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夢を諦めて夢を掴む

他の記事でも触れていますが、昔の私は今とは違う道をめざしていたことがあります。“夢がある”ということは当時10代の私にとっては生きる希望でした。

なぜって

中学の頃は、自分が気がついたときにはすっかりグループが出来上がっていました。私はおとなしいからという理由で同じような人たちのグループの括りにいたようです。仲良しだからいいのですが。

どうして違うグループの人と話すとヒソヒソ言われるのかわかりませんでした。先輩とタメ口で話しているわけではないのです。同じ年代の違うグループの誰かと話すのに誰かの許可が必要?同級生の顔色を伺う必要があるでしょうか?

おとなしめのグループの人たちが漫画の本を持ってくると、それより上のグループの人たちがそれを咎めます。当時はまだ力加減の差に気がついていなかったので、文句を言い返しました。元気なグループの人は「私たちは持ってきてない“やろ(強調)”」と。いや、昨日めっちゃ読んでたよね?なツッコミ満載です。

私はこんな理不尽が許される学校に行くのが馬鹿らしくなり次第に足が遠のきました。

そんな状態のまま高校に進学。“やっと解放される”と期待していたのも束の間、入学式翌日に発熱した私はそのまま3日程学校を欠席。登校を再開した時にはすっかりグループは出来上がり、私はポツンと取り残されてしまいました。高校ではたったそれだけの出来事です。クラスメイトに何か反抗的に何かを言ったわけではありません。

そこから徐々に無視がはじまり、2年生になる頃には監視され、何か少し動きを取ろうものならヒソヒソ笑い話の対象でした。私はまたしても学校に行けなくなってしまったのです。

しかし一昔前ですから、家にいても“安全”ということはなく、不登校になろうものなら身内からだって白い目で見られていました。

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