愛を運ぶどこでもドア

人間にとっての本当の貧しさとは孤独である。

母親の愛を受けることが出来ずに、だれの手も握らないまま息絶えて死んでいく子供がいる。

人生の目的が、愛を感じるためなのだとしたら、その子供は何のために生まれたのだろうか。


私はこの現状を知っている。
知っているから無関心にはなれない。
何かしなければと思う。
将来はこういった人をどうにかして一人でも、減らしたい。

私は工学を学んでいる。

新しいものを考えて作るのを夢見ている。
誰かの役に立つ何か。
誰かの人生を変える何かを作ることを夢見ている。

でも、もので、本当に貧しい人をどうにかできるのか?

孤独が人間にとっての本当の貧しさなら、それを工学でどうにかすることはできない。
生身の人間に愛されてこそ、孤独ではなくなるのだ。


ではどうしたらいいのか。


そもそも、愛を受けずに死んでいく子供がなぜいなくならないのか。
なぜいつまでたってもこの現実は変わらないのか。

私の答えは、世界が見ていないから。

取り組もうとしないから。

見えるのに、見なくても生活できるから。

遠くて、見ようとしなければ見えないから。

知らないから。

知らなければそれに関心を寄せることも、愛を注ぐこともできない。
知らない人を愛せない。
知らない人を思いやれない。
知らない事実に取り組めない。

知らせようとする人もいる。
でも足りない。

知っても何もしない人もいる。私がその一人。

工学を活かせるの?
私が実現したい世界、全ての人が愛を感じて生きる社会に、工学は生かせるの?

無関心な人はなぜ無関心なの?
目に触れる機会が少ないから?
なんで?
遠いから?
世界の端っこにいるから?


物理的距離の持つ力は2020で大きく変わった。
オンラインという言葉が世の中に溢れた。
距離の権力は小さくなった。

今だ。もっと。小さくしたい。
どこでもドアがほしい。
そうすればもっと身近に感じられる。

今もおなかをすかせて、なく元気すらなく息絶えていく子供がこの世に本当にいることを、もっと手に取るようにわかるように、世界中の人に知らしめたい。

みんな、話で聞いてもそれがどういうことかわからないんだ。

私もわかってない。

目の前で苦しみながら死んでいく人を見て、初めて、この世の中の現実を目の当たりにするんだ。

だから知ろうと、わかろうとした人しかわからない。

情報が行き交っても現実味は伝わらない。

距離があるから。

世の中悪い人はそんなにいない。
教育を受けられずに暴力に訴えてしまう人はいるかもしれない。
それは今の世界が生み出した被害者だ。

だから、もっと、物理的距離を縮めたい。


そうしたら、もっと世界は分断されなくなる。

取り残された人たちに関心が向き、愛が注がれるようになるかもしれない。

どこでもドアみたいな何かを作りたい。

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