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死産について語るということ。[導入]

7回目の記念日がやってきた。


6月11日は我が家にとって重要な日。死産した娘が妻の子宮から出てきたのが、7年前の今日。


思い出すとやはり辛い。
その日(6月9日)は死産宣告後も、もしかして奇跡は起きないものか、大病院に行けば結果は覆るかもしれないと反芻した。分娩をする聖母病院の診察を受ける時も、誤診を願い続けていた。

それは叶わなかった。

翌々日(6月11日)の午後、陽葵子は母体から出てきた。

産まれてきた子供は動いてはくれなかった。だけど自分の胸に抱っこした時、とっても小さくて可愛くて愛おしくて、不思議と幸福感があった。母体の中にいたとはいえ、一緒に過ごした数ヶ月は確かに親子だった。それは幸せな記憶として残っている。


先日、濱口優さんと南明奈さん夫婦が第一子を死産したことを発表した。記事を読むと不妊治療を含む妊活の末に授かった命だったということで、考えただけでも自分の経験を思い出して辛い。二人が辛い気持ちの中で公表したことに敬意を送りたい。



そもそも何で死産は語られないのか。

当事者が語らないということ、周りが配慮して聞かないということ、その優しさの中で語ることを拒んでしまっている。

でも実際はかなりのケースで死産は起きている。

厚生労働省の統計によると死産数は減少している。とはいえ2万5755胎という数の赤ちゃんが亡くなっている。それだけのケースが存在するのに、死産にまつわる話は話題には上がらない。それに死産件数は減少しているという事実を死産当事者として評価するなら、「なんでうちが…」となる。

死産は割と起こることだ。理解はしているつもりだ。

そう言われても当事者としては悲しみは消えるものではない。なのにその悲しみや辛さを補完する言説が存在しないのも事実としてある。


だから語る。


語らなければいけない。


死産は辛い。触れられたくない人もいるだろう。だけど人の営みの中で、動物として必ず起こりうることだ。その中でどういうことに傷つくのか、どういう事を求めているのかは、当事者じゃないとわからないこともある。それを共有することは社会的意義があるのではないだろうか。

陽葵子が亡くなって産まれてから今日がちょうど7年目だから語れることもある。悲劇の主人公ではない語り口で。そろそろそんな時期なのかなと思えた。


そんな感じで僕なりに気が向く時に伝えていきたい。

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