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テイクに期待するならギブしない方がいい

誰もが知っている「give & take(ギブアンドテイク)」という言葉。

人との関係を表す言葉で、”何かを与えたら代わりに何かをもらう、何かをもらったら代わりに何かを与える”という、対等な互助関係を意味している。

でも、あまりにも言葉だけが先行しているように思う。

紙幣が無かった物々交換の時代のギブアンドテイクであれば、何と何を交換するかが明確であるから理解できる。

しかし、即時交換をするわけでもなく、特に目に見える固形物ではないギブアンドテイクにおいて、そもそもギブとテイクが公平にトレードされることがあるのだろうか

ギブアンドテイクという言葉があるから人は傷つき不平を言う

よく、「〇〇してあげたのに」とか「恩を仇で返しやがって」といった言葉を発する人がいるが、そもそもこの人達は何を求めて相手に与えたのだろうか?

何かもので返してほしかったのか?

貸しをつくっておき、何かの際にマウントを取りたかったのか?

結局、この人達のギブは、相手ことを考えて行った行為ではなく、自分に何かしらメリットがあるから行った行為ということになる。

テイクが無ければ自分が損したことになり、結果、傷ついたり・不平を言う事態を招いてしまう。

テイクを求めるギブは本質的ではない

親が子供を育てる際に、ギブアンドテイクを意識して育てている人はいない。また、困っているお年寄りを助ける際も、テイクを期待して助けるわけではない。

そもそも、ギブとは頭で考えて与えるものではなく、心や体が勝手に動いて与えるものだと思う。そこに必要なのは、理論ではなく愛である

テイクを期待している人には愛が欠けており、愛が無いギブは、ギブする人のただのエゴではないだろうか。

愛があるから相手に届く

物々交換ではない、人間関係におけるギブアンドテイクは愛が無ければ成立しない。なぜなら愛が無ければギブに温度が宿らないからだ。

無償の愛という言葉があるように、愛があるからこそ、その人のギブには温度が宿り、その温度が宿って初めて相手に伝わる。そして、その温度が伝わって初めて、相手も愛をもって返したいという感情が芽生え行動に移す。

よって、ギブアンドテイクとは結果論の言葉であって、最初から狙って行う行為ではないと思う。

ぜひ、みなさんには愛のこもったギブをたくさんの人に届けてほしいと思う。



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