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自分の一面を切り取って説明するのは、どこをどう切り取るかによって受け手側の反応が変わる…

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自分の一面を切り取って説明するのは、どこをどう切り取るかによって受け手側の反応が変わるので、どうぞ好きに私自身を解釈して下さい。

最近の記事

ランニング|30分走

ランニングに関する忘備録と、継続や向上のために書き綴る。(いつまで続くか…。) 7〜8年前のランニング習慣を再開させるべく、週2〜3回は走りたいところ。(毎日走っている人は、本当に凄い。) さて、今日は朝8時ぐらいから近所をランニング。寒いけど、これくらいの方が走りやすい。 結果は下記の通り。 昨日、Youtubeで「キロ4分台で走る」動画を観たポイントを実践してみる。 前傾姿勢、着地時の足の運び方などを意識し、スピードを上げるものの、2キロ程度で走れなくなる。

    • 水泳とアクアビクスと私。

      今年の1月末から、○十年ぶりに泳ぐことにした。 目標はトライアスロンの大会参加、としておく。 近所のプールに行ったところ、アクアビクスという 教室に、15人程度が参加していた。 こちらは、何本か50mを繰り返しては休憩していた のだが、アクアビクスは、1時間弱ほぼ休憩無し だったのではないか。 (アクアビクスが終わった後、200~300mを1時間 程度こなした、と言い訳めいた書置きをしておく。) 先生が地上で踊っているから、一番辛いだろうな、 と思って見ていたが、流

      • 僕は、逃げた。

        ジョゼと虎と魚たち。 大学生の時に観て、非常に心を揺さぶられた 映画だった。 (40歳を目前に、今もなお、最も好きな映画だ。) その理由としては、終わり方だ。 『僕は、逃げた。』 恒夫が、ジョゼ(クミ子)と別れを告げ、香苗と合流 する場面。 恒夫が泣いた所に、この映画の良さが集約されている。 弱さ、脆さ、軽薄さ。 物語の終わりに、ダメな自分を直視し、受け容れる恒夫の言葉。 それとは別に、電動の車椅子に乗って駆けるクミ子。 スケボーで無理やりに車椅子を引っ張

        • 緑色に恋した中年女性が、ある20代男性(僕)と銀行で出会う話①

          僕が実際に出会った、全身緑色に身を包んだ女性の、その生き様を勝手に妄想した話。 詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.mu/takeda32/n/na56a68e294e1 彼女は、あの時出会った格好を今でもしているのだろうか。 あの時出会った銀行の支店は、今は人員整理で無くなった。 統合された支店に行けば会えるのか。いや、会って何をするんだ、僕は。 もしかしたら、林家ペーパーのように、旦那が居て、2人とも緑色に身を包んでいるのかもしれない。

        ランニング|30分走

          言の葉、言の枝、言の幹、言の根。言の始まりを考える。

          普段何気なく使う、言の葉の数々。 改めて考えると、葉となるまでには、様々な過程がある。 どんな場所で根を張っているのか。 幹はどこまで太くなるのか、伸びるのか。 枝はいくつあるのか。 葉はどんな形なのか。 言の根が張られる、土壌や環境は、自らが思考し、試行し、嗜好した結果と、人間関係(職場、学校、趣味仲間etc)から成り立つ。 根の張り方や長さは、どれだけインプットするのかによって変わっていく。 幹の太さは、土壌の養分と、その養分を運搬する根や組織の能力に依存

          言の葉、言の枝、言の幹、言の根。言の始まりを考える。

          何で村上春樹風の文章を書くと、いちいち長く書かないと気がすまなくなるのだろうか。パスタやサンドイッチ、ペリエを摂取したい気分ではないのは、間違いないのだが。やれやれ。

          7、8年前に実際に起きた出来事を、村上春樹風に当時の僕が書いた、とりとめのない文章だが、読み返してみると悪くもないので、僕は恥ずかしさという感情を一時的に欠落させ、自己満足という深い深い闇に、朝から病みに病んだ感じでスマートフォンごしの何かに触れようとしているのかもしれないし、もうすでに何かに触れているかもしれない。いや、ただ単に、僕の気が触れているだけだ。そうに違いない。 やれやれ、前置きが長いのは僕の悪い癖だ。 * 『ねじまき鳥クロニクル』を読み返しているのだが、

          何で村上春樹風の文章を書くと、いちいち長く書かないと気がすまなくなるのだろうか。パスタやサンドイッチ、ペリエを摂取したい気分ではないのは、間違いないのだが。やれやれ。

          選んだのは君だ。

          思えば、自分の人生は流されるままに流れてきた。 仕事は色々やった。 不動産から始まり、太陽光発電、廃水処理、いちご栽培、八百屋、現在輸入車ディーラー勤務に至る。 一度しか無い人生、好きに生きよう、はたらこうと思った結果がこれである。今も転職を考えている。 字面にし、客観的にみると、恐ろしい…。 大学時代の自分は、相当に何も考えていなかったのだ。(今もかな) そんな自分も結婚し、2年近くが経過しようとしている。 現在の住まいは、奥さんちと同じ敷地に有るおばあちゃん

          選んだのは君だ。

          交換

          交換。何かと何かを交えて換える。 人の世界では、或る人の欲求を満たすために、或る人との交換によって文化や習慣が形作られていく。 交換の折り合いをつける際、その交換がもっともらしいものであるように振る舞うために、大抵の仕事は存在する。 そして「仕事ができる」、というのは、円滑に、狡猾に交換ができる、と考えられるだろう。 狡猾さに振り回されて、楽しくはたらこう、という気持ちは虚しさに換えられてしまった。

          漠然

          漠然。 ものごとがはっきりとしないさま。 なりゆきがさだまらないさま。 ものごとのなりゆきがはっきりとせず、さだめられないので、そんな状態を脱したいが、脱し方が分からないので、堂々巡りに。 まあきっと、何か行動を起こせば、漠然とした、という状況ではくなるのだけど、下手に動くことで、さらにものごとがはっきりしないこともある。 そうすると、混沌になり、迷路となる。 道しるべは、たくさんあるけど、どこにしるべをつけるかが、その人をその人たらしめるのだ。 漠然と、文章を

          空もとべるはず

          空もとべるはず。 空をとぶ。 空をとぶような感情になりたい。 あの人に会いに行きたい。 ここから違う場所に行きたい。 人は、ある地点からある地点へ、自分(を規定する感情や記憶)を移動させ、他者に受け入れてもらう、或いは視点(置かれた環境)が変わることによって、変化を認識する。 今置かれた状況を受け入れたくないから、変化させたい。 空もとべるはず。 自分は、この状況から変わるはず。 あずすーんあずぽっしぶる。

          空もとべるはず

          後悔

          後に悔いる。 悔いるのは、つまるところ考え方である。 自己が満ち足りなかったのだ。 しかし、こうしてキーボードを叩く自分に一時的に満足し、あわ良ければなにがしかの評価を欲している状態だが、明日になれば、なんて恥ずかしいことをしたのだろうと、悔いるのだ。 そう、先を見越すと、今が満ち足りたとて、結局悔いるのだ。 後悔は、先にも立つ。 そんな後悔(恥)を上塗りして、日々感覚が鈍る。 鈍った感覚は瑞々しさをなくし、何かの上塗りで満ち足りた、と錯覚させる上手さが、人生を

          枠組み

          枠を組む。 枠≒境界。 境界は、彼我を分かつ。 境界は、幾重にも折り重なり、その存在を浮き上がらせる。 自分という存在をどう浮き上がらせるのか。 深遠、浅薄。 枠の組み方で認識が変わり、枠の組み方こそ、その当人の生き様が集約される。 どうせなら、面白い枠を組み上げて行こう。

          はたらきたいとき、はたらくとき、はたらかないとき、はたらきたくないとき

          すり減った気持ちは、中々元に戻らない。 元に戻る、というのも、実際に考えると、元に有った位置に近づく、ということであって、過去(元)のまったく同じ状況には戻れない。 過去は日々美化される。 自分の見たいものだけ、抽出され、記憶に固定される、と置き換えられるだろうか。 現状に受け身になり続け、過去の都合の良い記憶との乖離が大きくなればなるほど、人間(私)は自己肯定を行い、責任逃れをするのだろう。 自分の人生、というか、生き方に責任を持てるのは結局自分だけだ。 生き方

          はたらきたいとき、はたらくとき、はたらかないとき、はたらきたくないとき