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岸田奈美の言葉を「着た」ら、2年間の想いがぶわっと蘇った


作家・岸田奈美さんを担当して2年が経った。
岸田さんが紡いできた言葉たちを、また違ったかたちでみなさんに楽しんでいただけるのではないかというこのスペシャルな機会に背中を押してもらうかたちで、私ごとな気持ちを、noteにしたためたいと思います。


初めて岸田さんに会ったのは、原宿にほど近い、移転前のコルクのオフィスだった。

当時私はまだ代表・佐渡島の秘書も兼任しながら作家担当もしていた頃で、岸田さんと佐渡島のスケジュール調整をしていた中でオンラインでの繋がりはあったものの、オフラインでお会いするのは初めてだった。

岸田さんが私に初めて話しかけてくれた言葉は「はじめまして!岸田です。あの、マッキーさんとお呼びしたらよろしいでしょうか?」。
佐渡島の私への呼び名が「マッキー」なので、そう言ってくれたのだと思う。その一言でスケジュール調整をしただけの私のことも覚えてくれていた、というのが伝わってきて、とても嬉しかった気持ちを覚えている。

その後の岸田さんの快進撃は、私が改めて説明するまでもないけれど、『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の発売、並行して小説現代で『飽きっぽいから、愛っぽい』の連載開始、『キナリ読書フェス』の開催、数千通の読書感想文に目を通し、全財産を使って外車を買ったらえらいことになり、戦略的一家離散を綴った日々『もうあかんわ日記』を発売し、ショートムービーの原作を書きながら、空堀商店街の軒先を借りヘラルボニーさんとコラボしつつ、陸上寿司総選挙を行い、『傘のさし方がわからない』を出版すると、応募者全員に直筆サインをする企画を立ち上げ、newsおかえりのレギュラー出演が始まる中、弟・良太さんがグループホームでひとり立ちするまでの軌跡を綴った『姉のはなむけ日記』をnoteマガジン希望者全員に送る(イマココ)..と、
これ以外にもメディアやコラボ関係をふくめると枚挙にいとまがなく、本当にものすごいパワーに圧倒された2年だった。


近くにいていつも思うのが「岸田さんに見えている世界を、私も一緒にみたい、よりたくさんの方々に一緒にみてもらえるために全力で寄り添いたい」ということ。

きっと、同じようにおもっている岸田さんファンもいるだろうと、独自ファンクラブ「岸田団」も立ち上げた。毎週月曜日にオープンする、岸田団の提供でお送りしてる岸田さんのTwitterスペース。最近そこで読まれるみなさんのDMの挨拶が「きしだんわ〜」になっているのが胸熱で、じわじわと応援の輪が広がっているのが嬉しい。

と、さまざまなシーンで岸田さんや岸田さんの作品の紹介をしまくっている私が、今年の半ばにふと思いついたこと。

「岸田奈美の言葉をいつも身につけて、いやむしろ着てたらいつでもどこでも紹介できるんじゃないか???」


というわけで、半ば勢いでつくってしまいました岸田奈美の初の単独グッズ、言葉を物理的に纏えるTシャツ。こんな私の突飛な発想にもつきあってくれた岸田さんに改めてお礼をお伝えしたいです。

コンセプトは、岸田奈美の「言葉を着る」Tシャツ。

撮影は、リアルな着画を撮りたくて、コルクのスタッフたちに着てもらった。
みんな、最初は恥ずかしがりつつも、カメラが回り始めると、だんだん自然な動きで「すごい!これかわいい」「推せる」「普段づかいしたいっす」とにぎにぎしく感想を言いながら、撮影を楽しんでくれた。
そして私も初めてサンプルを手にし、身に纏って、カメラマンさんに撮ってもらった。

その時に、この2年間のいろいろなこと、想いがぶわっと蘇った。

岸田さんが、岸田さんと、向き合ってきたこと、話してきたこと、やってきたこと。ときどき辛かったり、悲しいこともお互い共有したりすることもあったけれど、それらをカバーしてありあまるほど、私にとってはどれも新鮮で面白く楽しく、とても幸せな日々だった。

「でした」なんて書くと、この日々がもう終わってしまうかのように感じられてしまうけれど、私としてはこれからも、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、岸田さんや岸田さんの作品をはじめ、岸田家のみなさん、岸田さんがつくりだす世界のすべてに寄り添い、それを広げていくお手伝いをしていきたいと思っている。
これからも末永く宜しくお願いいたします。


よろしければ、本日から発売を開始した「岸田奈美の、言葉を着る」Tシャツのサイトを見ていただけたら嬉しいです。
12/26 12:00までの期間限定、完全受注生産です。






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