映画「生きてるだけで愛」観賞レビュー

普通のことが普通にできない女の子が、ただただヒステリックに周囲を振り回してく映画だった。

ボクもそういう「普通のことが普通にできない」タイプの人間で、20代の頃は結構精神的に辛い時期があったけど、そういう辛さを、これでもかとがなりたてて、泣きわめいて当たり散らして、親切なバイト先のトイレをがちゃがちゃに破壊してる可愛い女優さんには共感できなかった。

主演の女優さんはエキセントリックな人間を鋭く演じてるなとは思うけど、じゃあこれがきれいなお顔の女優さんじゃなかったら映画として説得力を担保できてただろうか?ラストの全裸で町を疾走して、涙を流して笑う主人公の、人間の生のきらめきにおける「美しさ」に感動できていただろうか?この物語では無理だと思う。嘘臭い。そんなヤツいねえよ。いたとしたら嘘癖えヤツだよ。

人間のデリケートな部分を扱う上で、ここを逃したらただの「嘘臭い」映画だ。

その嘘臭さの正体について、観てる最中ずっとモヤモヤしてたんだけど、多分そういう「自分は普通の人より劣ってる」って悩んで日々苦しんでる人達って、自分に自信がなくてそんなヒステリックに主張できないんじゃないかな?ということに気づいた。で、自分の経験も踏まえてそれが一番辛いんだよなぁと思った。

「学校II」の方がもっと的確に厳しく、そして美しく捉えてたよなと思い出して、そのままレンタル店行ったら取り扱いがなかった、、、残念。Amazonで買おう。

っていうか、仮に作者が同じようなコンプレックスを抱えててこういう物語をこしらえたんなら、そんな自分の惨めな過去を、綺麗な女優さんを使って美化して、いもしないイケメンの彼氏との日々を妄想してる姿を描いた映画だったら最高なんだけどな。そっちの方がよっぽど面白いし、共感できるし、刺さると思う。「裸でぶつかってるなぁ」と純粋に感動してたと思う。

それにしても、何で邦画の「尖ってます」系の映画ってこんな「間」が長いんだろう。

例えば、主人公が何度となく目覚まし時計の音で起きるシーンがあるんだけど、ほぼ毎回起きてボーッとして何か始めるまでを延々と映してる。呆れたのが、目覚ましが鳴って起きたら部屋のチャイムが鳴って玄関を開けるまでを延々とノロノロ追ってるだけ。編集のテンポが無頓着過ぎて、逆に「何か意味があるんだろうか?」と無駄に勘ぐってノイズになる。

多分「これを撮りたい」っていう核の部分が散漫なんだろうな。いたるところに「その間必要?」ってところがあってイライラさせられる。そういうリズムが後にハッとさせられるような映画的伏線になってたとかでもないし。「間で語る」前にもっと突き詰めるとこあるんじゃない?としか思わなかった。

最近の邦画でこれは凄いと思った「岬の兄妹」でも100回観て、「学校II」も200回観て、正座して「OASIS」を400回観て出直してきて欲しいです。

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