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画像は今年の6月に20歳になる息子が4歳の時の「おくすり手帳」です。彼の左耳は真珠腫性中耳炎という疾患で、放っておくと鼓膜が真珠のような色になり、聴力を妨げてしまいます。成長期を終えて大人の身体になるまでは、真珠腫が悪さをしないように定期的に耳の中の様子を見ることが必要だと。最初の手術の際に主治医から言われました。彼は19歳になるまでに中学1年の時、高校2年の時、そして大学に入った年の夏休みと、今までに3回手術をしています。頻度は年に1度程度になりましたが、現在も経過観察のための通院は続いています。

きっかけは彼が5歳になる年の1月に罹った中耳炎の耳だれがとてもひどく、しかも膿をもっていたために近所の耳鼻咽喉科の先生から「当院では対処しきれない」と言われ、紹介状を渡されて市内にある総合病院の耳鼻咽喉科に通い始めました。改めて日付を見ると平成18年1月8日からとありますから、お正月早々に通院は始まっていたのですね。その年の「おくすり手帳」を見返すと、1月の初診から10月まで週に1度、私たちは病院に通っていました。

4歳の子どもをベッドに寝かせ、耳の中を診るのです。彼が動いて耳の中を傷つけることがないように、バスタオルで胴体をくるみます。「お母さん、お子さんが動かないように、上から押さえてください」と看護師から言われた私はベッドの上に乗り、バスタオルの上から息子を押さえつけます。一方看護師は頭が動かないように、息子の頭を押さえます。

すべて本人のためなのですが、当の息子は何をされるのかわからず、恐怖しかなかったと思います。ドクターが器具を使って息子の耳の中を診ている間中、彼はずっと大声で泣き叫んでいました。それも毎回。息子のほかにも小さな患者さんは来ていたけれど「なんで僕だけこんな目に逢わなきゃいけないんだ」「お母さんも、同じようになればいい」と診察されている間中、わめき散らす子どもはほかにいませんでした。週1回の診察時間は親子で涙、涙でした。

診察を終えると「次は○日に来てください」と言われるのですが、あらかじめ予約は取らなければなりません。私は診察日の朝7時に病院に行き、受付で順番を待ち、予約票をもらっていました。平日ですから夫は出勤、当時小学生の長男も登校し、わずかな時間ではありましたが、4歳の二男が家で一人ぼっちになります。予約を取り終え、急ぎ帰宅しても、彼がまだ寝ていることが大半でしたが、1度だけ彼が目覚めてしまい、家の中に誰もいないことがわかるとパニックになって、裸足のまま家を飛び出して私を捜し回る…という出来事がありました。幸いにもすぐに私が帰宅したからよかったものの、「おかーしゃーん、おかーしゃーん」「おかーしゃんがいない」と大声で呼びながら、涙でぐしゃぐしゃになりながら裸足で私を探す息子を発見したときのことを思い出すと、今も胸が痛くなります。

「嫌だ」「なんで僕だけ」と通院の度にダダをこねていた息子が、黙って私に従うようになったのは、いつの頃からだったのか。もう忘れてしまいました。中学生になり、最初の手術をドキドキしながら見守った日も、ずいぶん昔の出来事のように感じます。小さかった息子も大きくなり、自分が子ども時代にベッドの上で泣きわめいたことも覚えていないと言います。

だから私は、息子の小さかった頃のことを書き記したいと思っていました。「小さな身体でお前は、こんなにがんばってきたのだよ」と、彼が20歳になったときに渡すために。

今日、その一歩を踏み出しました。数年前から温めてきたこの思いを忘れないように。自分の背中を押すために。今、ノートにしたためています。


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