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池の水の事

7月12日
 朝起きてすぐに、座敷から池を覗いてみる。
池は、昨夜見た時と同じく、澄んだ水で満たされていた。
 リンが僕の顔をしきりと見上げてくる。池で遊びたいのかも知れない。水質検査をどうしようかと思っていたら、思わぬ所から解決策が降ってきた。

 会社から戻ってくると、ちょうど家の電話が鳴っている。慌てて受話器を取り上げると、滅多に電話など寄越さない父親からだった。
 携帯電話に掛けてくれればいいのだが、必ず家の固定電話に掛けてくる。
 何の用かと思ったら祖母が一人でこちらに来るらしいという内容で、祖母本人が連絡してきそうなことなので不思議に思っていると、僕が犬を飼い始めたのを祖母から聞いて初めて知ったらしい。妹は、家で話さなかったようだ。
 ちゃんと世話ができているのかと問うので、大丈夫だと答える。父は、犬はそれほど好きではないという顔をしているが実は無類の犬好きで、それが周囲の人間には知れていないと思っている節があった。
 社交的な人物だが、何故か犬に関しては妙な硬派を貫いている。
 祖母は、明後日にでもこちらに来るそうで、もちろん僕の住んでいる家に泊まるという。特に問題はない。

 電話が切れる前に、そういえば庭にあった池の水はどこから引いていたのかと話を振ってみる。
 特に何も期待していなかったのだが、ああ、あれは井戸なんだ。と、いとも簡単な返答。石を組んで囲いをする前、そこには井戸があり綺麗な水が出たのだそうだ。
 水道が完備されるまで、その井戸は大切な飲料水であり、生活用水だった。
 水道が完成すると、まるでそれが分かったかのように水量は少なくなり、井戸を細くして上に石を組み、池を作ったのだという。どういう仕掛けになっているのか細かいことまでは分からないが、池の底から井戸水が上がり、池に溜まるのだという。
 父はそれを、母と結婚して間もない頃、僕の曾祖父に聞いたのだそうだ。父にとっては義理の祖父になる。少し気難しそうな雰囲気のあった曾祖父に、当時はいらぬ気を遣っていたらしい。
 偶然座敷で二人きりになった時、沈黙に耐えかねて話題を探し、必死で庭に目を走らせた挙げ句、池……と呟いてしまった時に教えてもらったのだという。
 池? と聞き返され、池の水が綺麗ですね。と苦し紛れに言ってみたら、教えてくれたそうだ。

 なんでそんなことを聞くのかと言うので、池を掘り返してみたら水が湧いたのだと端的に説明した。すると、唸り声を出してからしばらく沈黙している。
 犬に水を飲ませる前に、水質検査をした方がいい。昔は飲料水にできていても水質は変化することがある。保健所か、水質調査を請け負っている企業があるはずだから調べておこうと言って、あっという間に電話は切れた。
 結局、犬のことが気になって掛けてきたらしい。
 リンは、話が聞こえてでもいたように、嬉しそうな顔で僕を見ていた。

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