見出し画像

なぜ登るのかと問われれば

初めての山登りは、小学1年生の頃、家族で行った六甲山であると記憶している。
西宮辺りに住んでいたので、そこからほど近い初心者向けのコースだったのだろう。

母親は大の運動嫌いで、晩年、リハビリをするのが嫌だからという理由で、膝の手術をずっと拒否していた。
それならば体重を落とすべしと軽い運動を勧められたが、その事にも苦心をした。
その晩年の印象が強いので、今考えると山登りなんてよく行ったなぁと、驚いてしまうのだ。

若草山にも行った記憶があるので、当時は今ほどレジャーが豊富でなく、山登りは立派なファミリーレジャーだったのだろう。

転勤族で、小学校は4校ほど転校した。
その中で、高槻の小学校に通っていた頃だった。
学校から遠足というか、寒中訓練みたいなもので、学校にほど近い山に登る。
小学生なので、体操服に普段の運動靴にリュック姿であった。
その年は寒い年で、なんと所々積雪していた。あっという間に靴はビショビショになり、半泣きで歩いた記憶がある。
引率の先生は、距離や道の状況も把握しておられたであろうから、行けると判断してのことなのだろうが、子どもの方は訳もわからず歩かされ、不安で一杯である。
多分、今行って見れば大した距離でも高度でもなかったのかもしれないが。

中学生からは、六甲山の麓のニュータウンに落ち着いた。
当時はまだ雑木林が残っており、探検と称して分け入ったりしていた。そんな遊びをしている時、奥へと続く踏み分けた道を見つけた。この奥はどうなっているのだろう。
当時の友達と、手に手にシールを持ち寄り、探検に出る事にした。
シールは何に使うのかというと、道に迷った時の為に、ヘンゼルとグレーテルではないが、歩きながら貼っていくのである。
途中で川を渡り、それから崖に出た。
ここまでかと思ったが、よく見るとロープが垂らしてある場所がある。それをつたうと降りることができた。
明らかに人が入っている。
そのまま進んでいくと、開けた原っぱに出た。
そこまでしか記憶はない。
ルートはわかりやすかったので、その後も何度か探検しに行ったように思う。

そこは焼ヶ原いうところで、野外活動クラブに所属しているムスメが、最近例会で訪れてている。
その案内の手紙を見て、もしやと調べたらそこだったのである。

高校時代は、宅地開発されているとはいえ、通学エリアが山の中腹だったので、毎日がアップダウンである。ただの帰宅部でも足腰が鍛えられるのであった。

それから先は、アウトドアには縁のない生活が続いた。
ツーリングで、峠を走ることはあっても、自分の足で登って行くことはなかった。


そうだ!波動をあげようの活動の一環として、神社やパワースポット巡りを一人で行くようになった。
ちょうどその頃、ムスメが前述の野外活動クラブに入会した。彼女が例会に参加している時間を、その活動に当てたのである。

迎えに間に合うように、事前に綿密にタイムスケジュールを練る。地図と時刻表、乗り継ぎ案内を駆使して、あれこれ調べている時から楽しい。


そんなことを始めたばかりの頃、六甲比命神社へ行ってみようと、ロープウェイとバスを乗り継いで行った。

六甲の麓の街から出て、大阪市内へ一人暮らしするようになってからは、ほとんど帰ることもなかったし、実家に帰っても日帰りで、滞在2、3時間で退散していた。

いろんなわだかまりも随分とっぱらわれて、改めて六甲エリアに足を踏み入れてみると、意外なほど懐かしいような安らぐ気持ちに、少し驚く。

その上、興味のある神社やパワースポットと呼ばれる所を調べていると、六甲エリアの奥深さに改めて気付いて、新しい故郷を再発見したような、日本語がおかしいなんとも言えない気分になるのだ。

で、それは早春の頃だったと思う。
バス停から徒歩なのだが、未舗装に入った途端に薄ら積雪の残る道となったのだ。
まさかそれほどと思っていなかったので、普通のスニーカーである。
奥に行けば行くほど、雪の厚みと傾斜は増し、道は狭くなる。
登るのはまだいい。
滑りやすいこの坂を降りてくるのが、行けるのか?戻るかどうしようか、迷った。
その時、ひとつの踏み跡を見つけた。

誰か通ったんだ。

すぐにそれとわかるほど、しっかりした足跡だったので、少なくともここ数時間のものだろう。
それを勇気に進むと、巨岩が現れる。
オオッとしばし感動し、少し進んでふと見上げると、それよりももっと巨大な巌にであう。それが御神体だった。
御神体の横に工事の足場のような階段があった。登った所にお社がある。
雪の積もった足場を前に迷った。
手摺りを頼りに登ることはできる。
が、登ったら降りねばならない。
さすがに無理か、と諦めかけた時、すぐ上のお社に人の気配がした。トンカンと大工仕事のような音がする。
普通のカジュアルスーツにコート姿の男性が、ひょいっと顔を覗かせ、「どうぞ!参ってくださいね」と明るく声をかけてくださる。
そこで引き返すのも憚れたので、勇気を出して登ったのだった。


その人は、作家さんで、六甲比命神社と瀬織津姫について研究しているのだという。本も出版されている。
そのお社の整備にも関わっておられ、その日はたまたま案内板が壊れたのを、修理しに来たのだと言う。
いろんなお話をしていただいた上に、お手製の資料までもらったのである。

今まで興味本位で読み散らかした文献に出てくる単語を、口に出すのも耳にするのも初めてだった。
まだまだ知らない世界があるのだと思うとワクワクする。
ああ、この人のように、ライフワークにしよう、熱心に語る彼を見て、そう思った。


そこからさらに登るといくつか云われのある巨岩があるのだが、スニーカーに限界を感じて、後ろ髪引かれながら、ツルツルの足場を震えながら降りた。

出直してやるぞ!と心に誓いながら。


それが、参拝を兼ねた山登りを始めたきっかけだ。50歳にして始まる冒険なのである。


続く。であろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?