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おいしいラーメン食べたときの感想は「おいしい」になるよね、そりゃあそうだ

「生きててよかった」と感じるときがどういうときかを考えている最近。
「生きててよかった」をこれまでの記事からまとめると、下記のようになりました。

  • 好きな料理、好きなアーティスト、という好きなものが関わっている

  • 食事、ライブ体験、という五感が関わっている

  • 我慢をしてからおいしいものを食べた、苦労して絵が売れたというマイナスからプラスへの大きな変化

  • 期待をしていたものを超えたパフォーマンスという、想定を超えたプラスへの大きな変化

  • 圧倒された体験

  • 自身(の作品)が認められたとき

  • 好きなアーティスト(推し)に会えるかもしれないという嬉しさ

じゃあと思って、先日、自身の好きなラーメンを食べにいってきました。
おいしいもののほうが効果が高いだろうと思って、食べログで調べて点数の高いお店に足を運んだのです。

「らぁ麺やまぐち」さん
食べログ点数 3.9

もしかしたら、食べた後、「生きててよかった」と感じるかもしれない。
ほんの少しだけ、そんな期待をしていました。

場所は高田馬場駅と早稲田駅の間。
高田馬場駅から地図アプリをみながら歩くこと10分。行列ができているのですぐに見つけられました。
土曜日のお昼13時ほどで、15名ほどの行列。
食べログアプリの口コミをみながらどのメニューがいいのかと考えながら、待つこと30分ほど。店内に入ることができました。

そこで食べたのが、特製鶏そば 1380円。

結論をいえば、「おいしかった」。それは間違いない。
麺もスープもおいしい。特にお肉がおいしかった。さすが学生の街はレベル高いなあと、舌鼓をうちました。

でも「おいしかった」という感想で、それ以上ではないわけです。
それはそうだ。そうじゃなきゃ、ラーメン食べるたびに、「生きててよかった」と感じることになってしまう。

そうなると、好きな食べ物を食べればいいってわけではなくて、僕の以前経験した「ラーメン食べて生きててよかった」というのは、別の部分が要因として大きそうだ。
そのときの経験がこちら

一つ目は、ラーメンを食べたとき。
仕事が忙しくて、お昼ご飯を家の近くのコンビニ弁当ですませていた一週間。その生活がいい加減いやになって、少し遠くのラーメン屋でラーメンを食べに行ったら、とんでもなくおいしかった。五臓六腑にしみわたるというのはこのことか、というおいしさ。そのときに感じた。「生きててよかった」。
https://note.com/takegen38/n/nb3a6a80ce77c

重要なのは、仕事が忙しくてずっとお昼コンビニ弁当だったあとで、我慢をしたうえで、ラーメンを食べた、ということが重要そう。
ただラーメンを食べるだけではだめなんだ。我慢した時間が必要なんだ。

むむ。「生きててよかった」を感じるためには、仕事で無理して我慢することが必要ということになるのか。その条件は、感覚的には合ってるかもとも思う。
でもそれって、進んで試してみたくないな。我慢をしなきゃいけないというのは、ねえ。それって本当に「いい人生」?

あまり好き好んでやりたくないけど、仕事が忙しくなってお昼の余裕がなくなった時は、「再現性」があるのか意識してみるようにしようかな。


さて、じゃあ「生きててよかった」はどうすれば感じられるのか。

次回は、「推し」(好きなアーティスト)について考えてみよう。
僕がこの1年で見つけたものでもある。
この「推し」というのは、「生きててよかった」に平和につながりやすいものではないかと、そんな予感があるのです。

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