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LET IT BE

アトリエの後に行き始めたアルバイトは、東梅田の地下にある喫茶店である。

マスターは、雇われ店長ではあるが、元パティシエで、違いのわかる舌の持ち主であった。
見た目は、ツイストのベーシストの鮫ちゃんを小柄にした感じで、当時で三十代後半だったが、ヤンチャな少年のような人だった。
その舌は、一流の料理人並みで、これとこれと食べ比べてみ?違うやろ?と言われても、違いのわからないオンナは、ハ?となるのであった。
店の売りは、その天才の舌を持つマスターが生豆から炒るコーヒーである。
ドリップはたてる人によって、または日によって味が変わるからと、当時では珍しい外国製のコーヒーマシーンを導入していた。
今でこそ、コンビニにもあるぐらいで珍しくもないが、エスプレッソ?苦いの?それ、と言う程度の知識しかなかった私にも、一般の方々にも、馴染みがないものだった。
しかし、煎りたて引きたて入れたてのコーヒーは、素人にもわかる味の違いで、今までのコーヒーはなんやったん?という、苦いだけのコーヒーとは全く違う、爽やかで、香り豊かで、豆によって酸味があったり、コクがあったり、オオッ⁈と唸る味わいなのであった。
知る人ぞ知るお店であったらしく、毎日常連客で一杯だった。

朝の看板娘はサクちゃんである。
私は朝に入ったことはないが、東梅田界隈の通勤前のサラリーマンの時間帯だ。
それが落ち着くと、時間に自由のきく営業の人や、近くの店舗で働く人たちがお客さんである。

サクちゃんは、親が離婚して、学校でイジメにあったりして学校に行かなくなってしまったそうだ。当時の私の少し下の年頃だったが、私よりもすごく落ち着いていて、しっかりしていて、お姉さんみたいな雰囲気を持っていた。その頃は、少し立ち直って夜間高校に通い始めていた。なので、仕事が終わって6時過ぎからお店に入る私と入れ替わりで学校へ行くのである。

もうひとりマコトくんという男の子が働いていた。彼も中学もほとんど行かず、高校も行かなかった。当時でまだ18歳ぐらいだっただろうか。マスターとは知り合いらしく、学校へいかずにブラブラしているのも良くないからと、マコトくんの親御さんから預かるような形で店で働くことになったのだと言う。

他にもアルバイトの子はいたのだが、ほとんどが学校や普通の会社に馴染めずにドロップアウトしたような人ばかりだった。

マスターは若い頃、スタジオミュージシャンだった。ロックな人、と言うのだろうか。三十以上を信用するなの、信用されない方の人ではなく、信用しない方の人だった。
なので普通の大人のように、説教したり、価値観を強要したりすることなどなく、それでいて一本スジの通った俺の生き方を貫いていた。アルバイトたちは、兄貴のようにマスターを慕っていたし、尊敬していた。


一応私は夜の看板娘であった。
時間帯で客層は変わるが、ほとんどか常連客なので、覚えるのが大変だった。いちいち注文などしないのだ。同じ時間帯に指定席のように決まった場所に座ると、黙っていてもいつものコーヒーが出てくる。砂糖、フレッシュの有無まで、どうなさいますかと聞こうものなら、ジロリと睨まれるのだ。
マスターとマコトくんは、間隔があいて来店するお客さんの好みも、完璧に覚えていた。


ある時、マコトくんの家が火事になった。全焼で焼け出されたものの、家族全員逃げ出して無事だった。
しかし身一つで逃げ出したので、ほとんど何も持ち出せず、着替えすらないという。
アルバイトたちでカンパしてかき集めたお金をマコトくんに渡したりした。
ところが、実はマコトくんの実家は、そこそこ大きな会社の創業者であり、焼けた家とは芦屋の豪邸だった。住まいはすぐに親の知り合いのツテで、近くのマンションにはいることができたのだ。さらに、付き合いのある百貨店の社長さんが、トラックでブランドの服をバーンと運んできて、好きなものを選べと言われ、翌日からマコトくんはアルマーニのスーツを颯爽と纏い、私たちはポカーンとしてしまったのだった。
当時はまだカセットテープの時代で、好きなバンドの音楽を撮りためたテープが全て焼けてしまったのが一番残念、とマコトくんは悔しがっていた。


2軒隣の居酒屋の店長さんが、若いころバンドをしていたそうで、元スタジオミュージシャンのマスターに、バンドをやろうと持ちかけた。閉店後は人気のない地下街である。なんと閉店後の居酒屋で夜な夜な練習をしていた。しばらくしてビートルズのコピーバンドとして、閉店後の居酒屋でライブをしたのだった。
マスターも居酒屋の店長さんも雇われであり、お店も借り物だったはずだが、本通りから外れた地下の奥のほうに数軒飲食店があるのみだったし、すぐ近くは地下鉄が走り、階段を上がると曽根崎の歓楽街で、どこからも苦情は来なかったようだった。


いい歳をした大人が楽しそうだった。
いい歳をした大人が楽しそうにしているだけで、その下の若い年代は夢や希望を安心して持てるのだ。安心してドロップアウトできるのだ。
いい歳した大人ほど、楽しむべきだと私は思う。
いい歳した老人も、もっと楽しむべきだと思う。
もうそれだけで、ほとんどのことは解決するのではないだろうか。

2年ほど働いて、マンションへ引っ越す資金が貯まったので、アルバイトはやめた。


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