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竹美映画評㉝ 自分の「普通」『昨日何食べた?』(2019年、日本)

日曜夜なのに夕方に昼寝したせいで深夜に眠れず、ついつい見てしまったのが、東京在住のゲイカップルの日常を淡々と描いた『昨日何食べた?』である。2話までと、お正月スペシャルの1本しか観てないが、私はゲイカップルもののコンテンツを観るとすぐお腹いっぱいになってしまうので、のめり込むことができない。

東京に住む弁護士の史郎ことシロさん(西島秀俊)と、美容師をしている彼氏の賢二ことケンジ(内野聖陽)が繰り広げる、日常の何気ないやり取りと、二人のギャップを埋める食事。

ゲイであることを周囲に言いたくないカタブツ人生を歩んできた史郎と、自然に周囲に話して生きる無理のない賢二のやり取りは、これはねえ…実際に東京で中年ゲイをやってる人は、はっきりと自分の暮らしと立ち位置を思い知らされる作品だと思う。少なくとも私はそうだな。ゲイものって、近すぎてあんまり見たくないのw

シロさん、原作の漫画よりもいいなと思ったのが、シロさんの持っている弱いところが、「男の嫌なところ」としてきちんと表現されていることかな。見た目よし、社会性よし、収入よし、住宅よし、彼氏よし、という、地味だがどっから観ても完璧に見えるゲイが、「職場にバレるのが困る」とか「世間体が」とか言うのって「なァに言ってんだよあんた勝ち組じゃないのサ!」と言いたくなるんだな、私クラスのホモは。

原作者は恐らくその辺の温度差を分かっている気がする。ゲイのペドロ・アルモドバルやフランソワ・オゾン、クィアセンスが明らかな木下恵介や、インドのバーンサリ監督の映画の中で「女の本音」が、同時代のノンケ男性監督の映画に比べてずっと生々しく出ているように、日本人の女の目から東京で暮らす中流のゲイを見たら、「あんたら男さんだからいいよなァ?」というやっかみ抜きには読めないと思う。非当事者だから見えちゃったり、言える言葉がある。

既に某市の新条例下ではアウトなシーンがいくつもあり、これは団体から批判受けるのかなあとワクワク(すんなよ)してしまうんだけど、アウティングの問題は、「人それぞれ」としか言いようがない。その意味でシロさんとケンジのスタンスは好対照である。「バレたら終わり」と怖がって生きるか、「バレてもいいじゃん」と思って生きるか、そのどちらも両立する形ってのが、今の東京の40代以下のゲイカップルなんだと言っている。

それは、「色々勉強しちゃった」シロさんのお母さん(梶芽衣子!)の早まっちゃった対応(「職場でちゃんとカミングアウトしなくていいの?」とか聞いちゃう)を、「行き過ぎた迷惑行為」の脈絡で取るか、「ここまで学んでくれる親は偉い」と取るか、によって、笑えるか笑えないかぎりぎりの線だと見える。

『彼らが本気で編むときは、』という映画にも似ているなと思うのは、数々のシロさんの手料理が「おいしい」ということがキーになっている点ね。『彼らが…』の方が、女性になった男性を取り巻く物語であり、社会との正面衝突がありありと見えてしまい、そこに生まれる怒りや恨みというどす黒い感情を無視しては描けないのだが、それでも尚「美味しいごはんをちゃんと食べて、日常を丁寧に過ごす」ことが一種のセラピーにすらなり、その上、誰かを救うことにもなるのだと言っている点は、『きのう…』と共通している。

西島秀俊の単独優勝感って何かしらね…シロさんの弱いところ…「世間体」を内面化してそれを基準に生きてきたことで「それなりのステータス」を手にしている自分と、ゲイである自分がなあなあで共存している感じを非常によく表現していると思う。西島さんのクリーンな感じが、「世間体男」の嫌な部分をオブラートで包んでくれているので、見てられる。「おまい、ハンサムだからって何でもしていいんじゃないんだぞ」という位までは降りていける(上がっているの??何様ぁ私)。

ちょっと思い出したが、このドラマの空気は、韓国のドラマ『アンニョン、フランチェスカ』に似ている。あちらは(もう故人だが)ゲイの脚本家が書いた大ヒットシットコムドラマ。

シーズン2までしか好きじゃないんだけどね、韓国で最終回見たとき、泣いたわ。この作品も、社会の片隅で生きている「変わった」人達の日常の出来事を描いている。社会から見て変わってる人というのは、「幸せ」を社会の一般常識を模範としながら、1から構築する作業を行っている。ときにそれは、つらく腹立たしい作業である。だが、「普通」を一つ一つ点検して自分にとっての「普通」を作り上げていくことこそ、人生で最も価値のあることなのではないか…本作もそういうことを言っている。

「自分の普通」を作る作業は時につらい。どうして他の人は最初っから持ってるものを私だけ持てないのだろうか?!きわめて真っ当な疑問である。その疑問に負けて、途中で挫折してしまったり、途中までしか来られなかった数多くの無念がストレスや怒りを生み、魔物と化してしまう人もいる。

本作は、確かに「何でも持ってる男性同性愛者」の物語ではあるのだが、「やっとここまで来られたね!おめでとう!」と祝福してあげたいドラマでもある。監督の一人は『嘘を愛する女』の 中江和仁さんだったのねえ。あの作品、私は「日独伊男尊女卑三国同盟諸国の中で孤軍奮闘する三十代女」という枠にまとめた(ドイツ:『ありがとう、トニ・エルドマン』、イタリア:『これが私の人生設計』(原題:私が存在しててごめんなさい))。あの映画では、女が男を養う覚悟をしてしまった瞬間に「日本の女が最も割を食っている」というのが何となく浮かび上がってしまった。同監督が今度『きのう何食べた?』映画化の監督をするらしい。どんなふうに仕上がるか、楽しみね。その前にドラマ全部見なきゃ!!!珍しく彼氏が日本のドラマにハマってる。彼の好きになった日本コンテンツは私のせいでめちゃくちゃ偏っている。八方不美人→『彼女がその名を知らない鳥たち』→まんが日本昔ばなし(雪女)→『カルメン故郷に帰る』他木下作品→氷川きよし→本作だから・・・

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