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ネコの国 world1

下宿の部屋は、畳3畳に板の間1畳、その板の間に小さな流し台があって、その上には大きな窓があった。
昔の畳なのでサイズが大きく、実質四畳半ぐらいのスペースだった。
押入れが半畳、小さな冷蔵庫と小さな食器棚、マットレスを直置きしてベッドがわりに、一人用のコタツがぴったり収まり、落ち着く空間だった。
小さな部屋にしては、大きな磨りガラスの窓が、東からの陽の光をいっぱいに浴びて、閉塞感は感じなかった。

窓の向こうは隣の民家の庇屋根がギリギリまで迫っており、三角屋根と庇の間にポケット状になって雨風防げるスペースがあった。
そこにある時、ネコの親子が住みついた。
ネコ親子の脅威は唯一、庇屋根に面した大きな窓の向こう側の人間、私である。
なるべく刺激しないように、そっと眺めるだけにとどめようと努力はしたのだが、子ネコらが庇屋根の上を転げ回るように遊び出す頃になると、なんとも手を出したくなるものだ。餌付けというほどの量でもなくオヤツ程度だからと、自分に言い訳しながら、時々エサをやってしまったりしたのだった。


その頃、私はネコの国にいた。

今から思えば、ずっと自分と向かい合う時間が欲しかったのだろう。
家を出て解放されたはずなのに、夜遊びするでもなく、テレビもないから夜更かしするでもなく、朝起きて、簡単なお弁当を作ってアトリエへ行き、バイトして、帰ったら銭湯へいき、休日には掃除をして、コインランドリーで洗濯をし、一週間分の買い出しへ行く。
楽しみは散歩と読書ぐらいだろうか。
仕事とバイト以外には、誰とも会わないで、誰とも話をしない日も多かった。
仕事はしていたけれど、ココロは引きこもり状態だった。

私はここにいるぞー!
私はここで、生きてるぞー!
と叫びたい気持ちと、どこからも隠れて隠者のような存在でいたい気持ちが同居していた。
そんな精神状態が、ある種パラレル移動させてしまったのだろうか?


ふと気がつくと、人間の世界ではなく、ネコの国にいるような気がしてきたのである。

曲がりくねった細い路地を歩けば、そこかしこでネコに会う。ボンヤリ歩いていても、ふと視線を感じて見廻すと、塀の上から、車の下から、ネコが見つめているのである。
あまりの遭遇率と、その意味ありげな視線たちに、ああ、これはネコの国に来てしまったのだな、と思うようになったのだ。

アトリエには、トラというオスネコを中心に、たくさんのネコがいた。
このトラちゃんが、なんとも人間臭く、人情家で、癒しのパワーの強いコだった。
多頭飼いなので、小競り合いが結構あるのだが、必ずトラが仲裁にはいる。
去勢した後も、家のまわりの巡回は欠かさず、外ネコが侵入しようとすると一番に駆けつけて威嚇するのである。
晩年は、外へでる窓が腰高窓で、その高さに飛び上がることができなくなり、見兼ねたT氏が、トラの為にスロープを作った。

頭数が多いので、予防接種は、動物のお医者さんに往診してもらっていた。
外に出られないようにして、順番に見てもらうのだが、後になれば後になるほど当然パニック状態になる。
トラは動きがトロいので比較的早くに捕獲されて、さっさと注射をすませていた。それでも大騒ぎで、である。
チーちゃんというメスネコがいて、まだ若く注射デーになれていないこともあり、大声で鳴きながら高い棚の上を逃げ回っていた。
さっきまで大騒ぎだったトラが、心配して下から宥めるようにチーちゃんに鳴きかけていたのが、自分も大騒ぎしてたくせにと可笑しくもあり、すごく真剣な顔で心配した様子が切なくもあり、ネコとは思えないネコであった。

トラは、べっぴんさんのサビトラのお嫁さんをもらい、産まれた子のうちマイコという女の子だけ残し、あとは里子に出した。
私がアトリエに行ったときにはお嫁さんは亡くなっていなかった。
このお嫁さんはとってもキツイ性格だったらしい。
T氏の一番下の娘ちゃんがまだ小学生の時、公園に捨てられていたネコを拾ってきた。
その頃トラとお嫁さんとマイコの親子水入らずだったので、拾ったネコは飼うつもりがなかったのだそうだ。飼い主を見つけるまで仕方なく預かることにしたらしい。
チビと名付けられたそのコはとても賢いコだった。
トラは穏やかで、エニバディウエルカムだったのだが、そのお嫁さんは、チビをイビリ倒したのだそうだ。お嫁さん亡きあとは、マイコがチビの天敵となった。
結局貰い手がみつからず、その家のコにはなれたのだが、拾い主の娘ちゃんが構ってくれないと、娘ちゃんの教科書とか大事にしているものにオシッコをかけたりしていたらしい。チビは女の子なので、明らかに意図的にである。それで怒られたりして、とっても残念な幼少期を過ごしてしまったのだ。
私が出会った頃は目つきの鋭いノラ猫のような風貌で、孤独で気高いネコだった。

その残念な幼少期を聞き、孤独で気高いチビを、なんだか他人事には思えず、おウチの人に可愛がってもらえない分、私が可愛がろうと、敬意を払って接するようにした。アナタは晩年幸せと呪文をかけた。

私がチビチビと可愛がると、おウチの人にも注目されることが多くなり、少しずつチビの表情は穏やかになっていった。
やがて、トラもマイコもなくなり、チビは大好きな奥さんと一番最後まで共に暮らしたのである。ただひとり一身に愛情を受けながら。


シマは、前の片足が折れ曲がって固まってしまっていた。オトナになっても普通のネコより身体が一回り小さく、人間でいうと軽度の知的障害もあり、おそらく生まれつきのものであろう。
折れた前足にアイスクリームの棒が括り付けられているのを見つけて連れてこられたのだという。
シマは他のネコのテリトリーとかお構いなしに入っていくのだが、どうもその障害があることが他のネコたちにはわかるらしく、皆、黙ってシマにその場所を譲るのだ。
しょっ中鼻風邪を引いて、ズーズーと言わせながらストーブ前の一番いい場所に横たわっていた。時折、そのズーズーが静かになることがあって、死んでるじゃないかと思って確認するのである。
シマが歩くと、前足を引きずるのでカタンカタンと音がする。
ある時、シマの下腹部がこんもり盛り上がってきた。身体が弱かったのでてっきり病気だと思って病院へ連れて行ったら、妊娠していた。身体も小さく発情期らしい様子もなかったので、気がつかなかったのだ。
お産は無理だろうとの判断で、手術をした。


続く



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