お金の仕組みを知るという事[やきとり王子的、仮想通貨について]

仮想通貨の問題がクローズアップされている。お金で大事なのは「清算出来る」という事。「清算」とはこの場合「価値と交換できる」と定義するが、そもそも金の兌換券だったお金は、銀行で券と引き換えで金を引き出す事が出来た。それが信用という事だ。

ブロックチェーンの私の理解は「個人を特定できる信頼ある暗号技術」という事(←間違ってたら訂正してください)。その特定の個人同士コミュニティの中で独自の通貨として流通するとしたら、私が以前勉強していた地域通貨と親和性のある経済圏作りが出来るかもしれなかった。

それにしても最終的に何かと清算出来る裏打ちが必要で、それは発行する個人が交換できるサービスを持っている事が大事なのだ。

これは経済評論家の森野栄一さんが提唱していた「WAT」という地域通貨で知った事だ。個人が振出せる通貨という発想はとても面白いと感じ、以降私の意識の中に常にとどまっている価値観でもある。

簡単に言えば、私が1000という価値を振出した場合、それは最終的に私に戻って来た時にサービスを提供する事(例えば、ボイストレーニング1時間とか)で清算するということ。

それで気づいたのは、やきとりキングで500円の買い物で1枚出している「10円券」は最終的にやきとりキングで10円のお買い物が出来るという「信用」で発行しているものである。

なので仮に他のお店で10円券が流通しても、最終的にやきとりキングで商品と交換する事で清算出来る、という意味なのだ。

言い換えればそれは個人個人が経済社会に対して責任を担うという事である。

本来、仮想通貨はそういうところから積み上げていくほうが良かったのだが、あっという間に投機対象として刈り取られ、国定通貨とは違った価値観を持つはずが円の裏打ちがなければ信頼持てないものになってしまった。

日本銀行券に信用があるというのは、清算方法としてみんなが価値観を共有しているからでしかない。それでも発行数については理論的に決まっている分信頼出来る。

国から個人へ信頼の軸が動くチャンスだったが、それは高いハードルだったのかもしれない。みんな怪しいもの程一攫千金を狙うんだな、と。人の欲望は計り知れない。

そういう意味では先ほど言ったような、ある一定のコミュニティで有効な地域通貨というところに、改めて意識を向けてみる事は大事な事かもしれない。

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