教科書に載っていない歴史にはわけがある

平成最後の夏も一日一日過ぎてゆきますが、みなさんどうお過ごしでしょう?このボクはといえば、妻に先立たたれ色褪せた世界の見知らぬ街に、ポツンと立ったまま、なんだかものすごいことに気がついてしまったのです。

2002年頃からかなぁ、インターネットにやたらと「教科書に載ってない歴史」で「真実に目覚めた」と公言する人が増え始めたのは。
ボクが気がついてしまった結論から先にいうと「教科書に載っていない歴史」は、ズバリ戦後の捏造なのです。

あのテキストを最初に表した人物が、自らの手でそう書いているのだから疑いようがないんです。

どこにそんな事が書いてある?と思われるでしょうから、あれが戦後の捏造でしかあり得ないたった一つの証拠をココに記します。

それは「日本はいいこともした」です。

ネットで真実に目覚めた人たちは、必ずこう言います。
従軍慰安婦は捏造だ!
南京事件はなかった!30万人は中国のでっち上げだ!
なにかあると必ず否定します。
それを全部足していくと、「日本がしたことは全てなにも悪くない」になってしまうんです。おかしいですよね?
日本はいいこともした、という記述の裏には、基本的に悪いことだったけれども、というエクスキューズが含まれますよね?

ネットで真実を見つけたりするような友人がいない……いや…友人に限らなければいることはいるのですが…
兄なのです。今は亡き妻の件で大変世話になり、また今後政治の話はやめようという協定を結んだので訊けないのでいるのです。
だからココで訊きます。
君たちが言わない、日本がした基本的に悪いことってなんなんだい?

彼らはボクたちが持っている、主に昭和に入ってから20年間の歴史解釈を、自虐史観と呼びます。敗戦後GHQによって洗脳されたんだそうです。逆にボクらから見たとき、彼らは今の歴史解釈を書き換えようとしているので、修正史観と呼びます。彼らは2ちゃんねるからリンクを張られた、どこの誰が書いたかもわからない「日本はいいこともした」blogやHPを読んで、あっという間にそれを信じちゃった。奇妙なことにこれらのblogやHPたくさんあるんですけど、どこも書いてあることが図ったように同じなんです。我々のものがそうであるように、戦前戦中のことは場所によって全然違ったりミリタリー好きの間で解釈が分かれたりいろいろあるものなんですがねぇ……

余談ついでなんですが、これ日本が世界で初めて成功したんだと思いますよ。オウム真理教や統一教会みたいなやり方と違って、家に居ながら洗脳されちゃうネット洗脳ってものを。

さて話を本筋に戻しますと、戦前戦中の価値観でいえば、いま彼ら修正史観側が個々に叫んでいるモノのほうが正しいんです。日本が韓国を併合したのも、中国で関東軍が暴れまわったのも、すべて日本のためそして彼らのために「してやった」ことなんです。だっていいことじゃなかったら、国民は大反対するか、やってる最中から罪の意識に苛まれて夜も眠れないはずなのです。

朝鮮半島にインフラをおいて引き揚げたのは、別に彼らに親切をして置いていってあげたわけではなく、8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を破って侵攻してきたからです。翌々日の8月11日には清津(北朝鮮最北の軍港)に上陸してくるという電撃侵攻です。清津から汽車で二時間の距離にある羅南に駐留し警護に当たるはずの第十九師団は、フィリピンで米軍相手に戦っており、インフラを破壊する人も暇もなかったのが確固たる事実です。

もともと整備したインフラは、現地にいる日本人が暮らしやすくするためと、採掘した石炭や鉄鉱石を日本国内に運ぶための鉄道や港湾施設、道路などなのですから、別に彼らのためにしてやったことではなく、我々のために当然のことをしたまでなのです。

よく日本に併合される前のボロボロの南大門と、併合後のキレイになった南大門の写真を比して、日本が来てキレイになったでしょう?よかったね〜的な写真を目にしたものですが、そんなことはやって当然なんです。
大日本帝国がわざわざ海を超えてやってきたんです。美化くらいしますよ。だってそこは大韓帝国ではなく、大日本帝国になったのですから。

でもね、ボクは知ってます。
父が子供の頃住んでいた羅南で、行ってはいけないよと言われていた朝鮮人部落を見に行ったそうです。いまでも覚えているほど臭かったと言っていますよ。
父は昭和6年生まれです。日韓併合は1910年だから明治43年です。
大日本帝国が海を渡って25年は経っただろう頃に、朝鮮人たちが肩を寄せあって暮らす、ろくに下水道も整備されない部落が厳然として、そこにあったのです。
それも第十九師団が駐屯する咸鏡北道一の、30万人の日本人が暮らす大都市羅南でですよ。なにが日本が来てキレイになってよかったね?ですか。
キレイにしたのは日本人のためだけで、元から住んでる朝鮮人たちにはその汚い部落で暮らせというのなら、ちっともいいことをしていないじゃないですか。

だからボクは、あんな教科書に載っていない歴史なんかを信じ、真実に目覚めたりはできないのです。だけど、今日のようにポツンと立ったままハッと気づくことはなかったのです。
おそらくはボクの日常がまだ色鮮やかで、妻の病状を心配しながらもこのまま寛解を保ってくれたらなぁと、ただそれだけを願いそのことばかり考え、淡い期待を持っていたからなんでしょうね。

今の価値観で当時を計るのはズルいと、彼らはよく文句をいうので当時の価値観で申し上げれば、当初から日本は正しいことしかしてないんです。
だから「いいこともした」なんて言葉は、当時出てくるはずがないんです。

じゃあいつそうなったのか?という疑問が出てくるでしょうから、お答えします。
東京裁判です。

戦後の戦犯を処すために連合国が行った一方的な裁判です。と、彼らは申しております。その場で彼らはどう弁明したかは大きく2つに別れます。
1.日本は日本として生き残るため当然のことをしたまでです。
2.個人的には慚愧の念に耐えかねていたが、仕事としてやらざるを得なかった。

いいこともした。と答えた人を、寡聞にして存じ上げないのですが…

つまり東京裁判に於いて一方的に断罪され、そうじゃないんだ!という言い訳ですよね?基本的には悪いことばかりだったけど、いいこともしたんだという価値観は、明らかに東京裁判以降の日本でなければ、日本人が持ちえない価値観なんです。

現に僕らは一方的に戦時中のことを詰られれば、そう言いたくなるでしょう?

こんな単純なことなんです。
僕らは他国から一方的に詰られてるような気がして「日本はいいこともしたんだ」という部分に簡単に寄り添えちゃうんです。戦後の人間だから。

だけど教科書に載らない歴史を主張する人物とテキストが「日本はいいこともした」と記してしまっては、絶対にいけないんです。それは彼らが自虐史観といって忌み嫌うのと同じように、視点が戦後にあるからです。

戦前戦中で日本を少しでも否定したのなら、内務省から発禁くらうか特別高等警察がやってくるはずなんです。昭和十二年から昭和二十年の間に「日本はいいこともしている」なんて価値観をもっているのだとしたら、日本は基本的に悪いことをしているのだけれど…という部分が書いていなくとも確実に検閲に引っかかります。戦前戦中から日本は基本的に悪いよ♡って言っちゃえるような人物は、今から見ればものすごく良心的な人です。それを八年間貫いたとしたら、絶対にボクらの教科書に載ってるレベルです。
今みたいにすぐ反日!だなんて叫ぶほうじゃなく、叫ばれる方の立場の人々ですが、そんな奇特な人物はボクらの教科書にも、そして彼らの教科書にも出てこないんです。

従って再びになりますが、これは戦後の捏造ですという結論にしかたどり着かないんです。

だから教科書に載らない歴史を信じるのはおやめなさいと申し上げたいのですが、なんとこれから横浜市を皮切りに載ってゆくことが決定しております!

安倍晋三総理が文科省解体を口にし始めておりますが、教科書に載らない歴史を教科書に載せさせるべく文部省に怒鳴り込んだのは、首相になる前の安倍晋三議員だというのだから、誠に残念なお知らせとしか申しようがないのです。

ボクは一時的に駆逐されるようなことがあっても、いずれ教科書に載っている歴史が戻ってくることを確信しています。教科書に載った教科書に載らない歴史を学んだ若者たちとは、そもそも歳も離れすぎているし話が通じんだろうなぁと嘆息しながらコーヒーを飲み、ゆっくりと席を立ちやり過ごしてゆくことでしょう。
なにしろ色褪せた世界の住人ですから、なにがどう変わろうと色褪せたままでいいのです。
むしろそんな世界が来るのなら色褪せたままのほうがよかろう、ただ明日を生きる糧を得るためにもう要らんといわれるまで漫画を描き、妻の書き遺した原稿を完成させるよう努めますので、10年か20年も居させてくれれば充分です。
貯金を見ると今年すら危ういのですが、まあなんとかなりましょう。

日本だけが教科書に載らない歴史を教科書に載せたところで、世界が変わるわけじゃあないんです。単なる自己満足に過ぎません。

終わりゆく平成最後の夏を惜しみながら。

おわり。

*平成最後の八月八日二時三十八分、大幅な改稿をしました。
*平成最後の八月八日三時。通読し意味不明な箇所を修正しました。

❇︎平成最後の八月十日十六時半。文部省を文科省に訂正しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?