一人のったのったと歩いて参ります。

 足元はつま先まで覆われたサンダルを履き、毛玉のついた上下のジャージに褞袍をはおり、ぼさぼさの白髪交じりに眼鏡をかけて、腕組み背をかがめ、いかにも年配男性のだらしない普段着姿という風貌で、商店街を歩いていく。
 すると、商店街の人たちから声がかかる。
「あ、師匠、お早うございます」
「師匠お早う」

 師匠と呼ばれるこの男こそ、芸歴まもなく五十年、名古屋で活動し続ける講談師、錦秋亭渓鯉でございます。

 商店街の人の挨拶に応えつつ、錦秋亭渓鯉は万松寺通りを一つ路地に入ると、急に薄暗くなった路地の隅に置かれる「喫茶 せせらぎ」の看板で向きを変え、喫茶店へと入っていく。

 扉を開けるとカランコロンの鈴が鳴る、奥からは店員の「いらっしゃいませ」の声。
 店内に眼をやる渓鯉師匠、ひと際座高の高い男の斜め前に座った。

「あ、師匠お早うございます」

 錦秋亭渓鯉に気づき、挨拶をした四十過ぎ、今でいうならアラフォー世代のこの男、フリーライターのタケ田タケノコでございます。

 講談師・渓鯉とは半年前に知り合い、渓鯉に頼まれ、毎月「昭和講談」を書いているのはこの男でございます。封筒を渡すタケ田タケノコ。
「師匠、来月分です」
「うむ、ありがとうだがや」

 礼は言ったが、渓鯉の心は眼前のモーニングでございます。
 名古屋名物盛りだくさんのモーニング、2cm厚のトーストにはマーガリンが塗られ、溶けて光るその上に大量の小倉あんが乗っかる。さらに、サラダ小鉢にゆで卵がつく豪華なモーニングセット。
 錦秋亭渓鯉にとっては、お昼を軽くしてくれる貴重な朝食でございます。

 さあ、機嫌よくモーニングを平らげて、錦秋亭渓鯉は食後のコーヒーをすすりながら台本に目を通すと、タケ田がこらえ切れず声をかける。
「あの師匠……、どうでしょうか」
「まあ、これでええがや」
「ありがとうございます」

 タケ田タケノコ、少し安堵した。しかし、渓鯉がぽつりと一言漏らす。
「だがねえ、もう少し笑いが欲しいんだて」
「笑い……ですか」
「前も言うたがね。タケ田君、もう少し軽くというか、柔らかくならんかね」
「すんません。人物追いかけるのに必死でなかなかそこまで余裕がないもので」
「真面目なのはええがね、でも遊びがないて。そこが君のあかんところだて。だもんで君も大阪から名古屋に戻ってくることになるんじゃないのかて」

 いつもは相手をおもんばかる師匠だが、つい口を滑らせると、タケ田タケノコ、カチンときて言い返した。
「師匠、そんなん言われたら売り言葉に買い言葉。こちらも言いたいことはありますよ……」
「そんなんいらんて!」
「い、いらん?」
「ああ、いらんて。そんな批判は聞きたくないだもんで、ええわ」
「なんですねんそれ」

 飄々と構える錦秋亭渓鯉にやり込められるタケ田タケノコ。もういつもの風景でございます。
 そして、タケ田をやり込めた後は渓鯉師匠の、いつもの口上が始まるのも、これまた日常でございます。

「こう見えても、ワシは長いこと講談師をやっとるがね。芸歴まもなく五十年。この錦秋亭渓鯉、美濃国苗木は中津川で生を受け、ここ芸どころ名古屋で声を鍛えて、芸を磨き、ひと声千両……には及ばぬけれど、たとえ、ひと声六文だろうとも、寒気凛冽の極寒も、九夏三伏、酷暑の中も、芸道一筋……」

「もういいですから、師匠」
「何っ?」
「もう何度も聞いてますって。芸の道に励んできたってやつですよね」
「そんなに何回も言ったがや?」
「そりゃもう、“どえりゃぁ”何遍も」
「昔は、その都度、感動してたがね」
「最初だけですよ」
 
ため息をつくタケ田ですが、初めて眼前で、この渓鯉師匠の口上を聴いた時は声の大きさ、太さといい、音吐朗々、その口調の良さに感動したのは確かでございます。

 しかし、年寄りの常と言いますか、お年を召された方は同じ事を何度も口にするところがございますが、渓鯉師匠もまた、同じことを何遍も口にするところがございます。
「師匠、他にも、名前の由来のあれもですよ」
「あれって何だ?」
「ほら、『家の家系が苗木藩の勘定書きで父の代でもお勤め先の金勘定。で、ついた名前が“経理(渓鯉)”という』、ってやつですよ」
「よく覚えとるがね」
「何度も聴けば覚えますっ!」

 そんなやり取りを掛合いながら、前回の昭和講談に話が及んだ。
「師匠、前回の永田雅一はどうでした?」
「うむ、良かったんじゃないがね」
「あそこ……、映画タイトルや番組名を連呼するところの修羅場読みですが、あれはどうでした?」
「それらしくなっとったがね」
「えぇ...、『修羅場読み』というのは、講談特有の淀みなく滔々と語る口調のことです」

「そんなこと言われんでも知っとるだて。ワシゃ講談師だぞ」
「いえ、あの……、修羅場読みを知らない読者に説明をと、思いまして…」
「読者て、誰だがや?」
「いいんですよ。こっちの都合なので、ほっといて下さい」
「なんだて、全く…」
「で、どうでした? 永田雅一の番組名の修羅場読みは」
「うむ、ああいうのをもっと入れてもええんでないがね」
「はい。頑張ります」

 そんな話をしつつ、次回の演題をタケ田タケノコが読み上げながら説明していきます。
「……と、まあ、こんな感じです。あの国民的歌手の母娘の絆の物語です」
「うむ、あの歌手ではなく、その母親がメインになるだがね」
「そうです。親御さんの、子供の個性を伸ばし方のヒントにもなるんじゃないかなと思いまして」
「なるか。こんな子供はまずおらんだて」
「まあ、そうかも知れませんけど。師匠はもちろん、この歌手は知ってますよね」
「当然だがや。ワシの年代でこの人を知らんもんはおらんがね」
「いやあ、今どきの20代、30代は知らないと思いますよ」
「そうかね。それは……、ヤバいがね」
「なんやねん『ヤバイ』て。私は、その娘の歌手になったきっかけのエピソードが好きなんですよ」
「ワシは、山口組との関りの方が興味あるがや」
「そこは、今回は『触れず』ですね。あまり話を盛り込むとまとめ切れないので」
「そうだなや。まあ、これでやってみるがね」
「どうぞお願いします」

 それから渓鯉師匠は、台本を持って家に戻ると何度も稽古を重ねる訳ですが、その努力の姿は、タケ田タケノコは知る由もないところでございます。

 さて、昭和講談6作目、果たしてどんな語りとなりますやら、次回、錦秋亭渓鯉の講談に、乞うご期待でございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?