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アルバイト番外編 前編

出来るだけ時系列に、と思っていたが、書いているうちに思い出したり、書き終わってから思い出すエピソードもある。
寝かせている間になんだか色褪せてしまうこともなきにしもあらず、エイ、どうせシロウトなんだ、カッコつけずに出来立てホカホカを出すのもよかんべや?
というわけで、ふと思い出したアルバイト番外編なのである。


ここのところの猛暑日に、9月としては異例の暑さ、観測記録が27年ぶりに更新したというニュースを聞いた。
27年前にも記録的な暑い日があったんだ、そんなの忘れたよねぇ、あったっけ?などというやりとりから、ふと思い出したのだ。


あの年は異常な暑さだった。

それは27歳頃だった。
働いていた金属加工のアトリエがある日突然廃業に追い込まれた。個人のアトリエ兼事務所だったのだ。保険がなく国民保険を自分で払っていたのだが、当然雇用保険は加入していない。最後のお給料はもらえたが、その先なんの保証も収入の目処もない状態になったわけである。
時は、バブルがはじけ終わった頃だった。それまであんなに分厚かった求人誌はペラペラに薄く、とりあえずアルバイトでもと探そうとする私の前には、仕事がなかったのだ。
そんな時、知り合いのねーちゃん(ヨリコねーちゃんと呼んでいた、29歳の私よりねーちゃんなので、当時30代後半だっただろうか)に声をかけてもらった。それは遺跡発掘のアルバイトだった。

大阪の東側、中河内と呼ばれる地域、旧大和川流域にあたり、掘れば遺跡が出るという一帯がある。そこは市の条例で公の建物を建て替える時は必ず発掘調査を行うことと定められているのだ。発掘調査研究を行うセクションがその市の役所内にあり、ヨリコねーちゃんは男性ばかりのその職場の紅一点の調査員だったのだ。
現場には総監督的な立場でもある調査員が一名だけで、ユンボなど重機を扱う専門の業者(いわゆる土建屋さんである)と、細かな作業を行うアルバイトで構成される。
アルバイトの仕事は、ある程度重機で掘った所を、調査のために手掘りしたり、表面をきれいにしたり、写真を撮ったり、測量したり、それを図面におとすお手伝い、あとは出てきた土器などの整理などである。
実はそんなに手が足りなかった訳でもなく、窮状を見かねて声掛けしてくれたのだ。ただし屋外作業が殆どで、ガテン系のアルバイトとほぼ変わらない作業なので、「3Kだけどそれでもいいなら」とは言われたが。それから、現場はずっとあるわけではなく、その場の発掘調査が終われば終了。次の現場にスムーズに行くこともあれば、間が空くこともあるので、安定した収入は保証できない、とも言われた。
窮状は窮状だが、面白そうな仕事に、飛び込む以外にあるまい!と二つ返事で引き受けた。ただ、当時もまだ体調が不安定なところがあり、体力が持つかどうかだけが心配だった。

現場は丸い講堂のある小学校だった。夏休みの間に発掘調査することになっていた。駅からは遠く、朝の早い現場に通うのに、私はバイク通勤を選んだ。中型免許を持っていて、当時は250ccのオートバイを持っていたのだ。そのバイクで自宅から30分近くかかる距離だった。雨の日は嫌だな、降らなきゃいいのにと思ったことが、願いになったのかどうか。
その年は記録的な猛暑となったのだった。夏休み期間中雨らしい雨は降らず、気温の記録と共に、西日本で深刻な水不足に陥っていた記憶がある。

一応面接は受けてほしいと言われて、市の古めかしい事務所へ履歴書を持って行った。昔の役場みたいなところで、本来ならあれこれ聞かれるのだろうが、話が通っていたのか、お役所の手続きを行うように書類を処理され、じゃあ明日からね、と言われた。

翌日その小学校へ行ってみると、既に現場は3メートル以上掘り下げられていた。上から写真を撮るために掘り下げられられた崖っぷちの上に櫓が組んであった。高さは5メートル以上あっただろうか。
長袖のつなぎを着て、首にタオル、ツバの大きな麦わら帽子、長靴、軍手のいでたちである。梯子で掘り下げられた下面まで降りてみると、風は通らず(盆地状になって下まで風が入ってこない)、上には遮るものもなく直射日光が容赦なく当たる。夕方になるとかろうじて校舎の影が伸びてくるのだが、その頃には作業終了なのである(何しろお役所仕事なのだ)。

最初の仕事はガリと言われる小さな鍬のようなもので、地面の表面をきれいに整えることだった。溝のようなものと、甕がいくつか半分程度埋まっていた。写真を撮るためにきれいに整えるのだという。測量したり、図面を取ったりした後、ようやく土器を引き上げるのだそうだ。
その作業が終わると、調査員の判断で何センチとか何メートルとか重機でさらに掘り下げるように指示がでる。しかし工事現場のようにワシワシと掘り進むのではなく、何かが出てきたり地層に変化があれば直ぐに調査員を呼んで指示を仰ぐようになっているのだ。一度何かを壊してしまえば、もう二度と元には戻せない世界である。

隣のスペースでそのように掘り下げた後を、さらに手掘りで慎重に作業員のおじさんが掘っていた。すると、何かにカチンと当たる音がした。おじさんは直ぐに手を止め、なぜか私に向かって、「どうしますか?」と丁寧に聞くのである。現場は下手に動き回ると遺構や遺物を壊してしまったり、また掘った法面が崩れてきたりで危険なので、指示されたエリア以外は勝手に入ってはいけないのだ。仕方なく大きな声でヨリコねーちゃんを呼ぶと、そのおじさんは怪訝な顔をしていた。
なんと初日にして、新しくきた調査員だと思われていたのだ。いえ、今日来たばかりの、しかも発掘のハの字も知らんしがないアルバイトでやんす、、、。なんでも道具を持って立つ姿がハンパなく堂に入っていたらしいのだ。

それは職人さんであるが故の道具や体の使い方への慣れであろう。
またデザインやデッサンをしていたことも、測量を図面に落とす作業に役立った。

それから活字中毒者であった私は、活字を読むのも好きなのだが、自分が描いたものが活字になることに異常な憧れがあったのだ。OLさんがOA機器を使いこなす姿にも非常に憧れと羨望があった。当時出始めのワープロを飛びつくように購入していたのだ。現場で収集したいろいろなデータは一旦手書きでノートに書いて、ワープロで整理しながらテンプレートに入力するという作業があった。調査員であるヨリコねーちゃん以外にワープロが打てる人材がなく、けっこうめんどくさい作業だったので重宝がられたのだ。

なんとは言っても危うく無職ホームレスになったかもしれないところを救ってもらったわけなので、お役に立てることが嬉しくてしょうがなかったのである。


つづく

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