色褪せた世界に住んでみて

色褪せた世界って表現を、ずっと分からないでいた。テキストでそう書かれいるのは何度も読んだけど、自分で使うとなると、果たしてどういう時に使うべきか、イメージすることができずにいた。しかし今なら体感として、分かる。それを定型句として使ったか、どうかまで。

みなみ先生が先に逝ってしまってから、ちょうど半年にあたる月命日の五月三十日目。先日「マギーズ東京」を訪れたこともあって、なにか区切りになるというか、書く気持ちが少し取り戻せた気がした。

因みに月命日というものを、ボクが知ったのは随分遅い。今市子さんの『百鬼夜行抄』で初めて目にした。そういうものはタケダ家では言われなかったし、みなみ先生の蔵書のおかげだ。

もともと仏事には疎いほうだし、いろんな宗教のいいとこ取りをした死生観なので、スピリチュアルも否定しない。たまたまタケダ家と南澤家は天台宗で、南澤の親戚筋にはお坊さんもいらっしゃるので、お経くらいはサービスであげてもらえる。義父滝沢解はそれも要らんとホスピスでご機嫌だったのだが、さすがに遺体を置かせてもらってるお寺さんに悪いと義母が般若心経くらいは詠んであげてくださいとお願いした。

故人の死に際の遺志など、そんなもん。生きてる人は気を遣わなくちゃならない。

一周忌とか七回忌なんてのは、故人の自分が死んだ後も忘れられたくないという生前の願いと、時が経つにつれ失われていく故人の記憶や思い出を、一定の集団で保持していこうという目的が合致して出来たのだろう、きっと。

初七日とか四十九日の法要は、すっ飛ばすことも多い昨今で死者もさぞ迷惑していることだろう。そして四十九日とはそろそろ悲しむのはやめて、前に向かって歩き出しなさいよと促される日だというから、遺された者にも迷惑なことだ。

多分周りの人が、悲しむひとにそろそろ付き合うのに飽きてくる頃合いなのだろう。誰がとかじゃなく、みんな。

みなみ先生の呼吸が止まった時を基準点に、いろんな時計が回り始めるようになった。遡るものもあれば、その周辺をグルグルと徘徊するもの、やたら進みの遅いものや光陰矢の如しまで。

Twitterで突然発表せざるを得なかった理由は、Twitterでも書いた通り治療を受けられない心の病気に、よりにもよって大学の研究医たちにされたからだ。

それでも約十年よく生きてくれたと思う。医者恐怖症を詐病だといって一番認めたがらないのは医者自身かもしれない。なにしろ診察したことがないのだから。

だがあの胸に開いた大穴を、がん細胞が作り出したむき出しの血管を見て触って手当をしたボクは、みなみ先生が本当に医者が怖くて死んだ方がマシだったのだといえる。緩和ケアを担当されたやまと診療所の小野寺先生は、個人としてみなみ先生の信頼を得た。小野寺先生は何もしないことでその信頼に応えた。これは臨床医にとって結構難しいことで、病院にいれば割と点滴しちゃうのだと後で知った。

ああ、この半年の話をするんだったね。これは同じところをグルグルと回る時計のせいだ。

葬儀が終わって年が明けてからも、弔問に来てくださる方はいて、皆さんとみなみ先生のことを話すのはとてもいい時間だった。確かに話すことで考えもまとまったり、幾分昇華できるものもあるし、なにより店に飲みに行くのは気が紛れる。喧騒のなかでアレコレ喋っていれば、その時間は皆と同じ進み方をする。

だけど家に帰ると、介護ベッドがなくなり遺影が置かれた弔問客を迎える空間の照明を消して、みなみ先生の寝ていたベッドがある寝室で眠るのだ。今までだったら眠っていても「暖めて」と入ってくる、小さい足が入ってこない。これがどんなに寂しいことか。実際寂しいし、嗚咽を漏らして泣いたこともある。お義母さんに聞かせちゃ申し訳ないと、堪えはしたけど。

そして予め言っておくけど、これを読んで気構えができた気になっていても、そんなものは本当に気がしただけで、無駄。そんなこと考える隙があったら、なによりも目の前の配偶者との時間を大切に大切にすること。

皆さんに頂いた香典には、感謝するしかない。香典は祝い事ではないので、たくさん包んではいけないことになっているが、人間一人の体を法律に則り処分するのに最低でも約三十万円かかることも分かったし、やはりあって困るものではない。その後家財の処分にと大活躍した。

御礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、その家財の処分がなぜ必要かというと、お義母さんと過ごせるのは二月二十八日までと決まっているから。お義母さんは軽井沢で画廊をやっているので、冬の間だけ避寒にきていて、みなみ先生のドレッシングルーム兼書庫兼ドール部屋兼お義母さん用の部屋が一部屋あった。

仕事部屋もあったとはいえ、3LDK(90m2)は、一人には広すぎるし、相場より安いとはいえ十五万円は払い続けられない。なによりもこの部屋にいたら、たった一人で窓から見える満開の桜を見なければならない。

みなみ先生との別れを覚悟して泣き崩れた、あの満開の桜並木を見る勇気も、それに耐える必要なんてどこにもないのだから。

そんな部屋から、半分以下の広さの部屋に引っ越すことになり、ずいぶんと物を捨てた。引越しと併せて80万円かかった。いま大手の引っ越し屋は、物を棄てながらの引っ越しはやっていないそうで、事前に不用品回収業者に来てもらってとチラシを営業マンが持って歩いてるのだ。数年に渡る心の不調で、貯金も全くなく、父親に頭を下げて援助を頼み、心がボロボロになった。

幸いお義母さんが雪の日にたまたま行きあった何でも屋さんが、ボクらは三月から大手の引っ越し屋のバイトに入っちゃうんですが、二月まではぶっちゃけあんまり仕事が無いんで、やらせてもらえば引っ越し代はナシでいいですということで、軽トラ一杯25000円+人件費18000円でお願いした。

お義母さんは、私は金銭的な援助はできないしと、ボクが実家の父を憎げに語り呆れ、丸めた座布団に顔を押し付け喚いたりするのを、ずっと横でテレビを見ながら笑っていた。それはある種の救いでもあった。

ボクは南澤の家が大好きだった。タケダの家は、普段あまり会話もなく、テレビを見ていても最終的には父親の説教になってしまう。なにしろ父は努力家であった事を自負しており、自分の子はみな努力不足で、誰も自分には似なかったと言ってのける人である。

生活保護は惨めだぞと言うので、正直今回は考えたと答えるとまるで勝負を挑むかのように「ほう、言ったな。お前にはお母さんの資産があるから、どうせ申請は通らんやろ。世の方そんなに甘くないぞ」と憤慨する。

ならば、あなたに生活の面倒を見てもらうのは、全く正当な脛かじりではないか。

息子が心の病と妻を亡くして苦しんでいる時に、叱咤激励、いやこの人の場合叱咤しかないのだが正直必要か?妹が自殺したとき、お父さんは三日後からサングラスをして診察に出て、涙が溢れそうになったらトイレに駆け込んで誤魔化したというエピソード何回聞けばいいんだ。本を読まないから、他人の経験も表層的にしか分からないし、自慢のような自分語りか、ニュースを見て教訓にしなさいという説教しかできないのだ。

だから「あんたの事を一番心配して立ち直って欲しいと思ってるのは、響子さんだぞ」だなんて二度しか会わせてないのに、亡き妻の名を騙り自分の気持ちを言えるのだ。一番立ち直りたいのは、他の誰でもないボクだよ。なによりもあなたに金の無心をしなくても済むし。

そんな月並みな定型文が、ボクの心を打って発奮するとでも思っているのか?

実家に帰ると、心労で二、三日寝込むほどで、この二月中旬の帰省後もずっとお義母さんに愚痴を聞いてもらっていた。南澤の家はとにかく誰かが話をしていて、静かになる時間の方が少ない。

配偶者を亡くし、そして娘までも喪ったお義母さんと三ヶ月暮らした。おかげで妻が亡くなったあとも、いろんな話をして「こればっかりは慣れるもんじゃないわよ」と、喪失とはどういうことかを教わった。ある日目が覚めてみると、引越しの準備の途中であちこち散らかった家が、シンと冷え切っていた。そうだ、お義母さん歌舞伎観に行くけど夕方には帰るって言ってたのを思い出したが、これはかなり寂しいぞと引越し後の覚悟をした。

そして隣町に引っ越しを済ませた。人生でこんなにワクワクしない引っ越しは、初めてだ。大量に物を減らしたおかげとはいうものの、寝所を設えてからは必要なものを必要な時に取り出す生活をして、キチンと片付くまで一ヶ月かかって、心療内科の受診を一回飛ばしてしまった。

その頃あたりだ。

世界が色褪せて見えていると気づいたのは。それがお義母さんの言う「慣れるもんじゃない」という喪失感の本当の理解だった。

映画を見ようという興味がなくなっていた。特にみなみ先生と「面白いかねえ?」と二人で楽しみにしていた作品は、一人では罪悪感があって観られない。恋人や配偶者が死ぬシーンを美しく演出したり、それが動機になっているヒーロー物も観られなくなった。簡単に立ち直ったり、周りが心無い言葉をかけるのが辛かったり、ヒーローが復讐の動機にするような悪人はボクの人生にはいないし、そのために彼の大事な人を奪わないでくれよ……と余計なことを考えてしまうようになってしまった。

それからHDDに残っている過去の録画は、二人で楽しんだ記憶が蘇って観られない。二十四時間一緒にいたから、様々なものに二人で話したことや触れた記憶が宿っていて、さりとて浸っているわけにもいかないからと回避してゆく。気がつくとなんだかいろんなことが、どうでもよくなってしまったのだ。

映画『アフタースクール』で、大泉洋演じる教師がいうセリフ

「あんたみたいな生徒、どのクラスにも必ずいるんだよ。全部わかったような顔して、勝手にひがんで。この学校がつまらねぇだのなんだの……
あのな、学校なんてどうでもいいんだよ。
お前がつまらねぇのは、お前のせいだ」

そういうことだ。ひがんではないけど、ただつまらないのだ。最近知ったのだが、こういう心の状態を二次的喪失というのだそうだ。

つまり、世界が色褪せて見えるのは、二次的喪失のなせる技なのだ。実際のところ世界は全く変わってはいない。あいかわらず史上最低の内閣は居座り続けているし、ニュースでは怒りや皮肉や美談やグルメを伝え続けている。

変わったのはボクの方なのだ。

だから世界が輝きに満ちるためには、ボクが変わらなければならないのだ。世界を変えるよりは簡単だろう。でもこの世界に妻はもういない。創作者としては稀有な体験をしたし、妻は創作者として素晴らしいものを遺していってくれたけれども、たった半年で昇華するのは難しい。

半身を失ったリハビリだから、長くかかって当然だろう。


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