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【ブルアカ考察】キヴォトス考古学 ―知られざる古代文明の真実

はじめに

 キヴォトスにはいくつものオーパーツが眠っている。それらは実に驚異的で、一体どんな文明がこれを作ったのか気にならないだろうか。
 本記事はキヴォトスの古代文明に関する考察だ。ブルアカの世界観の根幹に関わる重要な考察となっているので、是非最後まで見て行ってほしい。
 なお、前回の考察とは違い、それぞれの節を順番に読むことを前提として執筆している。
 最終編までのネタバレを含むので注意。


第1章 事実


1 名もなき神のモチーフ(1)

 自然を模った形で顕現するという「名もなき神」、それを信仰する「無名の司祭」のモチーフについて考える。
 その候補は3つあるが、まずはそれらについて紹介する。

①八百万の神
 日本の宗教である神道では、自然現象などが信仰されている。「八百万」という言葉は数が多いことを表している。
 それぞれの神には名前があるものの、信仰のかたちは名もなき神と似ている。

※イメージ

②汎神論
 これはスピノザの神としても知られている。簡単に言うと自然を含めた全てが神であるとし、同時に神は全てであるとしているものだ。古代ギリシアの一部に最初に見られる。なお、この考え方は一神教(神が単一の宗教)のひとつとされている。
 これが神として顕現するなら、自然を模った形になってもおかしくない。この点は名もなき神と一致する。

本記事ではいらすとやが大活躍する。

③アニミズム
 これは「精霊崇拝」などと訳されるもので、自然や物質に霊魂が宿るという考え方だ。例えば前述した神道はいろいろな自然現象を「カミ」と呼ぶが、これはアニミズム信仰と似ている。
 また、アニミズムは原始社会や原始宗教によく見られる。
 これは多神教(神が複数ある宗教)に近いが、実際は違う。名もなき神とは「自然を信仰する」という点では一致している。

 この3つが元ネタ候補だ。この情報だけ見ると汎神論(スピノザの神)が有力に見えるが、まだ考察材料が少ない。なので、一旦キヴォトスの古代文明について他の面から考察し、最後にこの問題に戻ってくるとしよう。


2 キヴォトスの方舟

 ブルアカには、方舟と関連する存在がいくつかある。それらを見ていく前に、聖書の「ノアの方舟」について解説する。

 ノアの方舟は旧約聖書の「創世記」に登場する話だ。地球に人が増え悪事を働くようになり、神はそれを見て失望した。そして、神は大洪水を起こして人間を滅ぼすことを決めた。だが、ノアという人物だけは正しい行いをする人で、神は彼だけは許すことにした。
 神はノアに、方舟を造り、ノアの家族ときよい動物(生贄として捧げる動物)7つがいずつ、他の動物1つがいずつを入れることを命じた。その結果、人間やその他の多くの動物は大洪水で絶滅しなかった。なお、方舟の大きさは135m×22.5m×13.5mだった。

 これがノアの方舟だ。ノアという名前からとある生徒を連想した先生もいると思うが、それについて語るためにはアトラ・ハシースの箱舟とアリスについての考察が前提になるため、本記事では触れない。筆者の中では答えが出ているので、次の記事を待っていただければ幸いだ。

 それでは、方舟と関連する存在を確認しよう。

①キヴォトス
 ギリシャ語で方舟を意味する。

②アトラ・ハシースの箱舟
 アトラ・ハシースは「アトラ・ハシース叙事詩」の主人公で、ノアにあたる。箱舟は方舟と同じ意味だが、ノアの方舟を指す場合は方舟とするのが一般的。
 アトラ・ハシース叙事詩は紀元前18世紀にアッカド語で記されたもの。なお、ナラム・シンという言葉もアッカド語。

③ウトナピシュティムの本船
 ウトナピシュティムは「ギルガメシュ叙事詩」に登場するアトラ・ハシースと同一。つまりノアにあたる。
 現在知られているものは紀元前13世紀にまとめられた「標準版」という。
 本船は方舟と全く違う意味。その意味をコトバンクから引用する。

1 付属の小船に対して、それを従えている大船。親船。ほんせん。
2 沖に停泊して、はしけで陸上と連絡する大船。

https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E8%88%B9-632262

 ふねの部分を舟と表記することはない。
 なお、ウトナピシュティムの本船の大きさは上述したノアの方舟の大きさとほぼ一致する。

 また、アトラ・ハシースの箱舟とウトナピシュティムの本船の名にはキヴォトスの起源が込められているという。


3 名もなき神の文明

 名もなき神は自然を象った形で顕現し、無名の司祭はそれを崇拝する。
 しかし既に淘汰されたようで、名もなき神はキヴォトスに見られないし無名の司祭もアトラ・ハシースの箱舟が顕現した際にしか出てこない。
 そんな彼らの文明について、わかっていることをまとめる。

 技術

 アトラ・ハシースの箱舟、AL-1S、デカグラマトンにハッキングされる前の預言者(おそらくホド以外を指す)は名もなき神が残したもの。

 また、虚妄のサンクトゥムも名もなき神が築き上げた技術のようだ。

そして……キヴォトスに出現した6つの塔は――
「サンクトゥムタワー」の一種といえるでしょう。それも、反転した。
アレは太古の昔、まだこの世界に記録が残されるよりも前――当時存在していた原始的な神秘――「名もなき神」が築き上げた技術の一つ。

黒服

「この世界に記録が残されるよりも前」に作られた技術。AL-1Sは遥か昔の記録に存在するため、それよりも前ということになる。

アリスの正体……
それは――
無名の司祭が崇拝する「オーパーツ」であり――
――遥か昔の記録に存在する、
「名もなき神々の王女」。

リオ、ヒマリ

 また、未来予知の技術(エリドゥでアビ・エシュフが発動したもの)も名もなき神のものだ。

 これらとは別に、無名の司祭が作った技術もある。

ええ……ですが、生贄の体に予め植えておいた防御システムのおかげで助かりました。感謝します、黒服。
……クックックッ。無名の司祭たちの技術が役に立ってよかったです。

ベアトリーチェ、黒服

「ヘイローを破壊する爆弾」からアツコの命を守ったのは、無名の司祭たちの技術だった。
 また、3編で古聖堂を破壊した巡航ミサイルも無名の司祭の技術だ。

 なお、Keyは無名の司祭たちが残した修行者だと自称する。

 無名の司祭は王女(AL-1S)を助けるという。AL-1Sは名もなき神が造ったものなので、名もなき神と無名の司祭は友好的な関係だったことがうかがえる。

 信仰

 冒頭でも述べたとおり、無名の司祭は自然を模って顕現する名もなき神を崇拝する。なお、名もなき神が複数形になることはほとんどなく、唯一「名もなき神々の王女」でだけ複数形となっている。

 淘汰と復権

 無名の司祭の発言から、名もなき神や無名の司祭はキヴォトスから淘汰されたことがわかる。そして、忘れられた神々(生徒)に対して同じ運命を辿ることを望んでいる
 それを実現するために、色彩やアトラ・ハシースの箱舟を利用する。さらに、シッテムの箱を持つ先生が色彩に触れた際、「理解できぬ」と言いながらもシッテムの箱を所有できることを喜んでいる。
 アトラ・ハシースの箱舟は無名の司祭の所有物だとしても、色彩はそうでない可能性が高い。

現在、キヴォトスに顕現しているアレは、私の認知領域に存在しない敵……
その正体は、「名もなき神」や「忘れられた神々」であろうと知ることのない不可解な存在。
ですが、一つだけ言えるのは――アレは、本来私たちの所有物で去る「アトラ・ハシースの箱舟」の能力をコピーしているという事。

ケイ

 このケイの発言は色彩か色彩の嚮導者を指しているのだが、いずれにせよ色彩について誰も理解していないということになる。これもいつか考察するが色彩のモチーフはラブクラフトの「異次元の色彩」である可能性が高く、名もなき神でさえ知らないそれを無名の司祭が所有できることはないだろう。なお、異次元の色彩については日本語訳の「天涯より来る色」が無料で読めるので、一度見てみてもいいだろう。

 シッテムの箱については無名の司祭Cの発言から考えられる。

理解できぬ――だが、あの「箱」を我々が所有できるのなら、理解する必要も無い。

無名の司祭C

 ただ「箱の力は、我々が預かる」とGが言っているので、その力を危険視しながらも、色彩の力があれば掌握することができるようだ。

 余談

 無名の司祭はGまで、つまり7人登場しているのだが、無名の司祭Gの出番が異様に少ない。A~Cがだいたい喋り、D~Fがたまに割り込む形で、Gのセリフは2つしかない。これを鑑みるとGの存在意義に疑問符が浮かぶが、プレナパテスのシッテムの箱のパスワードを見ると、Gがいる理由がわかる。詳しくは「シッテムの箱のパスワード」節で考察する。


4 ウトナピシュティムを造った文明

 かつて名もなき神に敵対する文明が存在し、その文明がアトラ・ハシースの箱舟に対抗するためにウトナピシュティムの本船を作ったことがわかっている。

 現状その文明に関しての情報はこれしかなく、どのような者が属していたのかもわかっていない。

 ウトナピシュティムは太古の「恐怖」であるらしい。名もなき神は原始的な「神秘」なので、それと対になっているのかもしれない。

 現状はこれくらいの考察しかできないが、名もなき神や現代のキヴォトスの元ネタがわかると、こちらの元ネタも推測できる。


5 シッテムの箱のパスワード

 シッテムの箱のパスワードは、こちらの世界とプレナパテスのもので異なる。

……我々は望む、七つの嘆きを。
……我々は覚えている、ジェリコの古則を。

通常

……我々は望む、ジェリコの嘆きを。
……我々は覚えている、七つの古則を。

プレナパテス

 これらについて、クリフ先生による考察をもとに考える。

 こちらの内容を要約すると、

  • 七つの嘆きはイエス・キリストの歩み

  • ジェリコの古則は「ジェリコ大虐殺」という出来事での、「神を信じるので、私を救ってください」という問答。「信じる者は救われる」の意

  • ジェリコの嘆きは「ジェリコ大虐殺」

  • 七つの古則は答えのない問い

ということがわかる。
 まず、キリストとジェリコ大虐殺について解説する。

 キリストはキリスト教の開祖で、先生のモチーフでもある。これについては、

こちらの記事の「前提:先生と連邦生徒会長のモチーフ」節で考察している。
 またブルアカの世界観はキリスト教との関係が深く、様々な用語がキリスト教関連のものだったりする。

 ジェリコ大虐殺とは、紀元前13世紀ごろにパレスチナのジェリコという地で起こったとされる出来事だ。(エリコと呼ぶのが一般的だが、本記事ではジェリコで統一する)
 イスラエルの指導者であるヨシュアという人は、神に「約束の地を与える」と告げられた。だがそのためには、ジェリコを攻略しないといけなかったのだ。
 ヨシュアは斥侯を使い、まず娼婦ラハブの家に潜入した。ラハブはヨシュアたちの勝利を察し、「あなた方の神を信じるので、私と家族を助けてください」と命乞い。
 その後ジェリコは城門を閉ざす。しかしイスラエルの民は契約の箱を担ぎ、7人の祭司7つの角笛を持って7日間ジェリコの周囲を回ると、城壁が崩れ落ちた。これを「ジェリコの戦い」という。
 そして、イスラエルの民は前述のラハブたちを除き、ジェリコの民はみな虐殺された。これを「ジェリコ大虐殺」という。

 なお、ちょっと出てきた「契約の箱」はシッテムの箱のモチーフだ。こちらも、詳しくは上述の記事を参照してほしい。

 ジェリコの戦いは最終編2章の出来事と関連性がある。無名の司祭はかつてキヴォトスを支配していたが、そんな彼らは全次元からの忘れられた神々の追放を望んでいる。つまり、本来自分たちのものだった地を全世界線で取り戻そうとしているのだ。そして、色彩やアトラ・ハシースの箱舟を用いてこちらの世界に侵攻してきた。
 一方ジェリコの戦いは、神に与えられた約束の地を得るためのものだった。神の決定である以上、イスラエルの民にとっては約束の地は得て当然のものであった。
 そう、「本来自分たちが持つはずの地を得る」という目的において、この2つは共通しているのだ。

 他にも共通点がある。イスラエルの民は契約の箱を持っており、それはシッテムの箱のモチーフだと述べたが、プレナパテスもシッテムの箱を持っていた
 さらに、ジェリコの城壁を周った司祭は7人、無名の司祭もGまでなので登場したのは7人だった。
 先ほど無名の司祭Gの存在意義について考察したが、実は司祭が7人であることが重要だったのではないだろうか。つまり、Gはジェリコの戦いの再現のための、ある意味人数合わせだったのだ。
 最初に紹介したクリフ先生のツイートにもあるが、角笛と虚妄のサンクトゥムの数も7で一致する。

 以上の根拠から、最終編2章の出来事は明らかにジェリコの戦いを意識している。
 この事実と先生のモチーフがキリストであることを踏まえると、パスワードについて新しい解釈ができる。

……我々は望む、七つの嘆きを。
……我々は覚えている、ジェリコの古則を。

通常

……我々は望む、ジェリコの嘆きを。
……我々は覚えている、七つの古則を。

プレナパテス

 通常の方は
「先生(キリスト)を望む」
「信じれば救われることを覚えている」

と、プレナパテスの方は
「キヴォトスを取り戻す戦いを望む」
「答えがないことを覚えている」

と解釈できる。

 そうすると、シッテムの箱そのものについて考察ができる。
 プレナパテスのパスワードは明らかに無名の司祭の願いだが、無名の司祭はプレナパテスのシッテムの箱を所有していた。

理解できぬ――だが、あの「箱」を我々が所有できるのなら、理解する必要も無い。

無名の司祭C

 無名の司祭がシッテムの箱を掌握したタイミングでパスワードが変わったのではないかと思われる。つまり、プレナパテスの世界でも最初からこのパスワードではなかったということだ。
 誰がシッテムの箱を作ったのかについては、後に考察する。


6 キリスト教の歴史

 現在のキヴォトスが全体的にキリスト教モチーフが多いこと、シッテムの箱にジェリコという言葉が出てくることから、無名の司祭にはキリスト教の歴史との関係が考えられる。
 というわけで、キリスト教や本考察に関連する出来事の歴史を見てみよう。

 キリスト教はイエス・キリストの死後に弟子がその教えを広めたことにより起こった。その基礎はユダヤ教で、信仰する神や旧約聖書という聖典を共有している。
 そんなユダヤ教はもともと遊牧民だったヘブライ人から生じる。ヘブライ人はユダヤ教の前はどんな信仰を持っていたのだろうか。

世界の他の民族と同じく、アニミズム信仰だったのである。アニミズムとは、「物括論」あるいは「精霊崇拝」と訳され、要するに自然や物質に霊魂の所在を認めようとする原始的な信仰である。
(中略)紀元前1800年頃のヘブライ人もそうであった。絶えず移動して歩く彼らにとっては、泉、井戸、木、山などが信仰の対象だった。

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 筆者が聖書の勉強のために買った本によると、紀元前18世紀ごろは冒頭に出てきたアニミズム信仰だったようだ。なお、同じく紀元前18世紀に「アトラ・ハシース叙事詩」が記されている。

 ユダヤ教が生じたのは、「モーセの十戒」が作られた紀元前13世紀と言われている。それはイスラエル人の指導者であるモーセが神に授かった十の戒律で、重要な律法(ユダヤ教のルール)になった。
 同じく紀元前13世紀に、シッテムの箱のモチーフである契約の箱が作成されている。また、前述した「ジェリコの戦い」が起こったり、ウトナピシュティムの名が出てくる「ギルガメシュ叙事詩」の標準版が作られたのもこの時期だ。

 時が経って起源1世紀、キリスト教が生じる。ここで一旦、これまでの出来事を時系列順にまとめる。

紀元前18世紀
 
ヘブライ人のアニミズム信仰
 アトラ・ハシース叙事詩

紀元前13世紀
 ユダヤ教の始まり
 契約の箱作成
 ジェリコの戦い
 ギルガメシュ叙事詩(ウトナピシュティム)

紀元1世紀
 キリスト教の始まり

 ここでひとつ、気付いたことはないだろうか。そう、「アトラ・ハシース」が見られる年代、「ウトナピシュティム」が見られる年代、そして現代で信仰されている宗教が違うのだ。これは非常に重要な手掛かりといえる。


第2章 考察


1 名もなき神は一神教とも多神教とも言い難い

 名もなき神はその呼び名から一神教であるように見えるが、実はそうとも言えない。

 黒服は「彼らは自然を模った形で顕現する」と言っている。そう、名もなき神は複数いる存在なのだ。
 しかし、アリスの呼び名である「名もなき神々の王女」以外で「神々」と呼ばれることは一切ない。名もなき神は一神教と多神教、どちらなのだろうか。ここで、「名もなき神々の王女」について考えてみる。

 アリスにはアトラ・ハシースの箱舟を顕現させる権能がある。これはまさに、世界を滅ぼす「魔王」のような力だ。

 そんなアリス、もといAL-1Sを崇める無名の司祭たちは、すべての時空の「忘れられた神々」の消滅――つまりキヴォトスの生徒の根絶を目指していた。その手段が、アトラ・ハシースの箱舟だったのだ。
 もしそれが実現すれば、AL-1Sと無名の司祭は複数の世界を支配することになる。ところで、名もなき神は単一なのか複数なのかまだわからないが、たとえ単一の存在だとしても、複数の世界を見れば複数になるのではないか。
 言葉だけでは説明しづらいので、ここで一度図にしてみる。

 無名の司祭は名もなき神を崇拝している。

 その王女の名に「名もなき神々の」とついているのは不自然に感じられる。だが、その理由は無名の司祭の目的からわかる。
 無名の司祭は全時空のキヴォトスを滅ぼそうとしていた。それが成功したなら、次の画像のような状況になるだろう。

 このようになったのはアトラ・ハシースの箱舟のおかげ、つまり王女のおかげだ。いくつもの世界を滅ぼしたAL-1Sは、ひとつの世界のみならず数々の世界において王女と崇められるだろう。

 ある世界の名もなき神の王女なのではなく、たくさんの世界の名もなき神の王女なのだ。複数の名もなき神の上に君臨する王女だからこそ、「名もなき神々の王女」と呼ばれるということだ。

 ここで筆者が主張したいのは、名もなき神は多神教ではないということだ。一方、一神教とは言えない側面もある。
 本節の冒頭で述べたように、名もなき神は複数顕現する存在なのだ。そのため、多神教とも一神教とも言い難いということになる。


2 名もなき神のモチーフ(2)

 ここで冒頭の話に戻ってくる。結局名もなき神のモチーフは八百万の神と汎神論、アニミズムのうちどれなのだろうか。
 ここまでの情報から推理していただくと、何となくわかる先生もいるだろう。そう、名もなき神のモチーフはアニミズムである可能性が極めて高い。

 まず、八百万の神がモチーフではない理由を述べる。
 名もなき神が多神教とも一神教とも言い難いこと、八百万の神それぞれに名前が付いていることは指摘したが、これについては説明ができる。

 名もなき神が八百万の神という総称にあたり、顕現したものは実際の神それぞれにあたると考えると矛盾しない。
 八百万の神というのは神そのものの名前ではないし、また神そのものは自然を擬人化した形で顕現するため、名もなき神との共通点がある。
 しかしながら、無名の司祭の見た目は日本の聖職者とは全く違う

無名の司祭s

 少なくとも神道ではこのような金色のネックレスなどは出てこないため、名もなき神のモチーフが八百万の神なら違和感がある。
 よくわからなかったら正月セリカの見た目を見てみてほしい。正月セリカは神社でバイトしていたが、神社は神道に基づいている。無名の司祭との相違点は多く見つかるだろう。
 よって、八百万の神は名もなき神といくつか共通点があるが、モチーフとは言えない。

 次に汎神論について見てみよう。
 汎神論は全ての物が神であるという考え方だった。これを名もなき神にあてはめると、次のようになる。

 汎神論における神は名前がなく、名もなき神と一致する。顕現したものもまた神、つまり名もなき神だ。そうすると、黒服の発言が理解できる。名もなき神自体は単一でありながら、顕現物を指すときは「彼ら」と言えるわけだ。
 しかし、ここで疑問が生じる。神が全てなら、人も神の一部であるはずだ。だが、多くの場面で名もなき神と無名の司祭は区別されている。
 少しわかりづらいので、ここからは無名の司祭と髭が生えた人による討論の形式で説明していく。

 無名の司祭が汎神論者だとしたら、前提はこうなる。

 しかし、無名の司祭は名もなき神と明らかに別の存在だ。だがもし、無名の司祭が実は名もなき神の顕現のひとつだったりしたらどうだろう。これはこれで、重大な矛盾が生じる。

 現在は名もなき神は淘汰されていることが無名の司祭の発言からわかっている。

 そのため、無名の司祭は存在できないということになる。
 見方を変えてみよう。「無名の司祭は汎神論ではなく汎神論における神を信じている」としたらどうか。

 これなら先ほどの発言で論破されることはない。(この場合本来の汎神論と少し異なるが、ブルアカの世界ではいくつもの神話が混ざっている可能性があるので、汎神論の神が絶対的な存在とは限らない)
 だが、ここまで来ると汎神論である必要がないように感じられる。この考えは、「名もなき神は自然の多くと同一である」「神と同一である自然が顕現する」と言えるからだ。

 そしてこの考え方は、アニミズムと似ている。
 次はアニミズムについて見ていこう。


3 名もなき神のモチーフ(3)

 まず、アニミズムは一神教でも多神教でもない。神という存在を定義せず、自然などに「霊」が宿ると信じるからだ。
 これはいろいろな自然や物質に霊魂の所在を求めているが、この性質は名もなき神が複数いることを説明できる。一方、その線で行くと「神々」と呼ばないことに矛盾する。
 ここでもう一度、名もなき神について確認する。

 これを直接的に図にしてみる。

 黒服によれば名もなき神は、大地、海原、天災といったもの。それらは自然を模った形で顕現するらしい。
 しかしながら、名もなき神は神々と呼ばれないから、さきほどの図示は間違っている。
 この矛盾を解消できる考え方を図示する。

 名もなき神というのは自然全体を表し、実際に顕現するときには自然の要素のひとつひとつをかたどると考えれば、つじつまが合う。
 この場合、顕現したそれぞれが意思を持っていると思われる。名もなき神はAL-1Sなど、いくつものオーパーツを残しているからだ。

 ここで、アニミズムの考え方を確認しよう。

 自然を含めた全てに、霊が宿るというものだった。つまり、全てが意思をもつのだ。霊は魂のようなものだと考えてもいいだろう。
 そう考えると、アニミズムと名もなき神はとても似ていると思わないだろうか。今一度、このふたつを合体させたものを図にする。

 まとめると、

  • 名もなき神は自然そのものを指す

  • 顕現するときは自然の要素を模る。そのため、現れるものは複数個体がいる

  • 現れたものは意思をもつ

 そしてこれは、アニミズムの考え方と似ているのだ。もうひとつ、アニミズムと名もなき神の共通点を挙げよう。

 アトラ・ハシースの箱舟、AL-1Sは名もなき神が残したオーパーツだ。「キヴォトスの箱舟」節でも触れたが、「アトラ・ハシース」という名前は紀元前18世紀に記された叙事詩に由来する。
 ところで「キリスト教の歴史」節にて、同じく紀元前18世紀ごろにヘブライ人にアニミズムが崇拝されていたと述べた。そう、アトラ・ハシースが現れた年代とアニミズムが崇拝された年代は一致しているのだ。

 以上のことから、名もなき神のモチーフはアニミズムであると考えられる。


4 もうひとつの古代文明のモチーフ

 これで名もなき神についてはわかったのだが、ウトナピシュティムを造った文明は何をモチーフにしているのだろうか。
 既にわかった先生もいるだろう。そう、ユダヤ教だ。「キリスト教の歴史」節で述べた通り、ユダヤ教が生じた年代とウトナピシュティムが出てくる「ギルガメシュ叙事詩」の年代が一致している。
 また、現代のキヴォトスにキリスト教の要素が多いことは既に述べた通りだが、歴史的にヘブライ人のアニミズム信仰、ユダヤ教、キリスト教の順で出現している。もし現代のキヴォトスがキリスト教をモチーフとしているなら、この説は信憑性を増す。ウトナピシュティムを造った文明と現代のキヴォトスの間には、何らかの関係がありそうだ。


5 余談:シッテムの箱とは何なのか?

 本記事の主題とは外れるが、シッテムの箱についても考察しておきたい。
「シッテムの箱のパスワード」節で述べたが、「我々は望む、七つの嘆きを」という文には「先生(キリスト)を望む」という意味があった。
 キリスト教において、イエス・キリストは救世主と呼ばれる。文字通り救済する者で、ユダヤ教徒が待ち望む存在でもある。(キリストを救世主と認めるのがキリスト教、そう認めないのがユダヤ教という違いがある)

 ここでキリストのことを救世主と言い換えると、パスワードは「救世主を望む」となる。アニミズムに救世主という概念はないし、キリスト教は既に救世主が到来したと信じるため、キヴォトスで「救世主を望む」のは消去法でユダヤ教にあたる文明しかない
 実際、アロナのモチーフであるアロンの杖はユダヤ教徒がエジプトから脱出する「出エジプト」、シッテムの箱のモチーフである契約の箱は、約束の地にたどり着くための「ジェリコの戦い」で活躍している。
 また、契約の箱が作られたのは出エジプトの直後だ。つまりユダヤ教の成立、出エジプト、契約の箱作成、ジェリコの戦いはすべて紀元前13世紀の出来事なのだ。

 ただ、少し疑問が残る。前述した通りユダヤ教はキリストを救世主と認めないので、パスワードに「キリストを望む」というニュアンスを含むのは不自然だ。これについては、キリスト(先生)が救世主にあたる存在だと預言した者がいたのではないかと思う。実はキリストが救世主であることは、旧約聖書で預言されていたのだ。聖書にはいろいろな解釈があるので現在いくつかの宗教に分裂しているわけだが、キヴォトスのユダヤ教にあたる文明が救世主としてキリスト(先生)を指名していることはおかしいことでない。

 そういうわけでユダヤ教の文明がシッテムの箱を作った可能性が高いのだが、無名の司祭はその能力を理解している。

おお、「箱」の主が近づいている……!!
(略)
死の神はあの者を――あの箱を、相手できるのか?
(略)
ああ、まずは箱……箱を壊すべきだ。
あの者が奇跡を起こせぬよう、阻止せねば。
アレさえ無ければ、あの者はもはや何者でもない。
(略)
理解できぬ――だが、あの「箱」を我々が所有できるのなら、理解する必要も無い。
(略)
「箱」の力は、我々が預かる。

無名の司祭A, B, C, G

 死の神(クロコ)ですら相手できるのか怪しい、奇跡を起こす箱。それを色彩の力もあってか掌握している。
 無名の司祭のセリフには崇高やラカンの哲学といった難しい要素が多いので、「奇跡」という言葉も軽率に使っているわけではないだろう。そのため、本当に奇跡を起こす権能を持つと考えられる。

 まとめると、シッテムの箱はユダヤ教にあたる文明が残したオーパーツ。それは奇跡を起こす権能を持ち、無名の司祭も危険視するほどだ。そのパスワードには、キリスト(先生)の到来を待つという預言が込められていた。


6 まとめ

 今回の考察で、わかったことをまとめる。

  • 名もなき神のモチーフはアニミズム

  • ウトナピシュティムを作った文明のモチーフはユダヤ教

  • シッテムの箱はユダヤ教にあたる文明が作ったもの


7 残された疑問

 今回の考察で、未だにわからない点を記す。

  • なぜユダヤ教の文明は残っていないのか?現実でもアニミズムはほとんど残っておらず、一神教あるいは多神教に取って変わられるのがふつうなので名もなき神が淘汰されたのは理解できる。一方、ユダヤ教は現存している。さらにユダヤ教はキリストを迫害していたため、それになぞらえるなら先生は古代文明の民に迫害されるはずだ。

  • サンクトゥムタワーはいつ建てられたのか?虚妄のサンクトゥムが「この世界に記録が残されるよりも前」に名もなき神によって作られた技術なのはわかっているが、サンクトゥムタワーとの関連はあるのだろうか。また、そもそもサンクトゥムタワーとは何なのだろうか。


第3章 終わりに


あとがき

 今回の考察はいかがだっただろうか。全体的に宗教的側面からのアプローチをしていたので、途中からブルアカ考察であることを忘れてしまった先生もいたかもしれない。
 だが、古代文明についての考察はブルアカの世界観を解き明かす上で非常に重要だ。皆さんもキヴォトスの古代文明と現実における世界史に関係性を探してみると、面白い気づきがあるかもしれない。


参考文献

twitter(X)


コトバンク


書籍


Wikipedia







おお、「箱」の主が近づいている……!!

全て飛ばして来たお前には、「偽りの先生」の名を与える。お前はこの選択を……未来永劫、後悔するだろう――!!

ある程度読んでギブアップしたお前には、「普通の先生」の名を与える。己の意思を持てると思うな。

全て読んでくれたお前には、望み通り「無名の司祭H」の名を与える。理解できぬ――だが、読んでくれるなら理解する必要も無い。


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