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SILVER

この物語は私の物語である。
登場人物は仮名であり、実在はしていたとしても、違う視点から見れば違った人物像になるだろう。
特殊な業種であったり、とある事件に関わる話もあって、当時の近しい人物ならば、心当たることがあるかもしれない。
私は私の物語を語りたいだけであって、誰も批判したりキズつけたりする意図は全くないことをお伝えしておきたい。



そこは、個人のシルバーアクセサリーの製作アトリエであった。
大阪市内でありながら、周囲は神社仏閣が多く古い石畳みの細道や坂道があり、落ち着いた街並みの中にあった。

社長にあたるT氏を中心に、その奥さんと、ユリさんという三十代の女性が一人働いていた。

T氏は、様々なデザインやプロデュースなどにも携わり、自身でデザインしたシルバーアクセサリーを製作するようになってから、その街にアトリエを構えたのだという。


アトリエの奥は自宅で、奥さんが家事のかたわら、事務、経理、営業などされていた。
また、以前は喫茶店もしていたそうで、その頃の常連さんもしばしば来ることもあり、ちょっとした喫茶スペースがあって、コーヒーをたてるのは奥さんの担当だった。

ユリさんは唯一の従業員で、小林麻美似のベッピンさんである。小柄で華奢で、どこか儚げで、しかしながられっきとした職人さんで、T氏と共に製作を担っていた。
ユリさんは喘息持ちで、季節の変わり目に休みがちになることと、当時はシルバーのブームで注文に製作が追いつかなくなってきたことが、求人を出した理由だった。


作業台を与えられ、張り切って通い始めたのだが、いきなり製作がさせてもらえるわけでもなく、見習い期間ということで、まずは基本の練習からはじまるのである。

最初は、ヤスリがけである。
1㎝角の真鍮の棒をひたすらヤスリで削るのだ。削っている面が斜めになったり丸くなったりしないように、真っ平らの面になること。ヤスリの端から端まで均等に使うこと。自分の腕とヤスリが一体化して、まるで機械のように均一な力で、リズム良く、余分なところに力が分散しないように姿勢も整えなくてはいけない。
ちょっとしたお使いとか、簡単なお手伝い以外は、ずーっとヤスリの練習である。
これが、結構キツイのだ。
飽きるのですね、気持ちのほうが。
何物にもならない真鍮をただただ削っていくだけで、達成感も何もなく、修行とはいえ、辛いなぁと思いながらやっておりました。

その次は、糸鋸である。
真鍮の10㎝角の板に、1㎜刻みで線を引き、それをひたすら鋸がけしていくのだ。
これも鋸歯の端から端まで使うこと、均一な力で、リズムよく、無駄な力がかからず効率よく、である。


それまでは、高校生時代からずっと、アルバイト含め仕事といえば、時間給なのであった。
働くことは嫌いではないので、割合ちょこまかと動くタイプではあると思う。
しかし、仕事によっては、退屈な時間とか退屈な仕事というものがあるものである。
単純作業というものが、どうも苦手なのだが、アルバイトの身では仕事が選べるわけでもなく、つまんないなぁと思ってもやらざるを得ないことなどいくらでもある。
そんな時は、これを我慢したら時給なんがしか円がもらえるのだ。この時間を売り渡してお金を得るのだと、言い聞かせていた。つまりその数時間を、ココロを殺して我慢していればお金が貰えるという公式が、いつの間にか染み付いてしまっていたのだ。

なので、その修行期間も、ただただココロを殺して、言われたことをやっておればよいのだ、と思い込んだまま過ごしていたのだった。ずっと続く単調な、しかも非生産的な作業に、その公式が思いっきり発動してしまっていた。

どちらかといえば器用であり、削った面も切った線も、どうしようもなく曲がって歪んで使い物にならないということもない。そこそこクリアはしていたと思う。しかし、その主体性のない、やっときゃいい的な公式が、T氏には感じられたのだろう、そこをブレイクスルーするまでが、T氏にも私にももどかしい時間だったのだ。

T氏は、いつも音を聞いていた。
作業に飽きてダラけ出すと、音でわかるらしい。音だけで、パーティションの向こうから、ダメ出しされたりしていた。
その時は、サイズ出しのために金づちを使っていたと思う。音が違うと言われ、珍しく手取り足取り、横に来てあれこれ教えてもらっていた。(見て覚えろ、五感で覚えろなので、あんまり手取り足取りはないのである)

T氏の方もそんな公式を持っていることも明確ではなかっただろうし、ただ感覚的になにか違うと思っていて、それをどう伝えればいいのか分からなかったのだろう。

この時はかなりキツイ言動で、ぶつかってこられた。大した失敗もしてないのになんでこんなに怒られるんだろうか、と思った。
その後で、ふいっと、気がついたのだ。
今までの、やり方ではダメなんだと。

ちょうどその頃、鑞付けの練習に入っていった。バーナーの火を使って、パーツとパーツを銀ロウというもので溶接するのだ。
この火を使う作業は、難易度が高いのだが、その分集中する。いつのまにか熱中して、与えられた課題以外にも、切れ端と切れ端をくっつけてみたり、実験的なことをしてみたり、コソコソやっていたのだ。
それが、正解だったのだ。
言われたことだけをただやるのではなく、自分なりに創意工夫すること、楽しんで熱中すること。
ココロを殺して作ったものなど、なんの魅力もないのだ。

それを掴んでからは、T氏に怒られることはなくなったのだった。


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