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池の事

7月1日
 早朝、まだ少し薄暗い時刻に、何かをひっかくような物音とたくさんの雀の鳴き声で目が覚めた。
 起き上がって見回すと、リンが寝床にしている毛布の上にリンの姿が見当たらなかった。襖が少し開いていて、物音はその向こうから聞こえた。
 僕は普段、座敷の向かいにある六畳間に布団を敷いて寝ている。
 部屋の襖を開けると、向かいの座敷の襖も少し開いていたので、そのまま座敷を覗いた。
 リンは、座敷の奥の障子戸も開き、縁側と庭を隔てるガラス窓を時折前足で掻いている。どうやら外に出たがっているようだった。
 僕が窓を開けると、小さく一声吠えて縁側から庭へ降りる。リンが庭へ降りると、庭にいたらしい雀が一斉に飛び上がった。
 何か餌になるようなものでもあったのかどうか知らないが、三十羽くらいはいたようだ。

 残念。良い水であったのに。

 庭の向こうの道路で、誰かがそう言うのが聞こえたような気がした。耳を澄ましてみても、それ以上何も聞こえない。
 何のことかと思ったが、そういえばと思い出す。確か、玄関の側の庭にそれほど大きくはないが池があったのだ。
 まだ小さい頃、僕の妹がそこに落ちて溺れかけたのが元で今はすっかり跡形もなく埋め戻されてしまっている。妹は何も憶えていないと言うが、あの池はそれほど深くはなかった。昔、曾祖父がそこに赤い金魚を飼っていたらしいが、妹の溺れかけたその頃にはもう何も棲んでいなかった。
 それでも池囲いの大きな石は苔むして、水は確かに澄んでいた憶えがある。

 リンは、しきりとその池のあった辺りを探っている。雀はもういないよと言うと、諦めたように戻ってきた。
 足を拭いて座敷に上げる。

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