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2020 6.07 京都 / 京都三条河原の処刑所

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昨日の京都の写真です。


最初は銀閣寺に行く予定だっだけども、三条に着いてから金閣寺に変更。


あまりに天気がよく青い空に金色の金閣寺が栄えるんでないかと思ってのこと。

金閣寺の庭園を撮ろうとおもったけども、なんだかあっさりした庭園に軽く途方に暮れて、とりあえず撮ってみたものの、これだったら大阪城公園の森を撮るのとそんなに変わらんじゃないか、って言う気持ちになった。

まぁ、ええねんねけども。

次回は銀閣寺に行く予定。

確か自分の記憶では銀閣寺のほうが庭園はしっかりしてた記憶がある。

金閣寺の金色ってとても安っぽく見えて、あまり立地には見えなかったなぁ。

そうそう、京都には金閣、銀閣ならぬ銅閣寺もあるんよね。

ここは時々公開されるところだけども、円山公園の近くにある。

お寺っていう感じはないのだけどもお寺らしい。

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これこれ。

ここには石川五右衛門の墓があるらしい。

実在してたのね。

架空の人物かと思ったけども。

安土桃山時代の盗賊の首長。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺された。見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されている。

ってウィキに書かれてたけども、この殺し方は北朝鮮やんか。


京都の三条川原ってカップルが等間隔で並んで涼んでるスポットだけども、このあたりって昔は処刑所だったらしい。

・石川五右衛門 - 安土桃山時代の著名な盗賊。1594年(文禄3年)8月25日、釜茹での刑に処せられた。

・豊臣秀次と、その妻子側室侍女 - 1595年(文禄4年)7月、豊臣秀吉より謀反の疑いをかけられ高野山で切腹した後、三条河原へ豊臣秀次の首が運ばれた。首が据えられた前で妻子侍女など39名が処刑され、秀次の首と共に1か所に埋められ見せしめの塚が作られた。この塚は1611年(慶長16年)角倉了以の高瀬川開削時に塚と石柱が見つかり、現在も瑞泉寺の境内にある。

・石田三成 - 安土桃山時代の武将。1600年の関ヶ原の戦いに敗れ、捕らえられ六条河原で斬首刑となり、三条河原で晒し首にされた。

・近藤勇 - 新撰組局長。1868年(慶応4年)4月25日、板橋刑場(武蔵国板橋宿付近)で刑に処せられたあと、首が塩漬けにして運ばれ三条河原で晒し首となった。


ウィキからの引用だけども、なんか生々しい歴史があるねんな。

死刑所だった歴史のある川原だけども、幽霊を見たとかいう報告はあまり聞かない。


人気がなくて薄気味悪い雰囲気の場所=訳あり=幽霊が出る っていう方程式は人間の勝手な思い込みから来るものだろう。

現在の三条の川原で肝試ししても怖くないからな。


次に京都三条あたりの川原を歩く時は、違った印象で歩けるだろうな。


しかし見せしめに首を晒されるだけでなく、家族まで皆殺しってな。

人権のない時代。


自分的には歴史ってあまり興味がなく、なかなかその土地の歴史って頭の中に入って来ないのだけども、ここで誰それが残忍な処刑にあった、っていう歴史はけっこう強烈に頭の中に入ってくるもの。


まぁ、石川五右衛門が実在してたことには驚いたけども。


谷川俊太郎が今も生きてる人だと知った時の衝撃に近いもんあったなぁ。

谷川俊太郎って昔の詩人かと思ってたけども、そうでないこと知ったのは結構な大人になってから。

どうでもいい話だけども。


さて、いつになく今日はコンテツらしい記事の書き方したけども、ちょっとばかり有益な情報を織り込ませながらnoteをつけて行こうかと思った次第ですが、飽きてしまってすぐに辞めると思うけども。


たまたまユーチューブにスティーブ・ヴァイの動画がおすすめで出てきた。

やっぱりこの人は変なフレーズを弾くよな。

天才である。

フィンガーピッキングも上手いなぁ。

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