長崎地区まちづくり方針改定への意見

都道172号線の拡幅に伴い、まちづくりに関する条例改定やら再開発やらが最近騒々しくなってきた東長崎。

先日その「長崎地区まちづくり方針(改定案)」の説明会がありましたが、ちょうど体調を崩していて出席出来ませんでした。

しかしながら意見募集をしているということで、とりあえず個人の意見として提示すべく以下のように記しました。

まだ提出前ですがクローズで出すような内容ではなく、むしろ協調や反論なども含めて出てくることを期待して、事前にnoteにアップすることにしました。

3月に書いた北口のまちづくりのイメージスケッチ文 ➡️東長崎アップデート(案)

南口の西友が11階建て、その周辺に同等の中高層建築が林立し始めている状況は、これからの北口エリアの先行状況とも見えるのでそれをどう捉えるのか。

刷新への期待と同時に、日照権、ビル風、その他諸々や、刷新そのものへの危機感など個々人色々あるかと思います。

意見募集は6/19までです。住人からの意見がそれなりの数集まることには意味があると思います。簡単でも良いので区に提出してみてはいかがでしょうか。

説明会の案内(上) 改定案の内容(中)(下)

🔷長崎地区まちづくり方針改定案への意見

当日体調を崩して説明会には参加できませんでしたが、事前に配布された書面を読んでの感想ならびに長年有志で東長崎界隈のまちづくり会議を主催し具に街を観察して来た立場からの提案を記したいと思います。


本件を提示する前に、当意見募集が単に意見収集の数を整えるもの、または「一応伺いました」というスタンスでないことを願います。昨今再開発を伴うまちづくりというのは住人の意識、または街の思想を余り加味せずトレンドの利便性や地価の上昇をもたらすだけのものが多く見受けられます。そのような事が無いよう、未来永劫続いていく東長崎という街の長い歴史の一部としての再開発になるよう、特に行政におかれましては丁寧な手続き、丁寧な意見集約をして頂きたいと切に願っております。


今回のまちづくり方針改定案について私は一つの文言に注目しています。

書面の冒頭から「ポテンシャル」という言葉が登場しています。潜在的な可能性を指す英語ですが、この場合の可能性というのが一体何を表しているのかが私は気になりました。

私が思う東長崎のポテンシャルというのは街の歴史や伝統をなぞった上での思想の抽出が必須だと考えています。戦前戦後からどのような経緯で街が出来ていき、どういった人が集まり生活を営んできたのか。そしてそれによって生じた街の文化とは何なのか。

改定まちづくり方針が指し示しているポテンシャルには当然そういったことも含まれるのでしょうけれど、再開発という大型事業を含むという事からそれ以外の意味もそこには存在すると読めます。


ここで示されているポテンシャルは「開発余地」ということなのではないでしょうか。


もちろん古い建物は経年劣化による危険性や非合理があります。その解消も含めて刷新していくこと自体は合理的な考え方です。しかし、いわゆる利便性のみを追求した再開発によって街の文化自体が壊れていく事例は数多あります。


現在話されている駅前再開発に絞れば、高層の住居店舗複合のビル建設と広場周辺を交通広場(=ロータリーと読める)といわれています。


「長崎地区の位置づけが大きく変わり」とありますが、大きく変わることが東長崎エリアに本当に必要な事なのでしょうか。都道172号線に牽引されるように、駅前の再開発ビルに牽引されるようにインフラを改定する事が果たして是なのか。


私はそれには否と唱えます。長年生活し観察してきた「東長崎のポテンシャル」は、都内の池袋周辺にありながら、どこか牧歌的な空気感と昭和・平成期の名残がある景観であり、少し濃いめの人との繋がりです。そこに街の資源を見出して、そこをフォーカスし、ソフトとしての魅力を発信していくことが大事だと結論づけてきました。


また商店を営んでいて強く感じるのが引っ越して行った人がたまに懐かしがって街を訪れているという事です。その事自体に価値を見出すなら「変わらない事」にこそ価値があります。


再開発が既定路線であるのなら商店街の街としての「変わらない景観」「変わらない空気」を演出するまちづくりを望みます。


その為に必要な事は、決して広くない駅前周辺地区は徒歩者に配慮したまちづくりを、もっと踏み込めば駅前ロータリーのような自動車を誘引するような形ではなく逆に駅前周辺に徒歩者が溢れ安全に歩けるようなインフラや地域ルールを作る方向性の議論をして欲しいと願っています。


私が懸念するのは南口のように中高層の建造物が林立する計画が進むと、そこに牽引されるようにインフラ計画がされてしまうのではないかという事です。例えば高層に多くの人が住むスタイルを提案するとその住人の自動車の入退車を設定しなければいけない為に交通広場と広い道路が必要になるとか、ドア・トゥ・ドアでマンションから駅まで繋いでしまうとか、高層マンションの住人の利便性に街が取り残されるということも考えられがちです。


そういった事は街の文化性やある種の可塑性を削ぎ、元々の文化の継承を止め、東長崎ではない東長崎へと変容するでしょう。


私たちが年老いて去った後でも残して欲しい潜在的な文化、街の思想とは何かを共に考える事が、本来の意味での「ポテンシャル」を発見する事にありますので、そういう機会こそ大事にして欲しいと思います。

古い建物と秋くらいにオープンの西友と。

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