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「刺激を求めるな」

「刺激的な〇〇」に憧れる人が多い気がします。例えば「刺激的な愛。」不倫なども、ある種の背徳感と好奇心を満たすための行為でしょう。特に、現代人はその傾向が強いです。

しかし、本当に刺激的な愛は人を幸せにするのでしょうか?僕は、否定します。愛は安定的に実らせることにこそ、意味があります。

このnoteでは、刺激を否定したいと思います。

刺激を否定する理由

そもそも刺激は生み出すものです。刺激を求めてはいけません。愛は自ら生み出すことはできないですよね。「あなたと誰か」で成り立つものです。だから、そこに刺激を求めてはいけないのです。

さらに、刺激は短絡的で癖になります。僕は、長い目で物事を考え、捉えることを好みます。そもそも、刺激と僕の相性が非常に悪いです。刺激を求めている人を見ると、ゾッとします。「おいおい、落ち着いて、地に足つけようぜ」って思っちゃうんですよ。

ちょっと私情も入ってしまいましたが、刺激に狂わされたらあかんと思うのです。刺激を狂わすくらいの意気込みでいないとあかんです。

普通を楽しもうや

普通を楽しみ続けることが、刺激を求めがちな人の異端に繋がると思っています。電車に例えると、新幹線でゴールに辿り着かずとも、普通電車でゴールにたどり着けばいいじゃないですか。1度だけゴールニたどり着くよりも、ゆっくりでいいから何度もたどり着きましょうよ。刺激に狂わせられるのではなく、刺激を狂わしましょうや。


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