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サカエダさんの事

6月16日
 今日は、起きたらまだ午前五時を少し過ぎたところだった。布団から出て台所で水を飲んでいると、僕の横にサカエダさんが近寄ってきた。
 サカエダさんは一昨日、京都から遊びに来た友人のキスミと一緒にうちへ来た。誰かと一緒に来るとは聞いていなかったが、キスミはよく誰かを連れてくるのでいつものように気にせず出迎えた。
 キスミはドアを開ければあとは勝手に上がって勝手に適当な場所でくつろいでいるので、僕も気を使わなくて良いので楽だ。
 サカエダさんは無口な質のようで、キスミの後から上がってきてあとは黙って座っている。キスミはおみやげに骨董屋で買ってきたという風鈴と、和菓子の生八ツ橋を持ってきてくれた。
 風鈴はガラス製で、音は少し鈍い。涼しげな水色に金魚のような朱色が踊っている。キスミにしては趣味がいい。
 僕は礼を言ってさっそく風鈴を軒下に下げ、湯を沸かして大量のお茶を入れる。それを保温ポットに移して、テーブルの端に置いた。
 僕もキスミも普段はそれほどマメにお茶は飲まないのだが、飲むときは何杯も飲む。飲むときというのがこうして遊びに来た時で、もちろんよほど暑い日でもない限り、温かいお茶を飲む。

 僕とキスミはお茶を飲みながら八ツ橋を食べた。サカエダさんにもお茶や八ツ橋などをすすめようとしたら、キスミに不思議なものでも見るような視線を向けられた。サカエダさんは温かいお茶も八ツ橋も好きではないのだろうか。代わりに冷蔵庫から冷えた麦茶を持ってきてサカエダさんの前に出す。サカエダさんは相変わらずにこにこしながら軽く会釈をしただけだった。今度はキスミも何も言わなかった。

 結局キスミは一晩泊まって帰って行ったのだが、どういうわけかサカエダさんだけは残った。僕はまだサカエダさんの声を聞いたことがない。だから当然名前も素性も分からないのだ。
 キスミはサカエダさんのことを完全に無視していたので、もしかすると見えていなかったのかも知れない。こういうこともよくある。にこにこしていて礼儀正しいし、悪い人ではなさそうだ。いつの間にか居て、いつの間にか居なくなっているものは多いし、余程のことがなければ気にするほどではない。
 キスミが泊まった日の夜も、特に困った様子もなく風鈴を下げた窓際でのんびり外を見ていた。僕はとりあえず風鈴の下についている、風を受ける短冊に小さく書いてあった「サカエダ」というのを彼の呼び名にした。サカエダさんにも異存はないようだった。 

 僕は隣に立っているサカエダさんにおはようと言ってみた。サカエダさんは嬉しそうに頷いた。
 サカエダさんが来てから早く目が覚める。運動不足なので、今日から早朝散歩を始めることにした。

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