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思い立ったが吉日―スキと勢いでやってきた京都―

こんにちは、タケイユウコです。
毎日蒸し暑い日が続いていますね。
京都では、今年も祇園祭の山鉾巡行は中止となったものの、7月1日から31日までの1箇月間は様々な祭事が行われています。この時期は京都の至る所から「コンチキチン」という祇園囃子が聞こえてくるので、仕事や所用で出かけるときの移動時間すらわくわくした気持ちになります。
昨年は自粛の毎日だったので、今年は山鉾が建っているところを見に行きたいなぁ。
さて、第2投稿目の今回は、私が京都に来たきっかけについて書きたいと思います。

“遊び場所”の京都
私が初めて一人で訪れた京都。その目的は「狂言会を観に行くこと」でした。
兵庫県の短期大学を卒業した私は、まだまだ社会人として未熟な2年目に「このまま働くこと」についてモヤモヤした感情を抱いていました。
そんな状態で迎えたミレニアム(2000年)のお正月。
京都の若手狂言師が出演するカウントダウンイベントをテレビで目にしたのです。
同世代で古典芸能の狂言をやっていることに興味もありましたし、なにより華のある狂言師たちに魅了されてしまった私は、すぐにインターネットでチケットをゲットしました。

そうして、私にとって“遊び場所”の京都通いがスタートします。

思い立ったが吉日
当時の私の京都での楽しみ方は
① 狂言会→飲みに行く→終電前に帰宅 
または、
② 狂言会→飲みに行く→ホテル宿泊→朝早く出発して仕事
そんな日々を送っていました。

兵庫県まで帰らなければならないので、思いのほか早く終電の時間がやってきます。気が付けば「みんなともっと長い時間余韻に浸りたい」と思うようになりました。
そんな時、仲良くしている友達が京都へ引っ越したと耳にしました。さらに、大学進学をきっかけに京都にきて1人暮らしをしている狂言友達の部屋にも泊めてもらう機会がありました。

周囲の様子から「そうか、私にも1人暮らしという選択肢があるのか」ということにある時気づきます。
そう思い立ったが吉日、「(モヤモヤしている)職場を辞めて京都で一人暮らしをしたい」と両親を説得しました。
今思えばまともとは思えない理由だなと思います……。
両親は、とても驚いていましたが、反対することもなく、一緒に物件探しをしてくれるなど、私の人生最大の決断とお願いを優しく応援してくれました。

狂言に出会ったのは2000年1月。仕事を辞めて、京都でアルバイトを探して、1人暮らしのマンションを探して引っ越したのは2000年12月のことでした。

”暮らす”京都開始

そうして、私の京都での生活がスタートします。
この時の選択は正しかったと今は自信を持って言えます。次回は「言えなかったもう一つの理由」について書きたいと思います。



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